禁煙ファシズムにもの申す
雲造院杢杢愛煙信士のつぶやき10 |
雲造院杢杢愛煙信士
某年某日 長生きしたかったら、少食だそうだ テレビで、色々な長生きの方法を紹介していた。その中に、少食プログラムと言うものがあった。 アメリカの話だが、医者の指導の下に、食事を制限して驚くほどの少量にすると、人間の飢餓に対する遺伝子を刺激し、長寿へのスイッチが入るそうだ。 そうまでして長生きがしたいとは……。 人間の欲望には恐れ入った。 長生きそのものが自己目的化しているわけだ。 人間、どう有意義に生きるかということではなく、単に長生きすればそれで良いという、いかにも即物的な考え方だ。単純極まるというべきか、一種の倒錯した考え方だと思うが、当のご本人はそうは考えない。 この考え方だと、たとえばシューベルトやモーツァルトのような夭折した天才音楽家、は、長生きできなかったから、「人生の失敗者」あるいは「人間の落伍者」ということになる。 今流行の、健康そのものが自己目的化した健康ブームもよく似ている。 いわゆる「健康なら、死んでも良い」というやつだ。 人間の価値や生き方、死に方については何も考えない。 こういう単細胞生物のような発想の奴は、日本にも意外と多い。 嫌煙教にかぶれた莫迦医者がその典型だ。 彼らは、健康で長生きするために、たばこは絶対ダメ、酒も控えるように言う。 長生きしたい方は、どうぞ酒もたばこも止めて、毎日、小鳥の餌程度の食事で、思う存分長生きしてくださいね。 私は別に早死にしたいわけではない。 しかし私の毎日の朝食の半分にも満たない量で一日を過ごせというは、絶対お断りだ。 お腹一杯たべて、酒もたばこも好きなだけ嗜むぞ!!! それで死んでも本望だ。 某年某日 余談ですが、満漢全席の話 テレビで満漢全席を紹介していた。五日間食べ続けで、中華料理を食べ続けるもので、その費用は、最低でも300万円以上するとの事だった。 そこまでは高くないが、私はある老舗の中国料理店で毎年2月に開催される満漢全席にこのところ毎回欠かさずに行っている。 その事をパイプ仲間の友人に自慢げに話したら、「それは良い経験をしているネ」と笑って、「実は私も満漢全席の経験がありますよ」と次のような昔話を語ってくれた。 今から25年前、100種類を食べる満漢全席を中国蘇州で経験したそうだ。 その当時の中国は、ホテルやレストランでは中国人価格と外国人価格の二重価格だった。 日本人が支払うと、日本の物価とあまり変わらない値段だが、中国人が支払うと大変安かった。 ある時、友人が経営している会社の中国現地法人の中国人幹部50数人を招いて盛大に慰労の宴会を催した。支払いは中国人総経理(=社長)が支払う形にして、実際は友人が全員の分を支払った。 高く付くと覚悟していたら、何と全部で5万円ちょっとだとか。 カネに糸目をつけずに盛大に飲み食いしたのに、これにはちょっと驚いたそうだ。 でも、よく考えて見れば、当時の工場労働者の給料が、月3000円程度。一人当たり1000円は一ヶ月の給料の三分の一にあたるわけだから、日本人なら5〜6万円以上払ったことに相当する。決して安くはない。 そこまで価格差があるなら、有名な満漢全席が安く食べられるのではないかと考え、総経理に交渉して貰った。 その結果、三人で約30万円とのことだった。 当時の香港で、一人100〜200万円と聞いていたので、友人は物好きな仲間を募って即注文したそうだ。 食材を集めるのに3ヶ月欲しいと言われたという。 さてさて、楽しみに待った三ヶ月後の食事会、中国まで仕事をしに行っているのか食事をしているのかわからない。 何しろ工場の隣が料理店だから、仕事をしていたら、「料理が出来ました」と呼びに来てくれて、食事をしてまた仕事の繰り返しが5日間続いたそうだ。 さすが、清朝の宮廷料理。 十分に食べても、次の料理が出ると食べられる。 考えて見れば、肉体労働は一切しなかった皇帝陛下を満足させるために考案された料理が満漢全席の始まりなのだから、いくらでも食べ続けることが出来るわけだった。 とは言え、さすがに5日目の料理には、ちょっと参ったそうだ。 私が毎年ご馳走になっている日本の洗練された満漢全席とはチョイト違って、昔の本場のそれは、珍味と言うかどちらかというと、ゲテモノの類いの料理だったとか。 それまでは見た目にも綺麗な料理だったが、5日目は食材そのものが判る様に調理してあったそうだ。 料理長曰く「本当に高い貴重な食材を使用していることを、見せる為に工夫しております」 娯楽映画の「インディー・ジョーンズの冒険」の中でご覧になった方もおられると思うが、本当に猿の頭がお皿の上に丸ごとあったというのだ! 食後のたばこ一服が素晴らしい料理の味に勝るとも劣らないことは、愛煙家なら皆、承知しているはずだ。 私など足元にも及ばない天下無双の愛煙家で鳴らす友人だが、お皿の上に猿の頭を見た後は、動揺してさすがにパイプに手が伸びなかったという。 |
2012.03.27 |