パイプの愉しみ方

パイプの愉しみ方

煙草とパブロ・ピカソ

伊達 國重

今年(平成二十九年)の夏は、東京は連日雨続きの冷夏だった。冷夏といっても湿度は高いから、梅雨の続きみたいに蒸してしまって爽やかな気分にはならない。
 夏も終わろうとする頃、突然、気分転換にパリに行きたくなった。仕事を一週間ほど休んで思い切って行ってしまった。

八月末のパリは街路樹のマロニエやポプラは落葉が目立つ。日本で言えば十月から十一月くらいの気候だ。日差しが強ければ半袖でも大丈夫だが、小雨模様になるとやや肌寒い。セーヌ河畔の遊歩道のベンチに腰掛け、行き交う人々を観察しているとご婦人方は薄い外套を羽織っている人が多い。
 定宿にしている旅館の界隈にピカソ美術館がある。ピカソ没後、遺族が高額な相続税の代わりに作品を政府に渡して開設されたものだ。久しく訪れていなかったが、ぶらぶら散歩していたら急に雨が降ってきたので、雨宿りを兼ねて入った。最初の妻のオルガの回顧展をしていた。

ピカソは二十世紀を代表する画家と言って良いだろう。極めて多作で、九十一歳で没するまでに十万点を超す作品を制作した。私生活では二度結婚し、他に多数の愛人がいた艶福家として知られる。
 ピカソは生涯健康で長生きしたが、その誕生時は大変な難産だったそうで、死産と診断された。医師の叔父が念のために愛用の葉巻の煙を、顔にふうーと吹きかけたら、か細い産声を挙げて蘇生したという逸話で有名だ。煙草の煙がなければ、ピカソは生まれていなかった。
 そのせいかどうかはわからないが、ピカソと煙草は切っても切れない関係になった。
 大層な愛煙家で、若い時分はパイプ喫煙、壮年期は紙巻のゴロワーズやジタンを手放さなかった。妻も入室を禁じたアトリエに一人で籠って、煙草と鳩だけを友として創作に驀進した。煙草が天才ピカソの創作活動に寄与したことは間違いのない事実だ。

余談だが、私が初めて喫った煙草も舶来もののゴロワーズだった。昭和三十年代、祖父はキセルで刻みを、親父は専売公社のいこいを愛用していた。フランスかぶれの叔母も祖父母に隠れてゴロワーズを喫っていた。私は品行方正な模範少年だったが、叔母のゴロワーズが眩しくて、目を離したすきに一本失敬して試してみた。強烈な香りと味にくらくらした。「これがフランスの味か…」と陶然とした記憶がある。以来、叔母と会うごとにゴロワーズをねだった。専売公社の大衆向けの煙草と比べて舶来品は高かったので、叔母は渋い顔をしていたものだ。

閑話休題。
 芸術家、数学者、物理学者など、知的分野で真に創造的な活動をしている人に煙草と酒は欠かせないものだ。煙草は創作活動の知的エネルギー源となり、酒は高ぶった精神に安らぎを与えるからだろう。煙草はアクセル、酒はブレーキの役割を果たしている。
 十七、八世紀以降、人類文明が飛躍的に発展した理由の一つが、ひょっとしたら煙草の効用にあるのではないかと私は考えている。知的活動をレベルアップするからだ。酒は数千年前からあるが、文明の発展にはあまり寄与していない。
 煙草はコロンブスがアメリカ大陸から薬として欧州大陸に持ち帰って以来、数百年の歴史しかない。その数百年間に人類の学術と文化が驚異的な発展を遂げた。学術文化は文明発展の基礎となる。精神活動を高めてくれる嗜好品として煙草に優るものはない。

偏狭な嫌煙者が喫煙者を憎んで煙草撲滅キャンペーンを続けているが、煙草は決してなくならない。真の愛煙家は本能で煙草の効用を知悉しているからだ。近い将来、煙草はストレスを軽減して知的エネルギーを高揚する有益な嗜好品として、再び脚光を浴びるだろうことを今から予言しておく。

観光シーズンから外れていたからか、ピカソ美術館は比較的空いていて、彼の人生の歩みと作風の変転を辿りながら、二時間余りじっくり鑑賞できた。
 最初の妻オルガとの結婚生活が順調だったのは最初の数年間だけだった。妻子との円満な生活に満足していたピカソは、オルガと息子パウロを溢れんばかりの愛情を込めて写実的に描いた。結婚前にキュビズムを確立していた巨匠の作風が新古典主義にがらりと変わった。対象に愛情があると写真のように精細に描いたわけだ。

ところが次第に生来のボヘミアン気質が頭をもたげて、ロシア貴族の妻のブルジョア趣味に嫌気がさした。夫婦仲は険悪になり、ピカソは十七歳の少女を愛人にした。作風がこの頃、シュールリアリスムに急に変わった。人間を変てこな化け物のように描いた。妻との不和が影響しているのは明らかだ。
 巨匠ピカソも所詮は人間。というよりも並外れた情感の持ち主であった。感情と気分で作風、描き方がガラリと変わる。実際に美術館に足を運んで、じっくり観るとよくわかる。

外に出ると雨は上がり、青空が覗いていた。爽やかだった。
 美術館傍のカフェでは、パリジャンとパリジェンヌがお茶や酒を飲みながら、盛大に葉巻や煙草を吹かして語り合い、大いに人生を謳歌していた。