パイプの愉しみ方
ブライアと優雅に遊ぶ 〜徳富博之の即興的パイプ制作
PIPES AND TOBACCO誌 (2006年夏号pp.20〜24)より
左から:ダン・パイプの変種(1999)、リクライニング(2005)、非対称ダブリン(2005)
デンマーク行きの第一歩として、1974年にシベリア鉄道に乗り込んだ徳富博之は、このとき27才。この時代によく目にした海外放浪の若者達と同じように、少々ダブダブの衣服に黒い髭と長く伸ばした髪のいでたちであった。しかし、徳富は既に、そのユニークな創作意欲と冒険心に駆られていたのである。この若い東京の木彫家はパイプを何点か自作したあと、ブライアにすっかり魅せられて、北欧のパイプ作家に教えを請う決心をしていたのである。一週間ほどW.O. Larsenの工房で見習いをしたあと、徳富はあの伝説的パイプ作家であるSixten Ivarssonの門を叩いた。そして、Sixtenは、この若い日本の熱烈な崇拝者を快く迎入れることになった。かくして、短いながら真剣かつ極めて実り多い修行生活が始まり、生涯を通じて徳富はパイプ制作にSixtenの示唆と教えを受け続けることになるのである。
三ヶ月後(訳注:原文では一ヶ月になっているが、誤植)徳富は帰国したのだが、彼はSixtenが別れ際に語ってくれた言葉を今も忘れる事ができない。デンマークの師匠は、若者の手を取り、『パイプ作家として成功したら、またデンマークへ来なさい。』そして、Sixtenは微笑みながら付け加えた。『その時には、スーツにタイを締めて来るのだよ。』
しかし、謙虚で自己批判を常に忘れないこの作家が、デンマークを再び訪れるには三〇年ほどかかることになる。徳富は、多くの美しいパイプを制作しながらも、一九八〇年・九〇年代は主として象牙作家として活躍を続け世紀が変わってからやっと、特に米国市場で急速にその名が知られるようになり、その全精力をパイプ制作に向けることができるようになった。そして、二〇〇四年の十月末に航空機に乗り込んだ徳富は、コペンハーゲンで開催されたヨーロッパ・パイプスモーキング選手権大会と同時開催されたパイプ・ショー会場へ出掛けたのである。そこでは、世界の最も優れたパイプ作家達が展示された徳富の作品を賞賛と感激の目で見ることになった。それぞれ異なった作風の作家達、Teddy Knudesen, Bo Nordh、Lars Ivarsson、Jess Chonowitsch、Peter Hedegarrd、Ulf Noltensmeier、そしてPaul Ilstedなどが徳富の技巧と創作力の豊かさを賞賛し、ときには徳富の作品構成にみられる日本的美意識に刺激を受けていた。徳富作品への高い敬意の念は彼の革新的デザインが、個々の作家がそのイメージを膨らませ、互いに意見を交換することによって示されたと云えよう。
デンマークの作家達による徳富の受け入れは心暖まるものであったが、彼の今回の訪問の感傷的なハイライトはショウの後になってやってきた。寒い十一月の霧深い朝、五十七才になったパイプ作家は、コペンハーゲンの墓地を訪れSixten Ivarssonを記念する小さな碑の前に一人で立った。深く頭を垂れ、潤んだ目をつぶり、一九九九年に逝ったその師の為に静かな祈りを捧げた。徳富の白髪まじりの頭は、今は短く刈られているが小さな口髭は残されていて、普段はカジュアルなスタイルだが、この時ばかりはきちんと仕立てられたダークの上着にタイを締めた。
私にとって、二〇〇四年の徳富のコペンハーゲンへの旅は、現代のパイプ制作史の重要な一頁を画するものに思える。日本のパイプ制作の名匠が三十年の空白を経てコペンハーゲンへ戻ったとき、彼はSixten Ivarssonのデザインと技巧の革新主義を、洗練した形に熟成させ総括した形で持ってきたばかりでなく、時として彼の師匠のアイデアとシェープを完全に描き直してみせたのである。徳富の新しいスタイルのパイプ制作とその構成は、驚くべき独創的な手法でヨーロッパと日本の伝統を融合させているのである。徳富の作品は明らかにデンマークの輪郭をとるものの、同時に、日本画の軽やかな筆致を思い起こさせるのである。これは、Teddy Knudsenの直線的柔らかさを持つプラトーのホーンに、仏教寺院の石庭や象牙彫刻の非対称の均衡にみられる三次元的柔軟性を結びつけたと云えよう。徳富のデザインはSixtenの影響なしに生まれはしなかったであろう。しかし、徳富が持つ日本の芸術的伝統との創意に富む強い結びつきがなければ引き出されることはなかったであろう。
徳富のパイプ・デザインの中心にはユーモアと楽しさにあふれた即興性もみられる。最も難解な作品も、彼が制作に向かう時の茶目っ気が分かると、はじめて理解できるのである。徳富は、ディスク・サンダーに向かう時は“ブライアと優雅に遊ぶのだ”と云ったことがある。パイプを形作る時、その構成上に直線が出ないようにチェックし、もし見つかればそれに曲線をつけるなり捻りを与えて修正を加える。日本の伝統的芸術では、直線は人工的とみなされ、自然界に多く存在する自由な形状の微妙な揺らぎと不規則性に較べて、不自然かつ美的に劣るのだという。
徳富が多用する非対称形と、それが作品にもたらすある種の視覚的エネルギーは、西欧の美的感覚に慣らされた目には不安定な、あるいはそれ以上に心理的攪乱をもたらすものと写るかも知れない。しかし、われわれが慣れ親しんでいる対称形の均衡という前提を離れてみると、徳富の多くの挑戦的デザインの中に横たわる黙想にも似たある種の平静さを発見するであろう。
これが徳富の技巧の強みであり、彼の芸術の訴求力でもある。この事から、デンマークで彼の作品を見た多くの作家達は、自身の作品に柔軟な造形を試みる欲求に駆られ始めた。事実、その後多くの作家が斬新な非対称形を試みるのを見るようになった。デンマークではTom Eltang、Teddy Knudsen、Peter Hedegaardそして米国ではTodd Johnson、Michael Lindner、日本では後藤、佐藤など、そしてトルコでさえ新しいメアシャム作品のブロー・フィッシュが見事に徳富調で現われたのである。筆者は、徳富が今後さらにその著名度を増し評価が高まると、彼の日本的美意識と他の制作スタイルとの相互影響をますます多く目にすることになろうと考える。また、極めて独創的なパイプ・デザインが、例えば米国のような第三国の新世代の作家から生まれてくるかも知れない。米国の芸術的伝統はこれまで外部から多くの影響を受けてきたのである。
しかし、私自身は、この二つの小さな島国、あるいはほとんど島国の日本とデンマークの人々がパイプ・デザインを相互補完的に発展させるほどに、文化と工芸に多くの類似点を共有していることに特に興味を惹かれた。例えば、デンマークの工芸作家は永年にわたって工芸と芸術の間のどちらとも云いがたい中間的作風を推し進めてきているが、デンマークの優れた家具は機能性に表情を与えていて、ちょうどKent Rasmussenのパイプには“喫煙可能な芸術”と考えても良い作品も見られるのと同じである。同様に、アマハースト大学の美術史の同僚教授が徳富のパイプとジョージ・ナカシマの家具作品との比較論を述べたことがあるが、建具の制作から華道に至るまで、全てにおいて、日本のカルチュアはわれわれ西欧人が通常芸術と工芸に分化してしまうものを、融合させ、並列させて目を楽しませるのである。
私は、徳富作品の下地になっている審美的要素の研究を始めたばかりであるが、日本の芸術的伝統に関して学ぶべきことは多く残されている。しかし、この論評と写真で、徳富のパイプ・デザインに対する魅惑的アプローチと、それによってわれわれがいかに“優れたパイプ”を定義付けし、それを享受するかを示す新しい可能性について私の序論として述べることにする。