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高橋秀男さんご逝去


日本パイプクラブ連盟の設立発起人の一人で、その後連盟役員として長く活躍され、六本木ローデシアンパイプクラブの創立者でもあった高橋秀男さんが、今年1月に永眠されました。享年85。

追悼の辞が寄せられましたので、ここに謹んで披露致します。

 

日本パイプクラブ連盟事務局

 


 

高橋秀男さんを偲んで

 

写真提供:六本木ローデシアンパイプクラブ 今井雅昭さん

 

一月末、残念なことに六本木ローデシアンパイプクラブの創設者高橋秀男さんのご訃報に接することとなりました。

 

多くの皆様ご案内のとおり、高橋さんは半世紀前の日本パイプクラブ連盟設立発起人の一人として、専売公社(当時)はじめ喫煙具業界、たばこ卸し小売業界等々との幅広い交友関係を基に今日の連盟の礎を築かれた方でした。

 

私自身も長年に亘りお世話になるばかりで、何らのご恩返しもできないまま今日を迎えた情けなさに恥じ入るばかりです。

昭和50年代、愛煙家であった父へのプレゼント用の葉巻購入で職場近くの高橋さんが営まれるカプノス六本木様に伺ったのが、そもそものお付き合いの始まりでした。もとより喫煙とは全く無縁の私でしたが、何回かお伺いする中、柔和な笑顔でロングスモーキング大会の存在、魅力・面白さを交え、「一緒に楽しまないか」とのお誘いをいただくことになりました。所詮金持ちの道楽ではないか、とか、煙たいだけなんだろうとの思いもありましたが、珍し物好きの私には温かく接して下さる高橋さんご本人への好感が勝り、ともかくお誘いのお言葉に甘えさせていただくこととなりました。

 

全国大会開催日、毎度のこと高橋さんが2〜30分で早々にリタイアされることを不思議に感じていたところ、理事長の立場で大会運営に関わることになって初めてその理由が判明しました。大会運営の縁の下の力持ちとして寄与して頂いている各業界関係者の皆様へのケアに奔走されているお姿を拝見したことです。ともかく義理・人情に厚いお人柄でしたが、ロングスモーキングのテクニックに関しても豊富な知識を有されており、平成19年に青森パイプスモーカーズクラブのご尽力の下に開催された34回大会前夜、高橋さんから「詰め」「押さえ」「回し」に関する新たな技法を伝授していただき、本番前に何回か試喫して臨んだところ、チャンピオンパイプを拝受する幸運に恵まれることになりました。

 

高橋さんとの出会いから45年、以来、全国の多くの皆様との交友関係を構築させていただくことができ、加えて仕事上のストレスから解放してくれたのもパイプ煙草から得られる独特の喫味感と視線を漂う無指向な煙の行方でした。

 

訃報に接した翌日、お言葉に甘えてお別れのご挨拶に伺わせていただきました。ローデシアンパイプで寛がれたお姿のご遺影、ご本人が用意されていたとのこと、今にもご生前と変わらず温かく語りかけてこられるように感じ、涙が止まりませんでした。

「苦痛とは無縁に愛用のローデシアンパイプとともに旅立たれた」等々、気丈に振る舞われている奥様はじめご家族の皆様のお姿にほんの少しだけ救われたような気がしました。

 

以上、謹んで哀悼の意を表し、ご冥福をお祈りいたします。

 

合掌

 

六本木ローデシアンパイプクラブ 千田 彰

 


 

高橋さんの思い出

 

高橋さんの訃報に接し悲しみに堪えません。心からご冥福をお祈り申し上げます。

高橋さんに初めてお目にかかったのはいつの頃か定かではありませんが、最初にすれ違ったのは今から考えると昭和49年(1974年)頃かもしれません。その年前後にパイプクラブが各地に誕生し、世界大会を見据えて日本パイプクラブ連盟(PCJ)が結成されました。世界パイプクラブ委員会(CIPC)の決まりでは、各国から加入できるのは1クラブにかぎるとあり、PCJが日本代表メンバーとして加入しました。PCJは不思議なクラブで会員はパイプクラブで個人メンバーはいません。

第1回全日本パイプスモーキング選手権大会は日本パイプスモーカーズクラブ(JPSC)の結成5周年事業として昭和47年(1971年)に銀座東急ホテルで開催されました。その頃から高橋さんにとはご縁があったのかもしれません。ただしJPSCの下っ端に過ぎない者が、たばこ販売業界の方々に親しく接するわけもなく、例えお会いしたとしてもすれ違いだったでしょう。

当時高橋さんは青山パイプクラブのメンバーでしたが、その後六本木ローデシアンパイプクラブが結成され、メンバーになられました。PCJとはご縁が深く、PCJが設立されると会計担当理事となられ、連盟の重鎮として長らくご活躍されました。

高橋さんとご縁が深まったのは、平成13年(2001年)にJPSCの事務局長を引き受け、また故関口一郎さんの米寿のお祝いを各クラブの主要メンバーをお招きして東銀座のサロンドジュリエで開催した折からだったと思います。立食パーティーで高橋さんとかなり長時間にわたり話をした記憶がります。

JPSCの事務局長となると必然的にPCJの運営についても責任を負う形となり、その後、PCJ常任理事会議長として、会計理事の高橋さんとはかなり頻?に行き来するところとなりました。全国大会や地区大会の開催、連盟のホームページの立ち上げ、それらの関連プログラムや広告集めなどについて、高橋さんはご自分から意見を述べられるのではなく、求められればあの温顔が鋭いまなざしに変わり、忌憚のないコメントを出され、いろいろと連盟の運営に役立つ貴重なご意見を頂戴した記憶があります。パイプはどちらかち言えばたばこの世界でマイナーな存在ではありますが、お店の忙しい中で時と労を惜しまずお付き合いいただきました。

高橋さんはカプノス六本木の店主として、六本木ローデシアンパイプクラブのメンバーとして、またPCJの役員としてパイプの世界に長い間重きをなされました。このようにパイプの世界の多岐多面にわたり精通し、活躍される方は今後はおられないのではないかと思われます。それだけにパイプの世界が、貴重な人材の高橋さんを失ったことは大変残念なことであります。高橋さんは今では、我々パイプを愛する者の下々での動きを、あの笑顔で天から見下ろしておられるのではないかと思います。

改めて心からのご冥福をお祈り申し上げます。

 

日本パイプクラブ連盟名誉会長 梶浦恭生