禁煙ファシズムにもの申す
肺癌に罹(かか)りたくなかったら、タバコを喫おう! |
新宿で個人タクシーに乗り込んだときのことである。確かに禁煙マークは掲げてあったが、くわえたパイプに火は点いていないので乗り込んだ。ところが、パイプをみるなり運転手は慌ててタオルを口にあて、タバコをやめて下さいという。火が点いていないことを告げても、口と鼻にタオルをあてたままである。嫌がらせの片手運転で、危険極まりない話である。 この運転手は、自ら運転する車からパイプの煙の数十倍、いや数千倍の排気ガスを出していることを知らないのだろうか。 滑稽なのは静岡市の話である。小学生がタバコの煙で喘息に罹ったと市に訴え(おそらく訴えたのは嫌煙派の母親だろう)市議会で路上禁煙を決議させた。もっと滑稽なのは、車で喫う場合は窓を閉めて煙りが外へ出ないようにしろ、というのである。車のマフラーにも蓋をしろ、と決議はしなかったようだ。 筆者は子どものころからの喘息持ちである。喘息の発作がよく出たのは、新宿区の自動車の往来の激しい通りに面した部屋に住んでいたときである。その後、豊島園近くの閑静な住宅街へ移ると発作はでなくなり、そのころパイプを喫いはじめた。学生時代からタバコは全くやっていなかったが、パイプを始めても喘息は出ない。喘息の原因がタバコだと断定する、極めて単細胞的思考の持ち主がいかに多いことか。 少し前の話になるが、愚娘が大学院を出たあと、生物学の研究所で論文を書いていた頃のことである。「ニュートン」という科学雑誌が毎月送られてきていた。ある号に交通量の激しい街道筋に面した家の住人、100メートル、300メートル、500メートル離れた住人の肺癌罹病率を示すカーブを掲げていた。これは、見事な二次曲線で距離に反比例して下がっているのである。 ところが、禁煙団体からの圧力がかかったとしか思えぬ、奇妙な表示になっていた。喫煙率のデータを一緒にして、何のカーブか分からなくしてしまっているのである。呆れた科学雑誌で、その後は送付を断った。 そもそも、1970年代の初めに米国で喫煙の害が喧伝されたのは、排気ガス問題がくすぶりだしたときに、タバコをスケープ・ゴートにしたからだとするのが今では常識である。わが国では、葉巻・パイプ愛好家の東京都知事が排気ガスをやり玉に挙げ始めた。喝采をおくろう。 厚生省、厚生労働省の発表は、昨今問題になっている年金問題に限らず、その発表する数字は常に信用できない。古くは戦後から使われていた食品のカロリー計算の大間違い。エイズの血液製剤問題、肝炎問題、どれを取り上げても本当のデータを隠し続ける体質、いや厚生省ばかりではなかろう。 もっと許せないのは、この全く信用できない厚生省(厚生労働省)の発表を無批判に報道するジャーナリズムである。 喫煙と肺癌の関係が取りざたされるが、筆者の実際の経験からすると全く事実に反すると云わざるを得ない。愚妻の伯父伯母は二人ともタバコは一切喫わなかったが、両人ともに肺癌で死亡した。神戸の住まいは坂の途中のバス停の前であった。 近所の50代の主婦も肺癌に罹り抗癌剤治療を続けているが、もちろんご主人ともに非喫煙者である。末娘のゼミの元教授(女性)も独身の非喫煙者だが肺癌で手術を受けた。もう一人、筆者の知人が肺癌に罹ったが、やはり非喫煙者である。400人以上の日本パイプクラブ連盟傘下の会員を含め、筆者の喫煙知人には肺癌罹病者はゼロである。単細胞的思考に従うなら、肺癌に罹りたくなければ、タバコを喫おう! 副流煙などという陳腐なことを云いだしたのは、かの有名な故平山先生である。ありとあらゆるものを発ガン性食品としてやり玉に挙げ、焼き魚、コーヒー、みそ汁、粥も目の敵にしていた。問題は彼が基データをひた隠しにしていたことであるが、発ガン性物質から一番遠ざかっていた筈のご本人は結局癌で亡くなってしまった。 疫学的手法の問題点は、基データを隠し検証できない形で結果発表すると、TVの低劣なアンケート番組同様に、「結論先にありき」のイカサマと見なされることである。タバコ害毒説の多くは、あまたある研究論文の都合の良い部分だけを取り上げる、極めて政治的かつアンフェアーな議論でしかない。 WHOは、中嶋氏がトップの時代に副流煙の害を一旦否定した。ところが、嫌煙者団体は彼を引きずり下ろし、ノールウェーの女性活動家を後に据えると、とたんに、副流煙有害説をまた出してきた。喫っている本人ではなく傍の人に有害だという、いかにも論理性のない話である。 一昨年、東京の有明に新しく病棟を建てた癌研究所付属病院は敷地内は完全禁煙になっている。これは、立場上仕方がないとして、敷地の外の横断歩道の脇に灰皿を設置した。すぐに癌研に投書があり、そばを通る歩行者が煙りを吸わされるので、ケシカラン撤去しろとの苦情が出て、慌ててこれを引っ込めた。灰皿の設置場所は丁度、横断信号の傍にあって、停止した車が青シグナルでアクセルを踏み込んで多量の排気ガスを出す場所でもある。 弁護士を作り過ぎて、訴訟社会にしてしまったアメリカのヒステリックな行動を真似たがるのは過去にも多くみられた。“ウーマンリブ”しかり、そしてピンク・ヘルメットの“全ピ連”も選挙の度に売名活動をする泡沫候補のようにすぐに消え去ってしまった。しかし、わが国の禁煙・嫌煙運動家は結構息が長い。これは排気ガス問題が大きくなることを恐れた自動車メーカーの団体が資金を出しているからだという。もちろん、直接資金を提供するような稚拙な工作はしていない。マネーロンダーリングや政治家の資金のように、巧妙なルートを使うのである。しかし、どうやら尻尾を捕まれそうになって最近は止めたそうだ。 非喫煙者と喫煙者は喫煙風習が旧大陸へもたらされてから400年以上もの間、平和に共存していたのである。その間、人間の寿命は着実に延び続けてきた。日本のそれは特に著しい。しかも、先進工業国でもっとも喫煙率が高いのに、肺癌罹病率がもっとも低いのである。(これは、れっきとした厚生省発表のデータであるから、やはり眉唾ものか?)疫学的観点からはこれをどう観るのであろう。 やはり、肺癌に罹りたくなかったら、タバコを吸おう! タバコの煙が嫌いな方のそばで喫煙を控えるのは当然のマナーで、これが出来ぬ喫煙者は喫煙失格者である。しかし、マナーを守る喫煙者、特にパイプ・スモーカーまでを巻き添えにする路上禁煙などは、明らかな人権侵害である。これは、自己および自己の集団と異なったものを全て排除しようとする、近年とくに目立つイジメ現象のひとつである。 ジャン・ニコー・コンフレリー(仏)会員 鈴木 達也 |
2007.06.20 |