パイプの愉しみ方

パイプの愉しみ方

時間遡行装置

丹波作造

タイムマシーンが実用化したならば、どの時代に行ってみよう。

「着火時に戻ってもう少し深く着火すれば、まだ消えていない。」

「嫌煙などと言う言葉が無かった時代に行って、思う存分煙を上げてみたい。」

「タバコ伝来前の京都の街をパイプを咥えて闊歩し、足利将軍の前に引立てられる。」

想像するのは自由だが、間違えても四億年以上遡ってはいけない。当時は空気中の酸素濃度が低く物が燃焼しない。喫煙行為が物理的に可能になるには、古生代石炭紀の植物繁茂に伴う酸素放出により、濃度が13%を超えるのを待つ必要がある。古生代最盛期には酸素濃度は35%と、現代(21%)の7割増まで達したといわれかなり順調な煙草燃焼が予想されるのだが。

スモーキングが快調だからといっても永く留まるのは剣呑である。古生代の終りには地球上の生物種の大半が絶滅し中生代に移行するK-T境界(約2億5千年前)が控えている。その大量の植物の亡骸が現在の化石燃料の元になっているとも考えられる。一説によれば海洋環境の激変により地球大気が亜硫酸ガスで充ち満ちたと言われる。喫煙どころでないのは言うまでもない。石炭の中にパイプの化石が発見されれば、将来のタイムマシーン実現の証左にはなるであろうが。

続くところの中生代は恐竜跋扈の時代である。リラックスウィズパイプとは言い難いが、恐竜の歯等格好のタンパー材の宝庫である。しかし此処にものんびり滞在する訳にはいかない。ユカタン半島への隕石衝突に起因する気象変動のP-T境界(約6千5百万年前)がある。またも生物種大絶滅を経て、時は我々哺乳類が擡頭する新生代へと移るのである。

パイプスモーカーに限らないが、時間遡行する各時代は危険に満ちており注意を要する。上のような大絶滅は、地球創世以来五回ほど在ったとされビッグ・ファイブと呼ばれる。原因は火山や隕石等の大規模環境変動と考えられるが不明の点も多い。これまで成就しそうだった禁煙の回数をビッグ・・・と呼んで誇る輩がいるが不遜も甚だしい。危難を超えて今の我々に命の火を伝えた僥倖に想いを致すべきである。

タイムマシーンという思考実験のお陰で、普段は気にも懸けない酸素の喫煙における重要性が注目される。その濃度を下げればスローバーニングが可能になるのを期待して、脱酸素剤を身に着けてコンテストに参加することは競技規則に禁止されていない。使い捨てカイロと脱酸素剤は畢竟同じ原理なので、今日は寒気がするのでと身体中に貼り付けて参加すれば審判も手が出せない。むしろ汗がひどいようですがと周りが気を遣い、通常と異なる酸素濃度で対戦相手が消えてしまい上位入賞が期待できるかもしれない。