パイプの愉しみ方

パイプの愉しみ方

『50にして煙を知る』第28回 SMOKABLE永田町

千葉科学大薬学部教授 小枝義人

久しぶりですねえ

昨年夏、新装なった衆参議員会館が完成して以来、ぱったり永田町から足が遠のいた。個人的に「この無機質なビルは重厚な大理石の議事堂の相方として、ちっともふさわしくない」と感じたからだ。

昔馴染みの床屋、文房具店などの個人店主の多くが廃業してしまったことも引っかかっていた。コンビニのある議員会館は自社55年体制守旧派の私の心象風景にはそぐわないのだ。

つい最近、野暮用で赴いた際、相手は衆院第二議員会館の1階隅の喫茶店を待ち合わせ場所に指定してきた。

都心の外資系ホテルを連想する高い天井、明るい総ガラス張り―だが、仕切りの半分が喫煙席、である。正直これには驚いた。この手のビルは全面禁煙が相場に決まっているからね。

相手はヘビースモーカーゆえ、喫煙席に座って、コーヒーを注文した。頼みもしないのになぜか「どうぞ」と、私の大好きなアイスクリームが出てきた。

戸惑いながらも、ありがたく舌をうるおして待つこと30分、ようやく相手が到着する。話が終るころ、今度は2人分のアイスコーヒーが「サービスです」とウェイトレスが持ってくる。

「いくらなんでも、これは、、」と思ったところに、「久しぶりですねえ、いつ現れるかなと」―白いコックコート姿は、旧参院議員会館の喫茶店「モア」のオーナーである。ありゃ、店名は紛れもなく「モア」であった。

200円の止まり木

旧参院会館「モア」はよく通った。衆院会館の喫茶店に比べて数倍の広さがあり、衝立で仕切られた議員席もあった。田中眞紀子代議士もよく使っていた。姿が見えなくとも、あの特徴ある声なら誰でもわかる。

禁煙席と喫煙席に分かれており、奥の席で周囲を気にせず話すには絶好の場所、コーヒーやコーラが200円程度で飲め、しばらくボヤっとしていても追い立てられる気配もなく、居心地は最高だった。

いつだったか、ここで、膨大な手書き資料メモ整理を終えたあと、覚えたてのパイプをくゆらしていたら、「先生、いい香りですなあ、もっと吸ってください」と、自らもシガレットをたしなむ彼にニコニコと語りかけられ、コーヒーをもう一杯サービスしてもらい恐縮した。

センセイと言われても、私は議員ではないし、職業も明かしてないのに、なぜか彼はそう呼んだ。

以来、永田町巡りの「止まり木兼スモーキングスペース」として愛用していたが、建て替えと同時に「もうなくなった」と思い込んでいた私。

思わぬ再会ついでに「よく喫煙が認められましたね」と根堀り葉堀り聞いた。

やはり、この世界、愛煙家は多い。自民党総務会も小池百合子総務会長の意向で禁煙。ヘビースモーカーの大島理森・副総裁も「忍の一字」という記事を読んだが、ランチタイム、ティータイム問わず、動物園のような喫煙ルームを嫌い、ここに駆け込んで、コーヒーをすすり、高い天井に紫煙をノロシのように上げている政界関係者は多いようだ。大手不動産の家主との交渉はさぞかし難航しただろうが、オーナーの熱意に負けたということか。

しかも有線放送だろうか、隅の席と調理場だけに聞こえる程度のささやかな音量で、カーペンターズ、オリビア・ニュートン・ジョン、サイモン&ガーファンクルらの懐かしの名曲も聞こえてくる。ここだけはまだ55年体制だ!

さすがにコーヒー200円ではここの家賃は払えない。普通の値段になったコーヒーとまだ安価のままのアイスクリームを注文し、一吹かしするのが礼儀というものだ。

Cafe!

「モア」- 突如、永田町と激動の中東が私の中で繋がった。
キャフェ! モアモア フルフル」―モーゼの一行さながら、エジプト・シナイ半島を1週間キャンプ旅行した85年5月(もうとっくにムバラク体制だった)の早朝、大量のお湯を沸かしてつくったコーヒーを注ぐ係の私の前に、大きな金属製マグカップを差し出したイスラエルの中年女性の言葉だ。

          

第二次大戦前後、欧州から移住してきたのだろう、「キャフェ」というフランス式の発音とアクセントがひどく新鮮だった。同時に「もっともっと、いっぱい入れて」がそれで充分伝わることも知った。

「解散あるんですかね?」―帰りがけ、オーナーが心配そうに聞いてきた。永田町が2ヶ月もカラになれば売り上げに響くよね。ここで生きていくには「ケセラ・セラ」とはいかない。「モア」にはキャフェとスモーキングのため、また足繁く通わなくては。

ちょっといい気持ち。