煙から世界を読む

煙から世界を読む

横浜国立大学教授、情報哲学者 室井尚の「煙から世界を読む」
第1回 蔓延する〈浄化と絶滅の思想〉

2007年6月、WHO(世界保健機関)は「受動喫煙防止のための政策勧告」(Protection from Exposure to Second-hand Tobacco Smoke Policy recommendations)を発表しました。この勧告の内容は次のようなものです。

  1. 完全禁煙を実施し、汚染物質であるタバコ煙を完全に除去すること。屋内のタバコ煙濃度を安全なレベルまで下げ、受動喫煙被害を受けないようにする上で、これ以外の方策はない。換気系統が別であろうとなかろうと、換気と喫煙区域設置によって受動喫煙をなくすることは出来ないし、行うべきでない。

  2. すべての屋内の職場と公衆の集まる場の完全禁煙化を義務付ける法律を作り施行すること。法律は適用除外を設けず、すべての市民を保護する内容であること。法的拘束力のない自主的取り決めは、望ましい対策とは言えない。一定の状況の下では、例外なくすべての人々を効果的に受動喫煙から守る見地から、屋外またはそれに準ずる職場も完全禁煙とする必要がある。
  3. 法律を周知させ、履行を徹底させること。法律を作るだけでは十分とは言えない。その法律を適切に周知させ履行するには、要点を突いたある程度の努力と方策が必要である。
  4. 職場を禁煙にする法律が出来ると、家庭を禁煙にしようという市民が増えることを見越し、家庭の受動喫煙をなくす教育的対策を実施すること。

WHOは加盟国がこれらの勧告に従って、学んだ教訓に沿って、職場と公衆の集まる場所を完全禁煙にする法律を作り実施するよう呼びかける。*1

‥‥唖然とするような乱暴な内容です。


WHOはこれまで何度も反タバコキャンペーンを行ってきていますが、ここまで極端な「勧告」を行ったのは初めてのことです。


まずもって、世界各国の政府の集まりである国際連合の単なる一機関であるWHOが、世界各国の政府に「完全禁煙法」の制定を押しつけるということがいかにおかしなことであるかということを疑わなくてはなりません。そのことは、たまたま現在のWHOの執行部において主導権を握っている「一部の国」の代表たちが、彼らの方針に従わない「他の不届きな国の政府」に圧力をかけていることを意味しています。


彼らは受動喫煙(より正確には環境内タバコ煙)の有害性は数々の研究結果によって「科学的に明らか」であるとし、この「エビデンス」に基づいて「疑う余地無く正しい」勧告を行っていると主張しています。要するに「科学的事実」という「権威」を振りかざすことによって、あらゆる反論をあらかじめ封じ込めようとしているのです。自らの「正しさ」に関する「確信」が、いかなる反論によっても揺るがないように、ご丁寧なことに、予想される(タバコ産業と結託した)反論に対する対処法まで書かれています。


それでは、なぜ彼らはこんな回りくどいことをしないで、いっそのこと「タバコの完全禁止」、「禁煙法の制定」を主張しないのでしょうか? そんなにタバコが「有害であることが明らか」であるならば、その方がずっとすっきりしているではありませんか?


おそらく、それは彼らもまたそんなことはできないことを知っているからです。彼らは多分、タバコ産業や一部の「誤った考えをもつ」各国政府の抵抗が激しいことをその理由に挙げ、「科学的な」教育によって徐々にタバコを地球上から追放していくしかないと主張するでしょうが、本当はそうではなく、煙草がそれほど大した毒性はもっておらず、また世界中の既存の喫煙者たちの多くが喫煙という習慣を投げ捨てることはないだろうということをよく知っているからです。そこで、彼らが考えたのは、まず屋内での喫煙を禁止し、次に屋外での規制を拡大することによって、「煙草を吸う」という習慣を見たことも無く、全く知らない世代が世界の人口の大半を占めるようになるまで持久戦を仕掛けることでした。


ところで、私たちはこのような「勧告」と酷似した言説を、2003年にイラク戦争を開始した合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュの演説の中に見ることができます。彼は、フセイン元大統領の率いるイラク政府が「大量殺戮兵器」を準備しているという「エビデンス」に従って、「世界平和」のためにイラクと開戦しなくてはならないと主張しました。そして、イラクを「占領する」のではなく「解放する」のだと言い、国連決議を無視して爆撃を開始しました。その後に何が起こったのかは、みなさんご存知の通りです。


ここには見過ごせない類似性があります。ここでも「大量破壊兵器」という「エビデンス」を口実に、あらゆる反論を封じ込め、自らの「正義」を押し通すことを全く疑わない病的な精神が感じられます。


さらに言えば、21世紀になってからの世界、とりわけ「9.11」事件以降の世界では、「セキュリティ」の名の下にあらゆる反論を封じ込めて、権力の一方的な押しつけがなされることが常態化しています。


日本の駅や町からゴミ箱が撤去されて随分たちます。「ゴミは家庭に持ち帰りましょう」という無茶な標語が町中に張られています。こんな不便な社会は世界中のどこにもありません。それでも私たち日本人はそれを「仕方ない」こととして黙って受け入れてしまっています。


もちろん、ゴミ袋を持ち歩く人はきわめて少ないわけで、実際にはみんな周囲のコンビニや店舗のゴミ箱に捨てているわけです。また、あらゆる場所に設置されている監視カメラ、食品産業や鳥インフルエンザに対する社会やメディアの過剰な敏感さ−あらゆる現象の中に、異質なものを徹底的に排除しようという攻撃性の激越化を見て取ることができます。


危険なもの、迷惑なものは徹底的に排除する。ゴミ一つ落ちていない衛生的な環境を作り出したい−通常は「潔癖神経症」と呼ばれるような、過敏で攻撃的な「絶滅と浄化の思想」が世界中で蔓延しています。森岡正博が「無痛文明」と呼んでいるような*2、快を求め、苦しみを避ける方向へと突き進む現代文明。その流れの中に飲み込まれ、すべての不快と痛みを排除した代わりに「生きる意味」を見失い、死につつ生きる化石の生を送るしかない時代が訪れているのです。


私は喫煙を擁護します。それはネイティブ・アメリカンたちがもたらしてくれた、他に比類の無い快楽であり、長い時間をかけて熟成されてきた文化だからです。衛生思想に支えられた健康神話と、セキュリティ思想に後押しされて、いま津波のような勢いで押し寄せてきている「嫌煙」イデオロギーに対して、私はこのような立場から抵抗していきたいと思っています。


そのためには、まず彼らの言う「エビデンス」が、いかに不透明で嘘にまみれたものであるかを批判的に見て行かなくてはなりません。また、疫学をはじめとする統計学的手法が、どのようにして現代文明における私たちの生のあり方を支配し、抑圧しているかということも見て行かなくてはなりません。


私は煙草の問題の中に、現在の文明の病理が色濃く現れていると考えています。ある意味では「ポストモダン的」と言える90年代の多文化主義と「共生」の時代から、「9.11」以降の「新しい中世」への移行という時代の大きな変化と、この問題は深く関わっていると思われますが、まあ、それらについてはまた次回以降にお話ししていくことにしましょう。



*1.原文ダウンロード(http://www.who.int/tobacco/resources/publications/wntd/2007/pol_recommendations/en/index.html)、松崎道幸氏による日本語訳は(http://www.nosmoke55.jp/data/0706who_shs_matuzaki.html)

*2.森岡正博、『無痛文明論』、トランスビュー、2003年
室井尚(むろい ひさし):横浜国立大学教授、情報哲学者
2007.07.12