禁煙ファシズムにもの申す

禁煙ファシズムにもの申す

文学者 小谷野敦の禁煙ファシズム闘争記

7月24日付けの読売新聞朝刊で、「日本学術会議」が「脱たばこ社会」の提言をまとめ、来年9月までに政府に提言する、と報道された。たばこの自動販売機の設置の禁止のほか、職場、公共の場での禁煙の拡大などを盛り込んでおり、後者は明らかに喫煙者迫害にほかならない。

私は怒りに震え、日本学術会議というのはファシスト集団かと思って、前回、少し悪口を書いたが、よくよく会員の顔ぶれを見てみると、このファシズムの危険さが分からないはずのない人が結構いて、改めて同会議事務局に確認したら、脱たばこのシンポジウムが開かれ、その委員の一人である愛知淑徳大学教授・愛知県がんセンター名誉総長の太田竜三が、一人で提言しただけのことであり、学術会議の理事会どころか委員会決議を通ったものですらないことが分かった。

読売新聞の紛れもない誤報である。それとも、かねてから禁煙ファシズムが特にひどい読売のことだから、意図的誤報か、太田からの情報を鵜呑みにして裏もとらずに書いたか。もはや新聞のモラルは壊滅状態である。

さて、禁煙ファシズム団体といえばまず日本禁煙学会だが、これは「学会」といっても、創価学会と同じような意味での「学会」であり、思想団体である。その理事長・作田学は杏林大学教授だが、いわば禁煙ファシスト医師の一方の親玉だろう。

しかし、先の太田が白血病の専門家であるように、作田も別にガンとか呼吸器の専門家ではないのは、不思議なことだ。その作田が、以前私に、公開討論をやろうと呼びかけてきたことがある。

これは、同学会のホームページで、私を非難したので私からメールを送った時のことだ。もちろん、議論すること自体は歓迎だ。だが、禁煙ファシストらの提案する「討論」には、必ず「条件」がついている。公開であること、ギャラリーが野次を飛ばせる状況であることだ。

私は、いちばんまともな「論争」のあり方は、往復書簡形式だと思っている。じっくり時間をかけて返答できるし、相手を目の前にして言葉のやりとりで感情的になることもない。だから私は作田に、往復書簡形式で議論をして、それを雑誌などに発表することを提案した。ところが作田は、のらりくらりと、この提案には応じなかった。

要するに、作田のいう「公開討論」は、作田らが準備する会場で、禁煙運動家が会場には溢れ、私が何か言っても野次と怒号で掻き消し、雰囲気で私を打ち負かそうという、そういうものだったのだ。

インターネット上で執拗に討論を呼びかけているチンピラがいるが、これも同じことで、必ずその手の雑音が入るような環境でやろうとする。私のメールアドレスなどしかるべき場所で公開されているのだから、そこから往復メール形式でやればいいのに、それはしない。負けるからである。

ところで私は、嫌煙家はともかく、なぜ医師たち(精神科を除く)が、こうも躍起になって禁煙ファシズムに突き進むのか、今ひとつ理解できずにいた。

仮に人々を健康にしたいなら、自動車の野放図な走行も批判しなければ筋が通らないし、酒の大量摂取にももっと厳しくしなければならないだろう。

私は禁煙ファシストと戦っているが、禁煙運動家でも、同時に酒にも批判的な人、あるいは自動車にも批判的な人には、少し甘い。

だが、大酒呑みの嫌煙家などというのは、エゴイズムも甚だしい。自分は酒乱で他人に迷惑をかけまくっていながら、タバコの煙がイヤだというのだから。

だからもし、禁煙、禁酒、禁自動車の三拍子揃った運動家がいたら、私はその人には頭を下げる。しかし、そんな人に、今まで出会ったことがないのだ。

小谷野敦:東京大学非常勤講師
比較文学者
学術博士(東大)
評論家
禁煙ファシズムと戦う会代表
2007.08.09