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故山田燦氏を偲ぶ

故山田燦氏に謹んで哀悼の意を表します。

日本パイプクラブ連盟名誉会長  梶浦恭生


山田さんの訃報に接し、淋しい限りです。あの温顔にお目にかかる機会が永久に失われたのです。山田さんにお会いするのは全国大会や地区大会などに限られていましたが、お会いすれば、お名前の通りの燦燦とかがやく笑顔で旧交を温め、声をかけていただいたものです。小児科医の職業柄、温顔が常のものになられたのかもしれませんが、接するものに感じさせられる心からの温かみは、やはり他人を思いやるお人柄がなさしめたものでありましょう。


かつてお会いした際に、「日本パイプクラブ連盟には山田姓が少ない、日本の姓名のうちに“山田”はごく当たり前でその占める比率はかなり高い。それに比べると連盟の山田姓メンバーはごく少数なので、そこでウチは一家を挙げて金沢パイプクラブに入り、連盟の“山田”姓比率を全国並みにしているのだ」と冗談に言っておられました。


山田さんと山田さんのご一家が少数精鋭の金沢パイプクラブを支えておられたのは良く知られた通りです。今後金沢パイプクラブは奥様、息子さんが中核となり、清々と活動されるものと存じます。


残念ながら燦燦と輝くあの温顔に接することは出来なくなりました。ご冥福を衷心からお祈り申し上げますと共に、山田さんの温顔と共にあった他人への思いやりの心を忘れずにパイプを喫い続けて参りたいものです。




故山田燦氏を偲び、謹んで哀悼の辞を捧げます。

日本パイプクラブ連盟副会長  香山 雅美
(岡山パイプクラブ会長)        


山田燦氏(金沢パイプクラブ元会長)の訃音に接しました。


私と山田氏が初めてお会いしたのは33年前に岡山で開催した第16回パイプスモーキング全日本選手権大会でした。
大会準備で走り廻り、汗だくだくだった私をご覧になって「お疲れ様です。これで汗を拭いて下さい」とパイプの刺繍が入ったハンカチを手渡されました。思いやりに感激しました。

その後日本パイプクラブ連盟を通じて30余年にわたり心を開き、良い関係を続けて参りました。

お元気だった在りし日の姿を偲び、氏の足跡を追憶したいと存じます。


山田氏は平成7年に金沢でクリニックを開業されました。その際、愛用のパイプを咥えた御自身をキャラクターにして、診察券や薬袋まで印刷されました。開業当初からパイプを咥えて患者さんを診察なさったそうで、「パイプの先生」として地元では知らぬ人がいない、敬愛されるお医者さんでした。


その後、推されて金沢パイプクラブ会長に就任なさいました。毎年開催している日本パイプクラブ連盟総会の後、しばしば一緒に過ごして滋味溢れる様々なお話を伺いました。良い思い出です。愛妻家で毎年の総会には、よく奥様を同伴なさっていました。


2014年にドイツ・ケルンで開催された第13回パイプスモーキング世界選手権大会にも日本代表チームの一員として参加なさいました。この時も御令息を帯同だった記憶があります。
この世界大会でご一緒させて頂いた懐かしい思い出が胸裏をよぎります。
パイプをこよなく愛しておられる方でした。




生前のご活躍に、深い感謝と尊敬を捧げ、お別れの言葉といたします。安らかにお眠りください。

合掌。




 「PCJレポート・ぱいぷ」57号より