「メンバーシップ」と「スポンサーシップ」
村上 征一
銀座菊水の内藤幸太郎さんは、常に「メンバーシップ」と「スポンサーシップ」を体現されていた方だと思う。
私がJPSC入会を許され、比較的熱心に参加していた昭和40年代後半は、創立メンバーである内藤さんは、何故か例会出席も少なく、会合でも物静かで目立つ存在でもなかった。それでいて、裏方では世話人の方々の相談に乗り、会場手配などの手助けをされていた。
当時のメンバーは多士済々で、会の運営などで意見交換すると様々な意見が出されるが、内藤さんは決して商売っ気を表に出さず、会の決定を素直に受け入れていた。それでいて、会で決められた役割は、きちっと果たされていた。
第2回全日本パイプスモーキング選手権大会は、当時の日本専売公社の葵会館(東京・虎ノ門)2階の大会議室で開催されたが、JPSCメンバーはみんな選手としての参加を希望しているため、司会役を引き受けようという会員がおらず、苦慮したが、結局、内藤さんが快く引き受けられ、あの飄々とした持ち味で見事に務められた。
着火の合図、区切りでの経過時間、リタイア者が出たらその人に応じたアナウンス等々、実に司会が的確だった。この時は、まだ司会者の台本は無く、内藤さんの考えのままに大会は進行したが、第3回大会以降、全国のパイプクラブから参加者が集まるようになって、しっかりした司会には台本が必要になり、内藤さんの司会ぶりが大いに参考にされた。
なお、この第2回大会で優勝し、全日本選手権大会チャンピオンになったのが、現JPSC代表世話人の関口一郎さんである。(ちなみに、この大会での最初のリタイア者は、春山商事の春山徹郎現社長だった)
創立以来、亡くなるまでメンバーでいながら、例会で上位入賞を目指すことも、会の中で商売っ気を出すこともなく、それでいて会の運営をしっかり支援されていた。
JPSCが、半世紀近く命脈を保っているのは、こうした「メンバーシップ」と「スポンサーシップ」を体現している方々のお陰ではなかろうか。
内藤幸太郎さんに感謝申し上げると共にご冥福をお祈り申し上げます。
合掌
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