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「故・太田昌伸氏を送る会」開催報告

日本パイプクラブ連盟前会長で連盟機関誌「ぱいぷ」の編集長を長く務められた太田昌伸氏は、平成20年11月21日に天寿を全うされました。享年85でした。

日本パイプクラブ連盟は、太田氏の当連盟に対する多大な貢献とその業績を顕彰するとともに故人を偲ぶために、去る1月31日に『故・太田昌伸氏を送る会』を開催しました。

当日午前中は、小雨そぼ降る天気でしたが、午後から幸いにも少し持ち直し、会場の(社)日本喫煙具協会会議室には、趣味のパイプの世界で太田さんにお世話になった方々や、パイプ仲間の友人知己が多数詰め掛け、故人の功績、遺徳を偲んでひと時を過ごしました。

太田さんは1945年、終戦の年に大学を卒業、戦後の混乱期は一時家業を継がれましたが、1956年から著名企業で会社員としての生活を送られました。役員を最後に退職された後は、第二の人生を現役時代から長年続けてきたパイプの世界に全精力を投入されました。

1986年に日本で2回目の開催となる第7回世界選手権大会の準備委員長に就任、1990年に開催された世界大会を成功に導かれました。その後、日本パイプクラブ連盟の第3代会長、連盟機関誌「ぱいぷ」の編集に携わり、八面六臂の活躍で連盟と各パイプクラブの活動を盛り上げ、喫煙具業界、小売販売店との繋がりを強固、緊密なものとされました。

太田さんが好んで使われた言葉が「煙の輪を拡げる」です。太田さんは、この言葉を文字通り実践され、パイプの世界での圧倒的な存在感を示してこられました。

「送る会」の会場の奥の祭壇の正面には遺影が飾られ、周りには太田さんの遺品や長年収集したパイプ、パイプ関連装飾品、多くの写真、本・雑誌の出版物、それに一時凝っておられた千社札がところ狭しと並べられました。祭壇の右手には、昨夏に柘製作所の柘会長が描かれた太田さんの肖像画が飾られており、ひときわ目を引きました。

開始定刻前から大勢の参列者が詰め掛けて会場内は満員の盛況で、会場内には参列者各位のパイプから立ち上る芳醇な煙が満ち満ちて、太田さんを送るにふさわしい和やかで厳粛な雰囲気が醸し出されました。

定刻にご遺族が到着、式次第に従って早速、大勢の参列客が焼香に移りました。香は普通のお香ではなく、太田さんがこよなく愛したパイプ煙草葉ラットレーのマーリンフレークを使いました。

参列者が太田さんの遺影に向かってそれぞれの思いを込めて一礼合掌して焼香、会場内にマーリンフレークの葉の芳しい香りが漂う中、発起人代表の日本パイプクラブ連盟鈴木達也会長が挨拶しました。鈴木会長は、太田さんとの最初の出会いから、家族ぐるみの親密なお付合い、世界大会などでの海外での交流、連盟での数々の業績などを語り、故人を偲びました。

続いて斎藤義嗣理事長が経歴を紹介、太田氏がパイプを始めたのは学生時代だったなどの逸話も披露しました。

内田昇連盟副会長は、惜別の情を込めて同世代として想い出を語って、献杯の発声。これに合わせて参列者一同、故人を偲んで献杯しました。

引き続き、ご遺族を代表して、ご長女のご主人森浩三様からご挨拶がありました。故人は、こよなく愛したパイプの世界に打ち込むことで人生の収穫期を充実させ、晩年を素晴らしいものにすることが出来て幸せだったろう、故人はパイプの世界での活動を心から楽しんで喜んでいた、と紹介されました。

小売店を代表して悼辞を述べた東京銀座・菊水の内藤幸太郎社長は、太田さんがお店に現れた時のエピソードなどを披露して太田さんとの別れを惜しみ、各パイプクラブからは岡山パイプクラブの砂山有生会長(代読)が、岡山で全日本パイプスモーキング選手権大会を開催した際の太田さんの懇切な指導の思い出などを語りました。

この後、歓談に移り、ご遺族もまじえて、太田さんにまつわる想い出話、昔話が至る所で花開き、展示品の前では思い出話の輪が更に広がりました。太田さんの遺影がにこやかに見守る中、パイプの世界の人々の交流が一層深まる感がしました。

太田さんは賑やかな催しがお好きな方でしたが、泉下の太田さんも、さぞ満足された「送る会」だったと思います。

当日の出席者はご遺族5人(未亡人、ご長男、ご長女、ご主人と長女次男)に加えて、参列者91名の合わせて96名。喫煙具関連業界各社のトップがこぞって出席され、連盟傘下の15のパイプクラブから代表が出席しました。遠方の各地のパイプクラブからは多数の弔電を賜り、司会者が披露しました。また多くのパイプクラブからお花代が寄せられました。

主催者として心から御礼申し上げます。

日本パイプクラブ連盟事務局長 梶浦恭生