紫煙を楽しむ
嗜好品としてのたばこ (その2) |
前回に引き続き、嗜好品としてのたばこについて述べていきたいと思います。 最近の禁煙団体の主張の中に、たばこは、「嗜好品」ではなく、「死向品」とすべきだというのがありますが、「嗜好品」は、現代社会に定着した立派な言葉であり、言葉狩りとは、とんでもないことです。 ただし、嗜好品の定義は、今後、時代の変化に合せて、変更せざるをえない場面も想定されます。何故かといえば、酒にはアルコール、たばこにはニコチン、茶・コーヒーにはカフェイン、チョコレートにはテオブロミンというように、それぞれ薬理成分が含まれており、それらが体内に摂取された後、エンドロフィンのような脳内伝達物質に影響して満足感が得られている可能性がありますので、もし、薬理成分としては特に存在していなくても、従来の嗜好品と同様に脳内伝達物質に影響するような生活習慣(ケータイとか芸術鑑賞とか)によって満足感が得られるとすると、それらも嗜好品として分類せざるをえなくなるかもしれません。幸か不幸か、そのような証明はまだなされていませんが。 ところで、1999年10月に、「国際嗜好品会議」(ARISE)がイギリスのワーバートン教授の主宰により京都で開催されましたが、「嗜好品」に対する英語の適訳が見つからなかったため、”shikohin”(一部の人はpleasure products)という語を用いて研究発表する学者が多かったことが思い出されます。今や、”shikohin”は、国際語になりつつあります。 また、最近、韓国を訪問した際に現地関係者と情報交換した結果、韓国語に“ki-ho-pum”という日本語の嗜好品に該当する用語があり、酒、たばこ、茶、コーヒーを指すことがわかりました。 さらに話は変わりますが、『養生訓』を書いた貝原益軒(1630-1714)は、嗜好品の概念がなく、西洋医学も導入されていない時代に、本草学を主体として当時学ぶことができたあらゆる学問を駆使しつつ、自身の経験を踏まえて、飲酒、飲茶、烟草について含蓄のある提言を行っています。「嗜好品」という用語はなくても、益軒の頭の中では、飲食物の延長に、酒、茶、たばこが分類されていたようです。平均寿命が50才に満たない時代に、益軒は、自ら養生を実践し、84才まで矍鑠(かくしゃく)として生きたことから、益軒の『養生訓』は、それなりに説得力があります。益軒の墓は、福岡市の金竜寺(きんりゅうじ)に、現存していますので、興味のある方は、訪問してみて下さい。 「嗜好品としてのたばこ」について2回にわたり述べてきましたが、作法やマナーをわきまえた上で、たばこや酒のような嗜好品を人生の友として愛用していきたいものです。 |
川原遊酔(かわはらゆうすい) |