パイプの愉しみ方

パイプの愉しみ方

関口一郎 パイプと吾が人生を語る  −4−

――歌舞伎に盲長屋梅加賀鳶と言う加賀鳶を主人公にした演目があり、この主人公が関口藤左衛門・松蔵と言う名前です。関口さんのご先祖と何か関係があるのでしょうか?

関口の先祖に直吉、直八という名前は聞いたことがあるが、その名前は知らない。関口家は本郷の帝大の赤門の前の法真寺が菩提寺です。先祖代々の墓は法真寺にあります。

火消しの話に戻りますが、江戸の火消しは町火消、定火消、大名火消の3段階が合って、町火消は町人、定火消は武家、大名火消は大名が組織した。大名火消は大名のプライベイトなお抱えで、大名行列の際には、火消装束に扮装させて行列に加わらせて、権威を増したと聞きます。

その時分に(大名火消の)絵を描くのがいて、絵が残してあったが、この前の戦争で焼けてしまった。惜しいことしたね。(絵は)和紙で綴じてあるこのくらい(開くとA3サイズ程度)の大きさで、火事の初めから場面場面は違うけど,出火してから消火に向かう鳶だとか、火事が燃えているところとか、(江戸時代に)目黒の不動が燃えた時に、坊さんが(仏像を)担ぎ出している姿、あちこちが火事で焼けているのに大名屋敷の中では見舞い客の武士と主人が慇懃に挨拶している姿、焼け跡の整理をしている姿、焼け跡に家を新築している姿、そんなのが和綴じの見開きで絵が残っていた記憶ははっきり覚えています。子供の時にそういう絵を眺めた記憶があります。

子供時分に眺めた巻物では、左官の下絵がありました。薙刀などの見本帳です。左官だから小手先で彫刻をやる。蔵などを鏝(こて)で、装飾をやる。その下絵です。有名なのは、伊豆の松崎出身の入江長八がいたね。今は漆喰鏝絵芸術と言われている。全国コンクールもある。

――小学校はどちらですか?

(今の台東区立)松葉(尋常)小学校です。一度は廃校になろうとしたが、存続させようと運動が起こって、現在もあります。松葉小学校の隣に矢先稲荷神社があって、江戸時代には松葉町には三十三間堂がありました。元禄11年の浅草の大火で三十三間堂は深川の八幡さんに移りましたが、通し矢をするので、その先にお稲荷さんが祭ってあって、矢の先だから矢先神社といったそうです。

こないだの戦争(大東亜戦争)後に、僕が卒業した松葉小学校の隣の矢先稲荷神社に参拝したら再建してあって、大きな石碑に「矢崎」神社と刻んであったので、僕が「矢先だ」と文句を言ったら、後から「崎」が「先」に直っていました。どうしてあんな間違いをしたのだろうね。

これは余談ですが、先日、深川の八幡さんにお参りに行ったら、隣の小学校が矢数小学校という名前でした。やはり、矢に関係がある名前だね。

――この集合写真は小学生当時のものですね。

学制発布50周年紀年の写真だから、大正11年、僕が小学2年生の時です。校長、クラスメイトと一緒です。下から3列目、左から5番目の頭が大きいのが僕です。頭の鉢が大きいので「福助」という綽名でした。今では、この写真の誰も僕以外に生き残っているのはいないね。戦死したクラスメイトが多いです。この前の戦争(大東亜戦争)ではなく、満洲事変です。

〔続く〕

(平成24年5月吉日、東京・東銀座 カフェジュリエで)

日本パイプスモーカーズクラブ