パイプの愉しみ方
関口一郎 パイプと吾が人生を語る −7−
僕は家でパイプを喫っていましたが、誰も何も言わなかった。家族から「良い香りだね」と言われました。その時分のパイプたばこは香りが良かった。香料ではなくて、オリエント葉の香りです。
表立っては子供はたばこを喫わなかったけれど、皆、内緒で喫っていました。大人への憧れがあったのでしょう。たばこを吸わないと一人前の男になれないという時代の雰囲気でした。
僕は、80年間たばこを喫い続けてきた。たばこは身体に悪いというが、僕はそうは思わない。たばこを喫って具合が悪くなったことは一度も無い。
小学校の幼な馴染にパイプを勧めた覚えがありますが、たばこを喫えない奴、たばこを喫って唇を腫らした連中は、皆早死にしました。たばこが喫えない奴は病気で早死にしましたね。たばこに耐えられない奴は皆、早死にしたが、体質が弱いのでしょう。
――大学予科は早稲田でしたね。
早稲田第一高等学院には中学4年修了で行きました。(旧制)中学は5年制だけど、当時は4年修了で受験できました。第一高等学院は理科で、第二高等学院が文科でした。当時、普通の大学予科は2年だけど、早稲田の高等学院は3年だったね。
第一高等学院では弱電専攻に席を置いていた。理工学部の通信が志望学科で、早稲田では音響関係の勉強をしました。
大学の時もパイプを喫っている奴は僕の周りにはいなかった。大学ではシガレットとパイプを併用していました。シガレットはチェリーの缶入りをよく喫った。パイプたばこの葉は値段が高いからたまに買える程度。安いパイプたばこを探しに東横百貨店に通いました。ダンヒルのたばこは高くて手が出なかった。
たばこを止めようと思ったことが一度ありました。当時、僕はラグビーをやっていて、体重が欲しかったが、12貫(=45キログラム)より太ったことがなかった。もう少し体重が欲しいなと思って、たばこを3ヶ月ほど止めた。たばこを止めた後も一向に体重は増えなかった。太らないし、たばこが身体に悪いとは思えないので、また喫い出したら美味しかった。たばこを喫うと痩せる、太らないと言うのは当時も常識だった。
――この学生服の写真は早稲田大学時代ですか?
昭和8年の2月に早稲田大学理工学部の2年生の時に撮った写真です。
――早稲田には浅草のご自宅から通っていたのですか?
学生時代の一時期、学校に近い高田馬場駅の近所、そこにベツレヘムの星ミッションという長屋があって、そこに住んでいました。この長屋はいわれがあって、アメリカに留学したことがある日本人の牧師がいて、留学した際のアメリカ人のスポンサーから「日本に帰国したらキリスト教の教会を造れ」と言われてお金を貰った。そしたらその牧師さんは、教会は造らず長屋を造って、貧乏な学生を住まわせて、家賃を稼いでいた。
そうしたら、スポンサーのアメリカ人の老婦人が、教会を観に日本にわざわざ訪ねてくるということになったそうです。教会の代わりに学生長屋ではまずいだろうということで、慌てて追い出された。その時に、金子君という朝鮮人の絵描きと友達になり、池袋パルテノンというアトリエ村に出入りが始まりました。
戦争中でも上野の美術館で展覧会があったが、100号という大きな絵を池袋から上野まで運ぶのは大変だ、助けてくれというので、僕が軍隊の自動車をこっそり調達して美術館まで運んでやったこともある。
――絵描きや彫刻家など芸術家には、パイプを喫っている人はいましたか?
芸術家は喫っていそうな感じがするけど、絵描きでパイプを喫っている人はいなかったね。僕だけが喫っていた。
〔続く〕
(平成24年5月吉日、東京・東銀座 カフェジュリエで)