禁煙ファシズムにもの申す
駅が全面禁煙だとか、それなら駅でパイプ喫います −その2− |
<承前> 社員の自主性と創意工夫を重んじる伝統のある企業が社員全員に全面禁煙を強制するなど聞いたことがない。まして多種多様の人々が利用する公共交通機関が顧客に全面禁煙を強制することなど以ての外である。一部の過激な連中の圧力に押されて理不尽なルールを設けるのは、公共交通機関の使命を忘れた所業である。旧国鉄の28兆円に上る膨大な累積債務の返済には、増税によるたばこ特別税が充てられ、税額が毎年1兆円近い金額に上ることをJR各社の経営陣はまさか忘れてはおるまい。赤字垂れ流しの国鉄の放漫経営の後始末は喫煙者から無理やり搾り取った血税で賄っているのである。喫煙者を白眼視するJR東日本の振る舞いは、まさに恩を仇で返す所業のように我輩には思える。 江戸時代なら、JR東日本の経営陣は不届き至極ということで、筋道を重んじるお上がすべからく切腹申し付けるでしょうな。 余談になりますが、江戸時代の方が、刑罰の体系は因果応報で優れておりますね。西洋伝来の借り物の行き過ぎた人権思想に毒されておらず、我が国の国体にも人情にも合致しています。何よりも江戸幕府は、不始末のあった役人にはビシビシ責任を取らせて切腹させています。フェートン号事件のように、無過失と思えても結果として不首尾なら恥じて自裁ですから、役人の緊張感が違います。高級官僚が決して責任を取らない今の役人天国の制度とは大違いです。 マナーの悪い喫煙者への啓発が行き届いて、周囲の迷惑も顧みない不届きな喫煙者の姿は影を潜めた。そのこと自体は大変良いことである。満員電車の中で周囲の迷惑も顧みず悠然とたばこを吸うような喫煙者はもともといやしない。禁煙車両で堂々とたばこを吸う人も我輩は見たことが無い。朝夕のラッシュアワーの時間帯にホームの人ごみの中で、たばこをモクモク吸う喫煙者もいない。 行き過ぎた矯激なる禁煙・嫌煙運動は、社会に無用の軋轢と対立を生じせしめるという害毒を撒き散らし、人心を蝕むという点で憂慮すべきものであると思いますが、禁煙運動の功の部分がもしあるとするならば、シガレットのポイ捨てや人ごみでの喫煙など顰蹙を買う、程度の低いシガレット喫煙者に強い自省を促したことにあることは認めても良いと思います。 だから、真の愛煙家たる私は無制限の喫煙の自由を唱えているのではないのです。 喫煙者と非喫煙者が棲み分けして、折り合いをつけながらやっていくことが望ましい社会のあり方であると考えています。 だから分煙で行きましょうと主張しているわけです。 これは非常識なおかしな主張でしょうか? 日本の喫煙者は、駅のホームの片隅にある喫煙所で、ラッシュアワー以外の時間帯に大人しくたばこを吸っているだけである。社会規範を遵守する良識溢れる行動ではないか。それがどうしていけないのか、なぜ全面禁煙にまで一足飛びに飛躍するのか。私にはその粗雑で凶暴な思考形態が理解できない。 3番弟子君。温厚な常識人の君が理解できなくて当然です。矯激なるたばこ嫌いの連中の全面禁煙強制の主張の背後に見え隠れしているのは、喫煙者は社会から排除しても構わない、言うことを聞かなければ排除してしかるべし、という左翼全体主義者に顕著な原理主義そのものの発想ですから。 考えが違う者同士が、どこかで折り合いをつけて共生するという考えは皆無で、自分の思い込みだけが絶対に正しいと信じ込んでいるのです。 そうそう、そういえば、過激な嫌煙運動で鳴らす某団体には内紛などゴタゴタが絶えないという話を、たばこを吸わない友人から漏れ聞きました。伝聞なので真偽の程は確かめようもありませんが、ご自身を一廉の人物と思っていらっしゃるご立派な人士ばかりが、誰からも頼まれもしないのに自らしゃしゃり出て旗振りをなさっている訳ですから、組織に色々と軋みが生じるのも、さもありなんと思います。 過激な禁煙ファシストさんがもし政治権力を握ったら、愛煙家はГПУ(GPU)のような政治警察に逮捕されて強制収容所に送り込まれ、連中が大好きな自動車の排気ガスを無理やり吸わされることになるかもしれませんな。 それにしても日本の愛煙家は健気で痛々しいですよね。 矯激な嫌煙者が誤導するおかしな社会風潮の中で、踏まれても謗られても黙々と耐えている。 昔の東映映画の、無頼漢の無理難題や嫌がらせに必死に耐えている高倉健さんを思い起こすなぁ。 一部の嫌煙人種の中には、副流煙とやらを問題にする手合いがいる。なんでも副流煙を吸うと癌になるという“研究”があるのだそうだ。 矯激な嫌煙サン。馬鹿も休み休み言いましょうね。副流煙とやらと癌発生との因果関係を、その“研究”で証明できるのでしょうか? 副流煙とやらを吸って癌になったという人が果たしていたら、一人でも良いから名前を教えてください。 こうした“研究”とやらは、自動車の排気ガスや工場煤煙が主原因である大気汚染にはなぜか一切触れず、目を瞑ります。それでいて、たばこと癌に大きな因果関係があるかのように強弁します。 私は、こうした“研究”はそもそもの前提が誤っており、誇張が過ぎると考えています。まともに信じるのはnaiveを通り越してgullibleそのものでしょう。 たばこ嫌いの“研究者”さんに借問したい。 あなた方の住む惑星には、大気汚染は存在しないのですか? あなた方が、大気汚染が健康に及ぼしかねない悪影響を一切無視して、たばこの煙のみを槍玉に挙げる理由をご教示頂ければ誠に幸甚です。 矯激な嫌煙サン、自動車の排気ガスで自殺しようとすれば、すぐ死ねますが、たばこの煙で自殺は不可能ですよ。その辺をご自分の頭で冷静に考えてみて下さいね。 それこそ“医学研究”に名を借りた怪しげな主張そのもので、単にたばこの煙が嫌いだからこじつけているに過ぎない。たばこの煙は気体であり、空気中で拡散し稀釈される。喫煙者が毎日モクモク吸っていても滅多なことでは癌なんぞにはならないのに、稀釈されたたばこの煙を間接的に吸うだけで癌になる筈がないではないか。常識の問題である。 友人の医師に聞きましたが、なんでも、たばこ嫌いの研究者サンの “副流煙の有害性に関する研究”とやらは、たばこの煙が大気中で稀釈されないという“前提”に立っているのだそうです。煙の拡散、稀釈という物理現象を無視する真にご立派な“研究”です。たばこ嫌いの研究者サンが住んでおられる惑星では、煙は大気中で稀釈されないのかもしれませんがね。 誤解があるといけないので申し上げますが、私は適量の喫煙は心身がリフレッシュしてストレスが解消するので健康にとても良いが、吸い過ぎは体に良くないと考えています。酒もコーヒーも飲み過ぎが体に悪いのと同じ理屈です。付言するなら、人体に不可欠な塩分、ビタミン類も大量摂取は有害です。要は、嗜好品は適量が肝腎ということです。人間の体は正直です。体調が良ければ、たばこが実に美味い。体調が悪ければ、あまり美味しくない。適量かどうかは自分の体に聞けば良いのです。 しかし、自動車の排気ガスには適量はありません。 違いますか? 駅ではパイプを喫わない我輩も、今後は、人影が乏しいホームでは、せいぜい喫うように心掛けよう。駅員や警備員がすっ飛んで来て馬鹿丁寧に「お客様、規則で禁じられていますからお止めください」と制止しようとするだろう。一悶着起こすのを楽しみにしている。 3番弟子君、愚かなことは止めなさい。君らしくない。駅員さんや警備員さんと小競り合いしても仕方ないでしょう。彼らも好きでやっているわけではないんだから。 どうしてもやるというのならJR東日本の本社に乗り込んで、社長に正々堂々と抗議しなさい。 それがパイプを嗜む良識ある紳士の行いです。 愛煙幸兵衛3番弟子+補筆加筆、愛煙幸兵衛 |
2009/06/15 |