パイプの愉しみ方
『50にして煙を知る』第3回
翌日、再チャレンジ。
火を近づけつつ、パイプを吸うと空気が補給され、うまく点火することがわかるが、ボウル全体にまんべんなく、火をまわさないと、葉は燃え続けてくれない。スパスパやりながら、棒で火を加減する。「なかなかいいじゃないか」。
ただ、そのまま放っておくと、火はすぐ消える。詰め方、吹かし方、唾液が入っていかないように、多少パイプを上向きにしたりという芸当ができるには、数日間の訓練が必要だった。
はたから見ていたら、異様な光景だろう。「あいつはなにやってるんだ」―大の大人が必死の形相でパイプを吹かしながら、マッチで火をつけ続ける行為を繰り返すのだから。
火を消すまいと思い切り吹かすと、煙がモクモク出るのは愉快だった。葉を適当に押し込み、ジャンジャン吹かす。
ところが、ボウルが熱くなって持つことができなくなる。仕方ないから、筒の部分をつまんで吸うから、ちっとも格好がよくない。
しかも、クラブのコンテストは少量の葉をいかに長く吸い続けるかで争う。
いきおい点火まではいいが、そおっと吸うから、火が続かない。「消えました」と自主申告すると、「はい小枝さん、1分48秒」―審査員・外川氏の声が会場に響き渡る。「1分以上続けば上等です」とすかさずフォローも一発入る。彼は優しいんです。
平野氏が普段、豪快に吸いまくっているのが頭に残っていたが、彼とてコンテストの時は、細く長く吸い続けている。
「ボウルが熱くなっちゃあだめだよ」。なるほど、ロングタイムスモーカーのボウルは触っても、火がついているとは思えないほど冷たい。
不器用な自分にはとても「細く長く」は無理である。とにかく火が消えないよう、吹かしまくることに徹する。
二回目のコンテスト記録は14分半。葉はほとんど灰になっていたが、ボウルそのものが燃焼してしまい、パイプが黒ずんでしまった。
ふだんは室内より、ベランダに出て吸うことが多い。冬の夜は最高だ。パイプの火の暖かさが気持ちを豊かにさせてくれるし、風が強ければ、吹かさなくても勝手に 葉の火が勢いよく燃焼してくれるから、ボウルを握っているだけで、煙が出ている様を眺めるのも楽しい。
煙は口の中でくゆらせて、もちろん肺には入れないが、それでも喫煙の習慣がなかった私には、一度吸うと、フラフラする。頭がボーっとしてくることもある。ニコチン中毒というらしい。のどが渇くから水を立て続けに飲む。
こうして葉を詰める作業から、火をつけ、吸い終えるまで約30分の儀式を楽しむ。
これはまさに儀式だ。なにかほかのことをしながら、パイプを手にすることはない。ひたすら、煙を吸う作業に没頭することで、気持ちを落ち着かせる。
当然、本を読みながらとか、文章を書きながらパイプに手をつけることはない。というより、そんな器用な真似はできない。さらに言えば、余裕がない時、パイプはいじるものではない。
これは心を落ち着かせる道具なのだから、それが初心者たる私の流儀である。2週間、1ヶ月、まったく吸わなくても平気である。たまにパイプを取り出し、ボウルを繰り返し握り続けて手のひらで感触を楽しむだけでも快い。
とりわけ夏はそうだ。暑さとパイプはどうしても合わない。お盆は本当に参る時期だ。