大会記

大会参加記

2022年トルコ・ワールドカップ

スモーキングコンテストのワールドカップ大会が10月9日にトルコのイスタンブールで開催された。国際レベルのスモーキングコンテストはコロナ禍で延期が続き、2019年ウクライナのリブウ以来3年ぶりの開催となった。

CIPC(国際パイプクラブ委員会)が開催する大きな大会は、4年に一回の世界大会と2年に一回のワールドカップの二つがあり、そのあいまにヨーロッパ選手権が開催される。世界大会は国別の対抗戦で、2018年に浅草で開催された大会を思い起こしていただければいい。今回開催されたワールドカップは国別対抗ではなく各国にあるクラブの世界一を決めるもので、16か国から39チームが参加、我が国からは日本パイプスモーカーズクラブと岡山パイプクラブの2団体が参加した。

 

トルコへは羽田空港から、トルコ航空の直行便が就航している。全日空とのシェア便で、夜10時に日本を出て、同日の早朝5時に現地に到着する。約13時間のフライトである。

トルコに入国し、イスタンブールの街を歩いていて驚くのは、誰もマスクを着けていないことだ。観光スポットの「マヤソフィア」を歩くと観光客であふれ、コロナの影響はみじんも感じられない。

もう一つ今の日本の状況から見ると不思議に感じるのは、シガレットを喫っているスモーカーしかいないことだ。電子タバコを喫っている人間がいないのだ。トルコでは、電子タバコが禁止され、持ち込みも許されていない。愛用している方はトルコを訪れる際には気をつけた方がいいだろう。

 

大会前日の8日には、総会と大会への登録、パイプショー、夜のガラディナーが開催された。会場は「Perpa Trade Center」と呼ばれる巨大施設の中にある。広さはビッグサイトほどで、それを立体にした形を想像していただきたい、各階の間には駐車場があり、ともかく広い。中は秋葉原の電気街のように小さく分かれた店が多くあり、実際電気関連商品が扱われている店が多かった。その建物の最上階、ペントハウス的な場所が大会会場だった。

総会はその下のフロアーにあるレストランで開催された、各国の代表が集まり、来年ルーマニアのブカレストでヨーロッパ選手権を開催することや新たにブルガリアがCIPCに加わることなどが承認された。

論議が交わされたのは、ロシアによるウクライナ侵攻の問題であった。現在ロシアのスモーカーはCIPCの競技に参加することが禁止されており、今回のワールドカップにも参加していない。戦闘が収束したときに、どのように対応するかが問題になったが、結局、まだ戦闘中であり、来年のブカレストの総会の際に、再度検討することとなった。

総会終了後、大会会場の入り口に行き、競技の登録をした。IDカードと土産1品が入った袋が渡される。会場内に入ると、パイプショーが始まっていた。各ブースにはパイプが並べられ販売されていた。やはり一番目をひくのは、トルコの名産であるメアシャムパイプであった。翌日にはメアシャムパイプ製作の実演も行われた。

 

ガラディナーは、ボスポラス海峡を巡るクルーズ船上で行われた。船は貸し切りになっていて、船内で食事をし、喫煙はデッキでといった趣向である。

ボスポラス海峡はアジアとヨーロッパの境界線であり、船上から見るモスク、そして東ローマ帝国時に作られた城砦がライトアップされている。少なくともこの城砦ができてから一千数百年の歳月が流れているはずだ。このまま進み海峡を抜ければ黒海に入る、その沿岸は今や戦場になっている。海峡の風景に様々なことが脳裏をよぎる。

船はUターンを始める。食事が終わり、アトラクションに本場のベリーダンスが始まった。全日本大会でもベリーダンスが披露されたが、本家のダンスはなかなか迫力があった。船上のデッキでは各国のスモーカーがパイプを銜えながら友好を温めていた。

 

9日の日曜日、午後2時から大会が始まった。

CIPCが設立してからちょうど50年の節目の年に当たるため、各テーブルには、CIPCの歴史が書かれた冊子が置かれ。競技に先立ち、CIPCの歴史の映像が流された。

壇上にはコーネリアス会長、その両脇には今回の審判(ジュリー)を担当する柘恭三郎副会長、チェコのスタニスラフ副会長の2名が座っている。

指定されたテーブルに座る。我々のクラブはレバノン、ルーマニアのクラブと同席になった。レバノンのスモーカーは前日の総会の席で、レバノンの窮状を訴えていた。ルーマニアのスモーカーは次回のヨーロッパ選手権はブカレストで行われるが、10月のルーマニアは結婚シーズンになり、物価が上がるシーズンになるので心配だと語っていた。

今回の使用パイプはシャコムのスピゴット風のサンドブラスト。シャンクとマウスピースの一部がメタルで覆われていて、凛としたたたずまいのパイプだ。

使用タバコはピーターソンのアイリッシュフレイクである。フレイクの場合レディラブドと異なり、板状のまま配布されるので、タバコの量がおそろしく少なく感じられた。

進行は少しわかりにくかった。いつ着火するのかが判らない、浅草大会で行われたように、ゴングを鳴らしたりする方がスムーズだ。

点火の瞬間、各テーブルからは白煙が立ち上り、会場は真っ白になる。時間がたつと少しずつリタイアが出はじめる。ふと気づくと、目の前を壇上にいるはずのコーネリアス会長、審判(ジュリー)の柘副会長、スタニスラフ副会長が歩いている。各テーブルから提出されるリタイアしたスモーカーの記録用紙を運んでいるのだ。後で聞くと終了時に提出される記録用紙を運ぶ係が設定されてなく、しかたなく壇上の3人が用紙を記録集計の場所まで運んでいたとのことだった。

スモーカーの多くが国際大会にしては意外と早く消えていった。フレイクの特性なのだろうか、今までのスモーキングコンテストに比べてリタイアが早いように思えた。

私は52分で終了したが、その時点で岡山パイプクラブは全員残り、うちのチームでも田崎君が残っていた。

会場から出て屋外の屋上に出ると、空気が新鮮である。みなコンテストを終わり、まだまだ時間がかかるのでパイプをくゆらしながら談笑している。皆長いコロナ禍で、このような時間を共有することができなかったのだろう。

ロシアの侵攻により、ウクライナは18歳から60歳までの男性の出国は禁止されているので、参加は女性と老人だけである。前回の国際大会では主催者として尽力された会長のシェキータ氏も、我々を暖かく迎えてくれたウクライナのパイプスモーカー達も当然といえば当然だが、参加していないという現実があった。

 

80分を過ぎて、日本からは田崎、香山の2名が残っていた。1時間27分で田崎が終了した、かなりの上位に入っているはずだ。

予想としては、この先さらに上位者が記録を残すと思われたが、香山が1時間31分40秒で終了、浅草大会で第3位だったスペインのトニーパスカルも終えた、これらのベテランスモーカーが終了するのでは、記録がさほど伸びないなと思った瞬間であった。

結局2時間を越えたのは3名だけだった。

最後まで残ったのはイタリアのGianfranco Ruscalla氏で、その喫い方は芸術的と言ってもよいものだった。火皿からタンパーを抜いた後、タンパーを高くあげるのだ。それに、灰が口に入るのだろうか、舌の灰をティシュで拭き取る、これを交互に行うのだ。記録は2時間32分43秒。終了の瞬間、会場には拍手が鳴り響いた。パイプチェックも無事終了し、チャンピオンとなった。

団体戦の優勝はオーストリアAチーム。レディスチャンピョンにもなり、総合成績でも2位になったEllsabeth Dobnigさんが勝利の立役者だった。岡山パイプクラブは、堂々の第6位であった。香山氏は参加159人中第13位、当人としてはタバコ喫いきったので満足のいくコンテストだったと言っていた。

 

今回の旅でどうしても経験したいことがあった。それはコーヒーハウスに入り、水タバコとターキッシュコーヒーを味わうことであった。

ターキッシュコーヒーの話は、クラブの先輩である故関口一郎さんからうかがったことがある。コーヒーを煮出すので上澄みを飲むのだと。関口さんは茶道の野点は、コーヒーの屋外での煎れ方から来ているとも語っていた。

コーヒーハウスは、世界に拡がり、歴史的にはロンドンのコーヒーハウスが有名であるが、元祖はトルコのイスタンブールのコーヒーハウスになる。16世紀後半にはイスタンブールには多くのコーヒーハウスがあったといわれる。

そして、コーヒーハウスからタバコを切り離すことは出来ない。特に回教圏では、水タバコと深い関係にある。

しかし、現在のイスタンブールに水タバコを喫わせる、コーヒーハウスは少なかった。同行した柘氏によれば、以前は広場に面して多くのコーヒーハウスがあったが、無くなってしまっている。EUの基準に合わせて無くなったのかもしれないと語っていた。

そんなコーヒーハウスに入り、水タバコとターキッシュコーヒーを頼んだ。

ターキッシュコーヒーは来てすぐ口に含むとコーヒー豆のザラザラした口触りが残った。やはり、少し時間を置いてから飲まなければいけない。

そして、注文したレモン味の水タバコ、確かにレモンの風合いであった。少し時間が経つと、水パイプの上に載せてある炭を替えにかかりの若者がやってきた。

甘いターキッシュコーヒーとレモン味の水タバコ、ただただ時間が流れて行く。そんなたおやかな時を経験することが出来た。

日本パイプスモーカーズクラブ 青羽芳裕