パイプの愉しみ方
関口一郎 パイプと吾が人生を語る −18−
――JPSCと日本専売公社の関係は、当初は、結構、緊張感があるものだったようですね。
後に総裁に昇格した泉美之松さんが副総裁だった頃のことだと思うけど、ある時、専売公社からJPSCに「本社に来てくれ」と依頼があった。JPSCから僕ら有志が乗り込んだ。東京・虎ノ門の専売公社本社の隣の事務室に行くと「パイプたばこを喫う方のご意見を聴きたい」との趣旨だそうで、大きなテーブルに向かい合って、こちらがパイプスモーカーの連中、向こう側が泉副総裁以下の幹部が並んで座った。部課長連中が壁に並べた椅子にずらっと座っていたね。泉さんが「パイプたばこについて忌憚の無いご意見を」というので、私をはじめパイプスモーカーが「日本で売っているパイプたばこが美味しくない」などと注文をつけて「専売公社は何やっているんだ」と散々悪口を言った。
最後まで黙って聴いていた泉さんは頷いて「ご意見ごもっともです」と言って、周囲の部下を見回して「皆、聴いたか」と言った。泉さんが偉かったからか、専売公社からは反論は無かった。専売公社の商品開発委員会という名前で、外部意見を聴こうと言う趣旨だったそうだが、そんな会合を何回かやりました。パイプクラブは役所体質の専売公社を突き上げる愛煙家の圧力団体としての性格が強かったと思います。
泉さんは、間もなく総裁に昇格されて、昭和51年(1976年)の東京で開催した第3回パイプスモーキング世界選手権大会では名誉大会委員長を務めてもらい、大会前日のレセプションにも出席して、世界中から集まったパイプスモーカーをもてなしてくれました。
――関口さんは、お好きなたばこ葉はありますか?
僕はパイプたばこにこだわりは無い。喫いやすいなと思う銘柄なら、特に上等でなくとも構わない。パイプはだんだん歳をとると、ベント型だけを喫うようになった。僕はマメにパイプ掃除をしないから、外川君に「一年分、まとめて掃除をしている」と冷やかされた。
僕はパイプの構造は煙道が狭いと、たばこが美味しくないと思う。新しいパイプを手に入れて、煙道が狭いとドリルで煙道を太くしている。太くなると煙を吸う速度がゆるやかになる。ボウルに付いたカーボンは、専用のモータードリルで時々、綺麗にする。カーボンを薄っすら残す程度がパイプは一番美味しいね。
――コーヒーとたばこの共通点は何かありますか?
共通するところがあることはある。美味しいコーヒーも、たばこにしても元の原料が良くないと美味しくない。最近の市販されているパイプたばこはオリエント葉を使っている銘柄が少なくなり、香りが乏しくなった。オリエント葉をふんだんに使ったたばこは香りが良くて、他人が喫っていてもすぐわかる。
――ラタキア葉は如何ですか?
別に嫌いじゃないけど、あれは強烈だね。すぐラタキア葉を使っているとわかる。ラタキア葉を使っているたばこはもう少し割合を減らした方が美味い。
上等な葉巻は良い香りがするが、パイプたばこは他人が喫っていると良いたばこだなと思う銘柄が少なくなった。コーヒーもたばこも元が良くないと駄目だね。世界的な傾向だけど、コーヒーの栽培農家も、たばこの栽培農家も最終的に美味しいものをつくろうという気持ちが乏しくなっていると感じる。美味しいたばこをつくろうという気持ちが乏しくなり、少しでも利益が出るものを量産しようという風潮だ。良いものがだんだん少なくなってきているね。
たばこもコーヒーも世界中に広がったのは、もっと健康的に生活を楽しもうといういわゆる嗜好品だからだ。美味しくなければ誰も興味を持たなくなる。たばこもコーヒーも美味しいから世界中に広がったのだから。
――関口さんはパイプを80年間喫ってきて、今、何本くらいお持ちですか?
年齢の数だけパイプを持とうと思って集めていたが、阪神大震災の際に40〜50本くらいオークションで売って、そのお金を寄付したから、手持ちのパイプは少なくなった。ハンドメイドパイプが流行した時代があって、その頃、僕もハンドメイドパイプを作ったが、ほとんど寄付した。僕はパイプを磨き上げたりしないから、寄付するパイプを柘製作所に磨いてくれと頼んだ。最初は快く引き受けてくれたが、あまり本数が多いので柘製作所も音を上げたね。
〔終わり〕
(平成24年5月吉日、東京・東銀座 カフェジュリエで)