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訃音 |
徳島パイプクラブ名誉会長の木内成一さんが、平成25年9月13日昼に逝去なさいました。享年90。木内さんは、パイプスモーキングの全国大会、地区大会で数々の偉業を成し遂げられた方でした。お人柄は、温和で謙虚。教えを請われれば、気さくにロングスモーキングの技を伝授なさる方でした。傘寿を超えて、次々に全日本大会、地区大会で優勝を飾られ、大記録を樹立なさるその矍鑠ぶりは、パイプスモーカーの驚嘆の的でした。 在りし日の木内さんを偲ぶ文章がパイプ仲間から寄せられましたので、ここに御冥福を祈りつつ掲載致します。 日本パイプクラブ連盟
巨匠逝く!!平成25年9月13日昼過ぎ突然の訃報に驚いた! 私の師と仰いでいた木内氏が亡くなり心身ともにガックリ……。 パイプクラブを大事に想い後継者を育ててくれた人格者でした。昨年あたりから体調を崩されていたが、徳島市内から20km程離れた自宅から例会には毎月欠かさず参加されていた。しかし、高齢のため自家用車の運転は家族に反対され、バスで1時間余をかけて参加されていた。この熱意には私達会員も頭が下がる思いでした。 ところが今夏7、8月は欠席された。今夏の異常気象、暑さは格別だったから、何処か体調が悪いのではないかと心配していた矢先の訃報でした。 パイプスモーキング大会では過去数々の大記録を持ち、素晴しい技術の持ち主だった。日本の40年間にわたるパイプスモーキングの大会史上稀に見る人物であり、今後その様な人は二度と現れない気がする。享年90と高齢者ではあるが惜しい人を亡くしてしまった。 木内氏、安らかにお眠り下さい。 合掌 徳島パイプクラブ会長 藤本 英明
木内成一さんを偲ぶ徳島パイプクラブ名誉会長の木内成一さんが亡くなられた。享年90。 この記録は今後も誰も追いつくことは出来ないであろう不滅のもので正にロングスモーキングの王者であられた。優勝を積み重ねる裏には、早く消えた際にはその原因をとことんまで追究されるとい研究熱心さがあった。 しかし木内さんのパイプに向かう姿勢をみると、記録を伸ばそうとの執念だけではなく、パイプに対する深い愛情があったからこそと思われる。 コンテストの際にパイプを喫う姿勢を全く変えず2時間以上を吸いきる集中力と忍耐力にはまさに驚異的であった。ボウルを支える3本の指の感触で、ボウルの中の火の位置を絶えず把握しておられたという。 木内さんはかって病魔に犯されて2回の数年の中断がありながらもパイプを離さず、パイプを喫い続けて優勝を積み重ね、誰もが近寄れない金字塔を打ち立てられた。 ひと度コンテストが終了すれば柔和な人懐っこい顔に戻られる。今後は木内さんの温顔に接することは出来ないのかと思うと、悲しみに耐えられないものがある。 平成25年9月16日
日本パイプクラブ連盟 会長 梶浦 恭生
木内名人の思い出木内さん 木内さんを多くのパイプ仲間は尊敬と憧れを込めて「木内名人」と呼びます。 60代で3回、70代で5回、80代で2回の優勝は前人未到の大記録です。 皆さまご存知の様に、木内名人は人格者でした。普通の人だったらこれほど優勝されていたら、尊大な言動をするかもしれません。しかし、木内名人はその様な事は一切なく、いつも控えめに「まだまだ未熟者です」と大変謙虚でした。 たばこの喫い方のコツを聞いたら、懇切丁寧に教えて下さいました。尤もお聞きしても、私達未熟者にはその何分の一しか身につきませんでしたが、お陰様で私も全国チャンピオンの一人に加えていただきました。 30余年にわたる長いお付き合いの中で、特に思い出に残る大会がいくつかあります。 第29回の静岡大会の時、木内名人が1位、私が2位になった時。「実は肺気腫を患ったので、寂しいけれどこれが最後の大会になる。これからは君達の時代だから、精進しなさいよ」と激励されました。 翌年の大会で私が優勝した時、その次の年に、岡山PCの藤原氏が優勝した時も「おめでとう。これからも頑張って下さい」の祝福のお電話を頂戴しました。 その後、徳島パイプクラブの例会にパイプは喫わなくても参加され、他の方 「もし私が倒れたら、この酸素を吸わせて下さい。」と、酸素ボンベを示されました。 結果は2位。 さらに、全日本大会では35回東京、36回岡山と80代で連続優勝なさいました! 残された私達は、木内名人を目標に精進します。 空の上から見守っていて下さい。合掌
岡山パイプクラブ会長 香山 雅美
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