パイプの愉しみ方

パイプの愉しみ方

『50にして煙を知る』第29回 SMOKABL永田町2〜懐深き政治家とタバコの味わい

千葉科学大薬学部教授 小枝義人

皆さんにお配りして

「おめでたいことですから」―昭和60年秋、阪神タイガース、21年ぶりのリーグ優勝に日本中が沸いた。

のちに首相となる宮沢喜一氏は、東京の私邸で馴染みの政治記者相手の懇談で、そう言いながら、後援者から贈られた虎のイラスト入り特製酒瓶「阪神タイガース優勝記念酒」を振舞った。

アルコール大好きの同氏に10数人の記者が居たから、酒はあっという間になくなった。空瓶、記念にもらっときゃよかった。

「これは皆さんにお配りして」とワン・カートンのタバコを秘書に渡すと、秘書氏は各記者にひとつひとつ配ってくれた。末席の私にも回ってきたのが「’85 祝優勝 阪神タイガース」と印刷された記念タバコ、マイルドセブン(写真)である。「限定」と記されている。


いつだったか関西出身の仲間に見せたら、「これは見覚えがある」とつぶやいたので、京阪神中心に、かなり売れたのであろう。

学生時代、遅い時間に野球好きの同級生に付き合い、何回か神宮球場のナイターを観に行った。試合終盤は外野席が無料開放されていたからだ。

3累側にはアウェイのチームの応援団が陣取っている。

阪神の応援は、昭和53年に初優勝する以前のヤクルトのそれよりも遥かに迫力があり、どっちがホームなのかわからないほどだった。

どちらのファンでもなかった私でも「阪神人気は全国区なんだな」と感心したほどだ。その頃、神宮は土と天然芝のグランドであり、外野席も芝生だった。

ん?これか 

時代は平成に移り、私は渡辺美智雄氏の担当記者になった。

東京帝大法学部―大蔵省―政界入りという、エリートコースを絵に描いたような宮沢氏とは対照的に、渡辺氏は東京商大―行商人―税理士―栃木県議―1回落選後、衆院議員というたたき上げの党人政治家だった。

それぞれの政治家の持ち味が、自民党という懐の深い政党の中で生かされていたよき時代だった。

彼の愛称はミッチー。昭和33年、天皇陛下と美智子皇后が婚約された際、日本中がミッチーブームが巻き起こった。「おれもミッチーだ」と、ちゃっかり自分でつけたのだ。日本語では「あやかる」という。

独特の庶民感覚を売りに、大衆から愛され、抜群の政治手腕を発揮して出世街道を駆け上った渡辺氏は、私のような場末記者にも充分な目配りをしてくれた。

彼の地元・那須まで講演取材に行った時だ。すでに送稿は終わり、「久しぶりに、みんなと飯でも食うか」と記者一同ご馳走になり、もう帰るだけだった。大新聞やテレビキー局のようにハイヤーで来ていなかった私に「どうやって帰るのか」と聞かれた。

「最寄りの東北線の駅までタクシーを呼んで行き、電車で帰京する」と答えた私を警護用のパトカーまで連れて行った。

なにごとかといぶかる私を指差し、「まことにすまんが、俺の自宅まで同行したら、署に戻るついでに彼を宇都宮の駅前で落としてやってくれんか、たのむ」とだけ告げた。

「よし、交渉成立、だな」となにごともないような顔で自分の車に乗り込んだ。

いまではとても無理な頼みごとだが、20年前でもかなり難しい話だ。もう時効だが、気持ちよくパトカーに乗せ、送ってくれた警官と、渡辺氏の細やかな心遣いに本当に感謝している。

平成2年2月の総選挙後、彼が中曽根康弘元首相から派閥を禅譲され、領袖として自民党総裁に照準を当て始めた頃、事務所にインタビューに行った。

あけっぴろげに話すミッチー節は全開だった。

その際、まるでリズムを取るがごとく、彼はタバコに火をつける。貫禄があるから、様になっているスモーキングだった。

「タバコ、好きなんですね」―間抜けな質問だろうが、こちらは吸わないからわからない。

「ん?これか。女房には叱られるが、止められんな」と苦笑しながら吹かしていたのがショートホープだった。「毎日30本ペースだ」。こういうことだけは、よく覚えている。

翌平成3年秋、宮沢、渡辺、三塚博3氏による自民党総裁選では宮沢氏が勝利するが、2位と健闘した渡辺氏も副総理・外相として入閣。「ポスト宮沢は確実」と言われた。

消えゆく マン・ノブ・クライシス 

ところが、「政界一寸先は闇」を地で行くが如く、「まさか」という坂をころげるように、渡辺氏は病を患い、閣外に去る。
宮沢首相も政治改革を巡って野党から内閣不信任案を突きつけられ、衆院解散・総選挙―自民党初の下野、総裁辞任―細川非自民連立政権成立、という戦後政治の大転換に直面する。はや18年前のことだ。

その前後も入退院を繰り返した渡辺氏、当時の秘書に聞くと、「タバコはだんだんと軽いセブンスター、マイルドセブンなどに変わりましたね。それでも入院する間に、また吸っていました」というから、よほど好きだったのだろう。

平成7年、同氏が亡くなった際、世話になった元同僚とともに栃木県那須の自宅まで弔問に伺った。ハイライト愛好家だった仲間は途中、コンビニに寄ると、いきなりショートホープをワン・カートン買った。

「霊前に供えてもらおう」―吸わない私では出てこない発想だった。

長男で、いまや「みんなの党」代表として政界で獅子奮迅の活躍ぶりの渡辺喜美氏が付き添っていたので、「御霊前に」と差し出したら、「ありがとうございます」と気持ちよく受け取ってくれた。
宮沢、渡辺両人ともすでに泉下に没した今、政界でちゃんと主役を張れる役者は本当に少なくなった。

宮沢内閣がふらふらしている頃、中曽根氏が放った言葉が印象深い。「こういうときはマン・ノブ・クライシス、危機に強い男が必要だ。腹の中に一本、黒光りする太いものが入っていて微動だにしない人間。それは河野一郎、中川一郎、渡辺美智雄、石原慎太郎、梶山静六、小沢一郎、そして不肖、この中曽根康弘」。

政界に現役でいるのは東京都知事に4選した石原氏、東日本大震災の被災地、岩手が地元の小沢氏だけだ。

煙が消えてしまうように、「マン・ノブ・クライシス」の存在もいなくなっては困るんだが。