禁煙ファシズムにもの申す

禁煙ファシズムにもの申す

文学者 小谷野敦の禁煙ファシズム闘争記

二年ほど前、書店で『健康という病』という新書判がふと目に入った。米山公啓という人が書いている。医師で、著書も多い人らしい。

題名からして、むやみと健康を求めて狂奔する昨今の日本人を批判したものだろうと思われた。ところが、立ち読みすると、どうもそうではないようなのだ。なかんずく、タバコは健康に害を与える最大の悪として描かれていて、唖然とした。

米山は、タバコは肺がんの原因だという。しかし、それは肺がんの種類別に言わなければ意味がない。肺がんの多くを占める肺腺がんは、喫煙とはあまり関係ないというのが定説だ。

だが米山は言う。「いまだに喫煙=肺がん説をおかしいと唱える人までいる。タバコを吸わない人が肺がんになり、ものすごいヘビースモーカーが八十歳になっても元気で生きているではないか、こんな例をあげて反論する。しかし、これは感情論でしかなく科学的な話ではない。例外が本筋のような言い方をすればいくらでも同じ論理が成り立ってしまう」。 

医師とは思えない乱暴な文章だ。ここであげられた例は、例外とはいえないくらいあるし、非科学的なのは肺がんを種類別に言おうとしない米山のほうだ。

しかも「感情論」とは何ぞや。

米山は別の箇所で、「喫煙はがんを起こす典型的な要因である。俳優の故勝新太郎なども、ヘビースモーカーで、結局喫煙が喉頭がんの原因になったのであろう」と書いている。たった一つの事例で何かを言ったつもりでいるのだから、論理的に言えば米山も「感情論」を展開しているわけだ。

しかも、米山は勝を診察したわけではない。診察してもいない症例について何か言うことを慎むのが医者の倫理のはずだ。とんだ不倫理医師だ。しかも「喉頭がん」。肺がんの例にすらなっていない。めちゃくちゃである。人々が過剰に健康に留意する現代を批判する本なのに、ことタバコに関しては、まるっきりバランスを欠いた健康ヒステリーの後押しのような議論になってしまっている。

前に紹介したロバート・プロクターの『健康帝国ナチス』も、実は、ナチスが反タバコ政策をとったからといって、現代の反タバコ政策が間違っているわけではない、とわざわざ書いている。

とにかくタバコだけは悪玉として叩いておかないと、思想犯にでもされてしまいそうなのである。

ほかにも新聞などで、最近の健康ブームや清潔ブームを批判するような文章に出くわしても、それは奇妙にも、禁煙ファシズムへの批判にはつながっていかない。

『禁煙ファシズムと戦う』をはじめ、私が、禁煙のプラットフォームで敢えて喫煙して、駅員を問い詰めたりしているのを、そんな末端の人をいじめて、などと非難する者がいる。

しかし私は京王でも小田急でも、ちゃんと本社社長宛に苦情の手紙を出し、時には電話を掛けて、社長を出せ、と言っているのだ。

しかしもちろん、出てこない。

仮に本社へ出向いていってむりやり社長に会おうとしたら、それこそ本式の犯罪になってしまうだろう。それは首相であれ、禁煙ファシズムを煽り続ける大新聞の編集委員や記者であれ同じことだ。かろうじて、禁煙学会理事長の作田学など、数名が議論に応じただけだ。

責任者は出てこないし、議論しようともせず、ただ売名を目的としたチンピラのような奴が盛んにネット上で私と議論したがるばかりだ。

厳密に言うとファシズムというのは、ヒトラーやムッソリーニのように親玉がいるものだから、禁煙ファシズムは、責任者不在の、情動に駆られた嫌煙家大衆による、いわば十九世紀末フランスのドレフュス事件のようなものだと言えよう。

私は、政府や権力が持ち出す議論に懐疑精神を持って臨むことを本務とする新聞が、もっとも罪が深いと思う。

小谷野敦:東京大学非常勤講師
比較文学者
学術博士(東大)
評論家
禁煙ファシズムと戦う会代表
2007.09.20