パイプの愉しみ方

パイプの愉しみ方

「50にして煙を知る」第27回  出合い頭だよ 人生は

千葉科学大薬学部教授 小枝義人

「灯台下暗し」とはこのことだ。奉職先で、大型新人を発見した。

33歳の若き研究者、福井貴史氏は免疫・微生物学の将来を担う逸材。

ゆうに180センチを超す体格も立派だが、実に練れたスモーカーであることが、先日明らかになった。

以下、彼の喫煙経歴とパイプとの出合いを、自身の筆で語ってもらった。

実に名文なんだな、これが。


洋モク

「俺はアンフォーラしか吸わないんだ。 悪いけどさ」―。

取り調べの検事から紙巻き煙草を受け取り、吸おうとしたその時、男は無造作にその煙草を握りつぶした。

漫画「栄光なき天才たち」(集英社 原作 伊藤智義 作画 森田信吾)で、読売新聞記者・立松和博を取り上げた話での一コマである。

昭電疑獄など、数々のスクープをものにした敏腕記者立松が、結核から奇跡的な復活を遂げた後に、売春汚職事件の報道に絡んで逮捕される。

情報源を検察内部に深く築くことに成功した立松だが、検察の派閥抗争に巻き込まれた末の不当逮捕である。なにやら昨今の世相ともクロスする。

厳しい取り調べの中、陥落しそうになった彼は、前述の言葉とともにジャーナリストの矜持を奮い立たせ、最後までニュースソースを秘匿する。

この物語に出合ったのはもうバブル時代も終焉し、舶来物の有難味も大分色あせ、「洋モク」なんて言葉も死語になりつつある時期であった。

それでも、初めて目にするこの外国煙草の名前は、田舎の中学生には飛び切り格好良いものとして映った。

大学時代になんとなく、で紙巻き煙草に手を染めて以来、シガリロや手巻きタバコもたまには吸ってもみたりしたが、ついに「アンフォーラ」に巡り合うことはなかった。

「昔の話だし、もう製造されていないのかもしれないなあ」―何かの拍子にこの煙草の名前を思い出すことはあったが、わざわざ調べることもなく、長らくそのままになっていた。 

マニラ―銚子を取り持つ縁

この夏、仕事で訪れたフィリピンで、帰りの飛行機を待ちながらマニラ空港の免税店をぶらぶらしていると、視界に葉巻が入ってきた。

プレミアムシガーは高価なものと思い込んでいたが、フィリピン産の葉巻は手ごろな値段である。余った手持ちのペソでも購入可能なようだ。戻ればすぐに愛煙家である友人の結婚式に呼ばれていたこともあり、手土産に買い求めた。

帰国後、吸い方をウェブサイトでおさらいして自分用に購入した葉巻を一服してみると、これが思いのほか旨かった。この値段なら1本が煙草1箱程度だし、紙巻きよりも数段優雅である。

さっそく葉巻を始めようと、近所の煙草屋を探してみるが、禁煙のご時世ゆえか、住んでいる銚子の地が日本のとっぱずれなのか、そもそも煙草を扱っている店がコンビニやドラッグストアばかりで煙草屋自体が見当たらない。あっても紙巻きしか扱っていない。

やむなくウェブで通信販売サイトをいくつか巡る。とりあえず同じものを、とタバカレラのコロナをひと箱買い求め、他にもどんな葉巻があるのかといろいろサイトをみていると、パイプ煙草も出てきた。

「この辺りはもう少し枯れてからだよなあ、、 」と適当に見ていると、ディスプレイに表示された赤いパックに「アンフォーラ・フルアロマティック」の文字がある。

そうか、あれはパイプ煙草だったのか!!生き別れの兄弟に偶然巡り合ったにも等しい思いである。そうなると、枯れるのを待っているのももどかしい訳で、目の前のPCで、パイプについてどんどん検索を始める。

サイトを巡ると、葉巻と違ってどうやら吸うのにコツがいることが分かってきた。パイプを始めるには身近に先達がいないと難しいかもしれない。

「こりゃ敷居が少々高いな、アンフォーラと手巻き用の巻紙を買って味わうとするか・・・」などと考えながら、それでもいくつか見ていると「50にして煙を知る」なるコラムにたどり着く。

著者は知っている名前である。パイプをくわえて悦に入っておられる写真はまごうかたなきその人である。

師走の夕暮れ

「小枝先生、パイプをやるのか!」 吃驚しながらも、そのコラムは読み物として非常に面白く、秋の夜長に連載の第1回から最新号まで一気に読破した。どうやら布教活動にも熱心なご様子。ひょっとしたら吸い方を教えてくれるかもしれない。

普段は研究室が離れていることもあり、なかなかお会いすることがかなわないが、幸い12月19日、OSCE(Objective Structured Clinical Examination 医学部、薬学部などの臨床系学部の学生が、病院実習に出るための仮免許試験のようなもの)が学部教職員総出で実施され、小枝先生の姿をお見かけした。

「先生のパイプコラム、愛読していますよ」と廊下で伝えると、一瞬ギョッとした表情の先生。「喫煙者かい?そりゃぜひパイプを始めたらいい。紙巻きなんて野暮なもの吸うなよ。パイプだよ、パイプ」

「安葉巻ったって、ランニングコストがかかるだろ。われわれ貧乏人には無理だ。パイプはいいよ、経済的で。助燃剤が入ってないから火事の心配もゼロだ。自然科学者の君にはふさわしい」

「その気があるなら、私の研究室に来なさい。教材は一式揃ってるから」と気さくに話される。

小生としては願ったりかなったりだが、師走とはよく言ったもので、「小枝先生もお忙しいだろうし、私も年末はバタバタとしている。タイミングがとりづらいな」と思っていると、あつらえた様に1時間半の空白が出来た。

多分考えたことは同じだろう。「ちょっと私の研究室に寄りませんか」― もとより異存はない。

「伺います」―。下っ端の宿命で後片付けのことが少し頭をよぎったが、知ったことか。この機を逃せば何時になるか分からない。

休日の夕暮れ、OSCE会場とは大分離れた建物の一角にある小枝研究室。特大のビートルズのポスターに囲まれ、スタン・ゲッツのテナーサックスをBGMにパイプ個人講座がおごそかに開講と相成った。

パイプを選んで頂き、ぎこちなく葉を詰める。デビューは「桃山」である。

「つまるところ、たき火ですよ、あなた。分かるでしょ」と仰るが、理屈通りに身体は動かない。味わう余裕もなく必死で吸ったり吐いたり。

ボウルの中を常に気にしていると「パイプは顔の正面で吸うと莫迦みたいです。横で咥えなさい。もっとふんぞりかえって」。

キセルのように軸を持つと「持ち方はこう。お、なかなかサマになってきたじゃない」と暫く指導してもらうと、なんとか煙草を味わい、会話を楽しむことが出来るように。吸い終われば丁度頃合いの時間となった。

「こりゃ、ハマるかもなぁ」―葉巻のような強烈な煙草の旨みではないが、嫌味にならない程度の甘みが感じられ、旨かった。

帰り際に先生から、パイプ3本と煙草葉2種、タンパーやお気に入りのドイツ製モールなども気前よく分けて頂き、研究室を辞した。

出勤前、少し早起きし、ダンヒルの「アーリー・モーニング」を一服する幸せを感じている。

ネット通販で頼んだ「アンフォーラ」がまもまく到着するのを、毎晩寝しなにパイプをくわえながら、待ち遠しい日々を送っている。まことにいい趣味を教えて頂いた。


2011年はきっと楽しい年になる予感がする。

*文中で偉そうに彼に伝えた内容は、私がJPSCの先輩に教わったこと、そのまんまであることは言うまでもない。

もうはまっているよ、福井さん。