パイプの愉しみ方
『50にして煙を知る』第8回 自称「唯一のタンパー専門作家」登場
ボールに指を突っ込み、火のついたタバコの葉を押え込むほど、初心者の私は慣れていないので、パイプを吸うときにはどうしてもタンパーが必要になる。
昔、キセルでタバコを吸い続けるため、消えかかったキセルから燃えているタバコの葉をポンと左の手のひらに載せ、転がしながら、右手で素早く新しい葉をキセルに詰め込む。そこに火のついた葉を、もう一度上から加えて吸い続ける芸当があった。手のひらで火のついた葉を転がす技を火継ぎ(ひつぎ)と言ったそうだ。
アチチっと思うが、「本当の話だよ」と教えてくれたのは、他ならぬ本日の主役、日本パイプスモーカーズクラブの重鎮、森谷周行さんだ。
タンパーに戻るが、金属性も便利だが、木製のタンパーでチョンチョンとやるのもいい。子供の頃の焚き火を思い出す。
今回、森谷さんが、私に素晴らしい逸品タンパーをプレゼントしてくれた。彼は気持のいい人だが、それに負けないくらい気前もいい。なんでもじゃんじゃん初心者にあげてしまう奇特な人だ。
私はその恩恵にもっとも浴している1人だが、先日、気の合う仲間と花見に行った際、氏が手製のタンパーをいくつか持参してきた。
ひとめ見て、のけぞったのが、舟釘の掻き出し棒がはめ込んである木製タンパーである。
長さ10センチ、直径1センチ余の丸太状の木は、大菩薩峠の近郊の森で彼が拾ってきたケヤキの枝オロシである。
「ふーん、ケヤキですか」と言うが、ケヤキだとどうなのかはわからない。 触ると、数個ある節がごつごつあたる指触りもよく、「これはいいですね」と適当に相づちを打ついい加減さには、われながらあきれる。
さて、舟釘の掻き出し棒だ。写真を見てもらえればわかるが、いまの時代のハンマーで打ち込む釘ではない。
天平の昔から江戸時代にかけて、日本建築に使われた砂鉄でできた釘である。宮大工が社寺を建てるときや唐招提寺や薬師寺解体作業で見られる古代の釘である。
そんなもの、どこで手に入れたのか。
「それがね、東急ハンズで売ってましてね」―例のおとぼけ顔で答える。
森谷「これはなんですか」
店員「舟釘ですね」
森谷「ほお、そりゃ買わなきゃ」 これは私の勝手な憶測会話だが、そんなに違ってはいないだろう。
この舟釘を葉の掻き出し棒にしてしまう発想もすごい。 氏はまず、ドリルで細くケヤキに穴を開けたあと、砂鉄の舟釘を真っ赤になるまで加熱した。どうやって加熱したかは聞かなかったが、鍛冶屋がやる作業である。
そして、そのまんまドリルで開けた穴にジュッと差し込んだそうだ。 「そんなに難しいわけじゃないですよ。熱いから、抵抗なくズブズブ入っていくからね」
適当な時間をおいて、さっと引き抜いて冷ませば、掻き出し棒が内蔵されたタンパーが完成したというわけだ。
これぞ「まほろばの国」の香り高きタンパー。
「森谷さん、これ世界でひとつしかありませんね」
「そうですね、初めて作りましたから」
ちょいと借りて吸い、舟釘で灰を掻き出すと、なんとも味わいがあるではないか。奈良の古寺を眺めながら一服吹かして使ったら、日本に生まれた幸せを存分に感じるだろう。
実は前回のオークションで、森谷さんの手造り木製タンパーをたった300円で買い、愛用していた。
ところが、先日の小欄で紹介した台湾・高雄のカフェに忘れてきてしまい、「同じものでなくてもいいので、また作ってください」と氏にお願いしておいたばかりだった。
「どうぞ、持っていってください」―森谷さんのひとことで、舟釘タンパーは私の所有物となった。
「これは失くさないでね。なかなか作らないから」と、まさに釘を刺されたが、当然である。
外川さんからいただいた古いダンヒルのタンパーに続き、外に持ち出せないタンパー第2号である。
「パイプ専門職人はいるけど、タンパー専門職人っているのかね?」
「いないだろうなあ。第一、タンパー製作だけじゃ食っていけないだろうなあ」と仲間内で盛り上がる。
「つくるのはせいぜい趣味でやめとくべきですね」 「でも有名になれば、この舟釘タンパー、注文相次ぎますね」と、際限なく話は進むが、この日は私だけではなく、竹のタンパー、柘製作所製のナイフが仕込んである見事なタンパーなど、写真を見てもらえれば誰でも欲しくなる傑作タンパーを次々に仲間にプレゼントした森谷さんであった。
玄人はだし、いや、ここまでくればもう職人肌か。
続いて取り出したのはなだらかな八角形の手製パイプ、「これで吸うと葉の味が全然違うからね」と、皆で吸い回ししたが、タバコの味までわかるほど通ではないので、私は次の新作タンパー披露に期待したい。