禁煙ファシズムにもの申す

禁煙ファシズムにもの申す

愛煙家鼎談 その2
(承前)

重村:

嫌煙運動や禁煙運動を煽動するマスコミの暴走ということですが、何か実例があった方が話が進めやすいと考えて古新聞の中から丁度、目にとまった新聞記事を持参しました。ご一読下さい。朝日新聞の記事です。


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愛煙:

(一読して)これは最近、読んだ記憶があるぞ。相変わらずひどいなと思った。最近、朝日は、嫌煙運動が本質的に持つ全体主義の危険性に遅まきながらも気がついて、野放図に肩入れするのは少し控えていると感じていたが、やれやれだな。

重村:

まさにやれやれです。朝日新聞をことさらに指弾するのは本意じゃないが、この記事は典型的な読者煽動の手法で書いているから、実にわかりやすい。

即ち、極端な事例を紹介して、一方の当事者の言い分だけを取り上げて、相手の言い分は無視する。新聞記者が検察官役と裁判官役を同時に務めて、相手を一方的に批難して弾劾する訳です。この手法でやれば、筆一本で凶悪犯罪の加害者を、社会の犠牲になった哀れな被害者に転換できる。

つまり、白を黒と言いくるめ、黒を白と言いくるめるのも自由自在の手法で、物事をきちんと考えない単細胞読者を煽りまくる煽情記事の典型例です。

公平中立なジャーナリズムから完全に逸脱しているが、執筆した記者は、禁煙運動、嫌煙運動こそが正しいと頭から信じ込んでいるから、無自覚だ。おそらく社会を啓蒙する優れた問題提起記事でも書いているつもりで、自己満足しているのでしょう。おまけに分煙を進めない企業に、何か刑罰を科す法律を作れと言わんばかりの口吻です。

蔵元:

朝日新聞OBのジャーナリストの清沢洌が、戦前の新聞の視野狭窄の戦意昂揚記事が国を誤らせたと反省して、ジャーナリズムは一方的な見方だけを読者に伝えてはならぬということを痛惜の念を込めて書いていましたが、相変わらずなんですね。

新聞社にはデスクと呼ばれる編集者がいて、未熟な記者がこうした特定の運動に荷担するような暴走記事を書くと、叱って書き直しを命じるのじゃないですか?

重村:

デスクも未熟な記者と同じ水準なんだろうな。見識のある一線級のデスクはバランスのとれた記事でないと、書き直しを命じるが、おそらくこの記事を通したデスクは、ジャーナリズムのあるべき姿を知らず、おまけに現場で鍛えられていないままデスクに上がった奴でしょう。

愛煙:

重村君は、執筆記者とデスクの未熟さが原因で、ジャーナリズムを逸脱してしまった記事だと指摘するが、ワシは、その見方は、はなはだ甘いと思うね。

なにせ伊藤律架空会見記、珊瑚落書き自作自演記事などの輝かしいフィクションニュースの伝統を持つ新聞社じゃよ。編集幹部の指示で、読者を一定の方向に洗脳するために故意に書かせたものじゃないのか? 

読んでみて、紹介している人物、パターンがあまりにも出来過ぎだね。胡散臭い。鼻が悪いワシでも芬々と臭うぜ。

重村:

修羅場をくぐりぬけてきた愛煙先生と違って、やはり僕は甘ちゃんで修行が足りませんかね・・・・・・。

確かに脚色や潤色がかなりあるようにも思えますが、僕はフィクションとは思いません。世の中に分煙すらもしていない企業が多いことに義憤を感じた記者が、憤りのあまり、ついつい筆が走った印象です。

分煙推進の問題提起をするのは良いが、雇用主の立場や主張を無視して一刀両断に断罪するのは、安物の危ういジャーナリズムだと批判しているんです。

蔵元:

我々は嫌煙運動、禁煙運動の行き過ぎと過激化を批判しているのであって、分煙は可能な限り進めるべきでしょう。だから、朝日のこの記事の問題提起そのものはとても結構だ。

今の嫌煙運動に見られるように、牽強付会に近い怪しい「医学的根拠」を振りかざして、全面禁煙を愛煙家に強制するのは論外ですが、タバコの煙が生理的に耐えられないという人がいるんですから、喫煙者は節度と思いやりを持たなくてはいけない。

ただ、この記事は、喫煙者、企業、組合を一方的に邪悪な存在と決め付けて、嫌煙者の言い分だけを絶対善なるが如く描いている。そこに問題がある。

善と悪が截然とした漫画チックな記事だから、慧眼の読者には記事全体が捏造じゃないかという、あらぬ疑いすら抱かせてしまう。

無邪気な、疑うことを知らない朝日の善き読者を想定して、いつもの伝でついつい薄っぺらな記事を仕立て上げてしまったということでしょうが、極めて子供っぽいやり方ですよね。

愛煙:

蔵元君の言う通りだ。それがサヨクの腐れマスコミの知的水準じゃよ。

重村:

先生は筋金入りの忠君愛国の士だからな。サヨク批判が手厳しい。

愛煙:

それはどうでもよい。

ところで、不思議なのは昔から、ブンヤと言えば、タバコをモクモクと吸いながら原稿用紙に記事を書いたものじゃが、最近はブンヤ気質も変わったのかね? やたらとタバコを敵視する記事が多いが。

重村:

僕はとっくに記者稼業を卒業しましたから、今のブンヤ気質は知りませんが、現役の後輩連中に聞くと若い記者はタバコを吸わないのが増えたようで、ブンヤ気質もすっかり変わってしまっているようです。

蔵元:

ドナルド・ジェイムズの言葉に「創造的な知的活動には、タバコのニコチンが不可欠」というのがあるが、記事を書くのもある意味で創造的な知的活動じゃないのかな?

重村:

そうだと思うよ。だから、今の新聞記事は断片的で詰まらないのが多いでしょ。新聞が官報みたいに詰まらなくなっている。若い記者連中は、パソコンで記事を書いているそうだから、うんうん唸りながら原稿用紙に鉛筆で書いていく苦労を知らない。昔は、それこそ彫心鏤骨して升目を埋めていったものだ。

脳内が煮詰まって原稿が二進も三進も捗らなくなったら、タバコを一服すると、あれまあ、不思議なことに、記事が自然に湧いてきたものだ。

僕の偏見だろうが、今様のパソコンで書く記事と、昔のように原稿用紙に手書きで書く記事は、同じように見えても、似て異なるものだと思う。パソコンでは苦心惨憺して、一字一句をひねり出していくという感じじゃない。

昔の記者クラブは、タバコの煙がもうもうとして、麻雀、花札、チンチロリンで遊んでいたり、長椅子に引っくり返ってグーグー寝ていたりと、さながら梁山泊のような雰囲気があった。

そういうヤクザな雰囲気の中にも、社会の木鐸を自負する気概や気風と言ったものがあったと思います。タバコを吸わない記者と言うのは、少数派で珍しい堅物の天然記念物みたいな感じだった。

やはり民放が女性記者を採用するようになってから、それが男の職場と思われていた新聞社に波及して、以来ブンヤ気質ががらりと変わったと思うね。

若い記者に社会の木鐸とか言っても、木鐸の意味も知らない、字も書けないんじゃないかな。死語ですよ。

(以下、重村流の回顧談とマスコミ批評が延々と続くが、タバコと関係ないので割愛)

タバコの話に戻りますが、物事をきちんと考える記者や編集者は、今の行き過ぎた嫌煙、禁煙運動に相当な疑問を感じているんじゃないかな。後輩とたまに飲んだりすると、「今のタバコ狩りの風潮は行き過ぎ」と云う奴が多い。ただ、山本七平先生が喝破なさったように、日本は空気が支配する国だから、なかなか言い出す勇気がない。

愛煙:

そんな世間の風潮に迎合するばかりの腰抜け連中ばかりが、今の日本のジャーナリズムを担っているわけだ。およそ言論人の資格がないね。「千万人と雖も吾往かん」が言論人の気概の筈じゃろう。

重村:

堕落してしまって、申し訳ないです。勝手に言論人代表としてお詫びします。(笑い)

蔵元:

テレビはどうなの?

重村:

テレビは所詮、娯楽メディアであって、言論報道機関ではありませんぜ。NHKの歴史ドキュメンタリー番組や一部の民放のワイドショーは、偏ったサヨク史観を巧妙にまぶして放送していますがね。

愛煙:

重村君、娯楽メディアじゃなくて、痴呆メディアじゃないのかい。本当の娯楽を提供できるパワーも無くなっている。どのチャンネルを廻しても、痴呆面をさらした自称お笑いタレントが、仲間内でバカ騒ぎを演じているだけでうんざりする。

今時、まともな人士はテレビは見ないじゃろう。 ワシがまともな人士というわけではないが、天気予報とスポーツ中継以外は、馬鹿馬鹿しいので殆んど見ない。荻さんや淀長さんが解説していた映画も、詰まらないので見なくなったな。

テレビも草創期の昭和30〜40年代は、骨のある第一線の連中が新聞社からテレビ界に移って、情熱を傾けて良い番組を作っていたが、そういう良い番組も少なくなったな。今のテレビ人は視聴率とゼニ儲けしか念頭に無い堕落した連中が多いと感じるね。

重村:

今のテレビ番組制作者は、視聴率を稼ぐために10歳の子供が喜ぶような水準の番組を作れと上司に言われるそうですぜ。テレビ視聴者の平均精神年齢は10歳のガキと同じだというわけだ。どうでもよい時間潰しの番組ばかりが増えるわけだ。

愛煙:

マッカーサーが「日本人の精神年齢は13歳」と小馬鹿にして、日本人は怒ったが、何を隠そう本当のところは10歳じゃったわけだ。(笑い)

(以下、テレビ批判の放談が続くが、これもタバコと関係ないので割愛)

愛煙:

さてさて、本題に戻るが、新聞の読者欄というのがあるな。あの欄には、嫌煙者や禁煙推進の意見ばかりが掲載されるが、重村君、一体どういうことなの? 愛煙家の声はまったく出て来ないね。

重村:

読者欄というのが曲者でね。あの欄に投稿する人は、掲載されるために、新聞社が喜びそうなことを自分の意見として書く風見鶏のような人が多い。掲載されると謝礼が貰えるが、掲載されないと文章を書いた労力が無駄になるからね。だから、今流行している世論に迎合するような意見ばかりが載るわけです。

世論であって、輿論じゃありませんぜ。念の為。

また読者欄の担当記者も、サラリーマン根性が染み付いたロートルが大半で風向きを見るのは得意だから、事勿れで、物議を醸すような読者の意見は採用しない。

蔵元:

新聞社と読者と称する投稿者の予定調和のナアナア関係が成立しているわけですね。

愛煙:

そういうのを古より、唇歯輔車の間柄と云う。

かくして、所謂「世間の常識」とか「社会通念」とかいう得体の知れないものが、いつのまにやら出来上がってしまうわけじゃ。

重村:

それが山本七平先生が名付けた「空気」というものです。この世間の「空気」は、右へ倣へが大好きな日本人に恐ろしいほどの影響力を及ぼし、裁判の判決も左右してしまう。

蔵元:

その空気に叛いて、堂々と喫煙擁護論を唱える我々は、いずれ社会の公敵にされるんでしょうね。

愛煙:

ワシは、嫌煙諸君からとっくにPublic Enemy 扱いされておるよ。(笑い)

そのうちに国賊と呼ばれるようになるかもな。ワシのような干からびた爺には、身に余る勿体ない称号だから、冥土の土産に大切に持っていくぞ。(笑い)

重村:

そういえば最近、Public Enemiesという映画があった。ディズニー映画でカリブの海賊の船長役のジョニー・デップが、ジョン・デリンジャー役をやっていて、そこそこ面白かった。

蔵元:

最後は警官隊に追い詰められて、蜂の巣にされるんだっけ?

重村:

そうそう。

冗談で済む内は良いけど、本当にそのうちに我々愛煙家は今、流行の言葉の「反社会勢力」扱いされる時代が、すぐそこまで来ていると考えた方が良いね。所謂「反社」というやつだ。

愛煙:

嫌煙、禁煙運動の旗振りをしているような矯激なる連中は、自分たちだけが道徳心と良識を持っていると思い込んでいるような手合いが少なくないからな。

蔵元:

確かに彼らとタバコについて議論していると、シー・シェパードとかいう鯨保護運動の過激派や、動物の権利擁護運動の過激派なんかと、何と無く似通ったメンタリティーを感じてしまいます。特定の一点にのみ関心が集中している。緑の党とか税金党とか、シングル・イシュー・パーティーというのが嘗てはやりましたが、シングル・イシュー・パーソンというわけだ。

重村:

蔵元君は、インテリだから、ソフィスティケイティッド(Sophisticated)な物言いがうまいな。(笑い)

僕は単細胞だから、つい、そのものズバリの表現をして無用の敵を作ってしまう。見習わないとね。

愛煙:

身も蓋もない言い方ではワシの方が上だ。反省、反省。(笑い)

(脱線続きの放談会ですが、愛煙家受難の空恐ろしい暗い時代の到来を予想したところで、長くなったので一旦切ります。次回をお楽しみに)
2010/12/17