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静岡パイプクラブ会長望月欽太氏を偲ぶ

静岡パイプクラブ会長の望月欽太さんが、平成28年1月20日に逝去なさいました。満80歳でした。慎んでご冥福をお祈りいたします。
静岡パイプクラブから寄せられたお別れの言葉を掲載いたします。 

日本パイプクラブ連盟

弔辞

望月会長 あなたの突然の訃報に接し、私はただ呆然とするばかりです。会長のような人物を失うことは、静岡パイプクラブのさらなる発展を期するべき時にあたり、痛恨の極みであります。

会長は、静岡パイプクラブの前身の「駿河パイプクラブ」の創設期から事務局を担当され、昭和58年に「静岡パイプクラブ」に改変した以降もクラブの中心メンバーとして、40年余り活動に参加されて居られます。

私は平成4年7月に静岡パイプクラブに入会させていただきました。例会終了後に電電ビル南側の喫茶店に誘われ、親しくお話をされたことを思い出します。帰り際に「折角、入会してくれたが、俺はクラブを退会しようと思っている」と言われました。その後数回例会に出席されましが自然退会に至りました。活動が飽き足らないとかんじていたご様子でした。

当時の静岡パイプクラブは日本連盟には登録せず、県中部地区に居住する自営業者やライオンズクラブOBの方々が中心の組織で、例会はタバコやグルメに関する会話が多く、活動は沈滞しているように思え例会の出席者も10人足らずの状況でした。

平成7年頃、毎年開催される「全日本パイプスモーキング選手権大会」に個人エントリーで参加していた老舗果物店「柿豊」店主の西村さん、その後、銀行を定年退職され家業に従事し静岡でも屈指の品揃えのある喫煙具タバコ販売店を営む杉山さんに加え、20歳代30歳代の若手が多数入会され、静岡パイプクラブは変革期を迎えました。

『日本連盟に入会し、ロングスモーキング大会に出場しよう、交流に輪を拡大すべき』の気運が高まり、クラブは再スタートを期して平成9年旧メンバーの望月欣太さんに「会長の就任」を懇願しました。

同年11月出身中学の静大付属中学の創立50周年の記念パーティの席で望月会長にお会いし、会長が3期、私が15期、西村さんの奥さんが24期と先輩後輩の間柄が判明し、親近感が深まった様に思いました。

平成10年7月「パイプクラブ関東地区大会に出場しロングスモーキング・コンテストの様子を見て来い」の命を受け、私を含めメンバー4人が大会に参加しました。柘製作所の佐久間さんをはじめ 連盟所属の多くの会友と知り合え スモーカーの拡がりを提案しました。
例会で連盟加入と大会出場を決議し、翌年11月鎌倉で開催した第26回全国大会に静岡パイプクラブとして初めて出場しました。

その時望月会長は「タバコ販売促進用使いすてライターコレクション」500点余りを特注の額縁に入れ展示されました。

パイプスモーカーは、自身所有のパイプをよく自慢し合います。

望月会長のコレクションは大きな反響を呼びました。

タバコを愛する故のコレクション、著名作家のパイプ、高価なパイプを競い合い自慢するのではなく、全く異なった視点・観点からの展示物であったからです。

それは静岡パイプクラブの特長や存在を知らしめることでもありました。

全国大会は毎年全国各地を巡り開催されます。

平成14年 静岡ホテル・アソシアで第29回全国大会を開催しました。連盟登録5年を待たず 全国大会を開くのは異例のことでした。

望月会長の人を引き付ける魅力 「粋」によるものだと思います。

開催の準備・当日の運営に 奥様 ご子息 ご令嬢のご協力を頂きました。家族総出のご支援でした。家族家庭の在り方をお教え頂いたと思います。

静岡大会では、タバコ生葉の展示、喫煙具の販売、吸い方教室、パイプ作家の招聘、等、現行大会で実施している全てを行いました。静岡大会以降、大会の開催モデルになったとメンバーは自負します。

一昨年、会長から「会長を辞任したい」との申し出がありました。

メンバーは挙って、留意と退任の反対を表明しました。

私は「終身会長であるべきだ」と言いました。

私は、前言を悔い 撤回します。

メンバーには鈴木君、牧田君、私を含め、ボーイスカウトに携わった者がいます。スカウトソングに「永遠のスカウト」なるものが有ります。

1番の歌詞は
一度スカウトに 誓いを立ててなりし身は いつもスカウトだ
その歌詞の4番の結びは “死して後もスカウトだ”と有ります。
私にとって、望月会長は、永遠に静岡パイプクラブのメンバーであり 静岡パイプクラブの「会長」であり続けます。

例会の出席や大会の参加のための奥様を同伴される前の、10年余りの間、 鞄持ち役割が担え、都度、多大な教えをいただき有難う御座いました。

南 無 阿 弥 陀 仏

平成28年1月26日
静岡パイプクラブ  加藤 秀之

お別れのことば

静岡たばこ愛好会会長望月欽太さん。

会は全国的にも珍しく、静岡パイプクラブ・たばこ販売店・JT退職者、3団体有志で構成しています。

喫煙マナーの向上、喫煙場所の確保、情報収集等々、愛煙家が、おいしく「たばこ」を喫える社会を目指しています。

望月会長は、パイプクラブの会長でありました。趣味は「ライター」収集で、昨年コレクション展を開催し好評でしたネ。

又、将棋JT杯前夜祭の時、JT高級品「ザピース」を懐かしんでいました。

研修会で、現在、朝日TV、月曜日夜8時からの「ぶっちゃけ寺」に出演、上方落語家「露の団姫さん」、比叡山延暦寺への修業前、会員の富士宮市在住鳴海さんと言うご縁で、静岡市丸子の丁子屋さんで、一席「たばこ」に関する、上方落語を聞いたことも、自慢話の一つでしたネ。

愛好会研修旅行で、東京・柘製作所見学、パイプ製造現場を見た時は、子供みたいに喜び一杯の姿でした。

昨年秋、念願かなって、スカイツリーと、渋谷から新築移転「たばこと塩の博物館」の見学では、今は懐かしい昭和時代車内吊りポスター「今日も元気でたばこがうまい」、両切りたばこ「いこい」等々たばこパッケージの展示を楽しんでいましたネ

数年前から健康に自信がなくなりかけたのか、会長職を辞退したいと口ぐせでした。

七十七才、喜寿のお祝い後、まだまだ八十才前なので、もう少し頑張って欲しいと、会員誰もが思っていました。

会長職、挨拶は必ず漢詩の一部とか現代用語解説などを盛り込み、含蓄のある話で予定時間をオーバーし、いつも語りつくせないと、司会進行者を悩ましていました。
今となっては懐かしい思い出です。

三途の川を渡るときは、六文銭と、パイプたばこは忘れないで持参して下さい。天国行きの乗り場は、分煙か判りません。愛煙家としてのマナーで、一言断って静岡パイプクラブ会長の存在感を示し、ポパイみたいに、パイプに火をつけ紫煙を楽しんで下さい。天国に着いたら「たばこの効用」等々、話をはずんでください。会員一同からお願いしておきます。

会長亡き後、会員一同、喫煙マナー向上運動等々励んでゆきます。

安らかに!!

良い思い出つくり、多くさんありがとうございました。

さ よ う な ら
さ よ う な ら
静岡たばこ愛好会  副会長
静岡たばこ退職者の会 会長  鈴木 宗弘 合掌

望月欽太兄を偲んで

甲の年の賀状を頂いたばかりなのにまさかの訃報でした。

兄貴として慕っていただけにとても残念です。パイプクラブの例会ではいつも粋でいなせでしかも博学な人でした。自分には持ち合わせていないいろんなものを持っている方でした。人はいつかは最期の時を迎えるとはいえ早過ぎる訃報でした。柩の中に眠っている姿はとても穏やかな寝姿で額にそっと手を触れてみると冷たく、やはり欽太兄はあちらの世界に逝ってしまったのだと納得せざるを得ませんでした。

ひと月に何度も書簡のやりとりを重ねていましたが、その手紙のかれた文字、文章、封筒の体裁、古切手の趣き・・・どれひとつをとっても風雅に満ち、こだわりを重んじたものでした。大事に文箱に保管してあります。

喜寿の祝いとして私へ贈っていただいた十二支墨の磨墨の時はいつも欽太兄思い出しながら摺らせていただいております。

欽太兄、本当にいろいろありがとうございました。ゆっくりおやすみになってください。

静岡パイプクラブ    久米 弘道

「耆宿」の師に捧ぐ

生意気で返せば、粋で返され、覚えたての粋で返せば、物事の真理の美しさで返す。煙をふかしながら、あたかも将棋を指している様な、証明問題を解いているかの様な時をありがたく思い出います。

所作から芸者遊びまで、多くの知恵や知識を教えていただきました。半分程の年の私に友人の様に接していただきました。

例会の雑談の中、「俺も、まだまだ、知らない言葉があるんだな〜」と呟くと、「生意気な言い方するなあ〜」と、その時は、冗談交じりに返し下さいました。半年位経ってから、「ああ言う言葉の中に、自分自身では分からない、傲りでてしまうもの、人はそこを見る、気をつけろよ。」「人って、ややもすると知らない言葉があったりするけどな。」その時には言わないで、私が素直に聞ける時を待って、私の事を思って、言って下さった懐の深さを思い出すと、涙が溢れます。

望月会長に「こんな言葉、知っているか?」と渡された紙に「耆宿」と書いてありました。後で意味を調べてみれば、「豊かな学識と徳望をもつ老大家。老いて徳望・経験のすぐれた人。」今になって思えば、望月会長に一番似合う言葉ではないのかと思います。

逝かれた日は、正月の廿日でした。偶然にも私の生まれた日でもありました。勝手ながらも縁を感じてしまいます。望月会長への恩は世の中に返すもりでいます。また、そうできる人間でいたいと思います。

優しくて、粋で、博学で、何よりも人を大切に思う。私にとって人生の師であります。どの位、私が理解出来ていたかは分かりませんが、「また今度、会った時に教えて貰おう」。と言う事の出来ない現実を受け止めた時に、改めて、望月会長の愛を感じます。

ありがとう、人生の師、望月欽太、本当にありがとう、耆宿の師、望月欽太。

静岡パイプクラブ  早川 たかし