パイプの愉しみ方

パイプの愉しみ方

フィゲラス・ワールドカップ遠征記

岡山パイプクラブ K. H. 生

2017年10月15日日曜日にスペインのフィゲラスで開催したパイプスモーキングのワールドカップ(WC)に日本チーム5名の一員として参戦したので、その模様をご報告致します。今回の遠征は、来年2018年に東京・浅草で開催するパイプ喫煙の世界選手権大会を睨んで、大会運営の視察を兼ねてのWC参加でした。結論から先に言えば、東京大会の運営の参考になったことはほとんど無し。決して参考にしてはいけない大会だったというのが正直なところです。来年の東京大会は前年(2016年)のスロヴァキア・ニトラで開催した欧州選手権大会の見事な運営ぶりを参考にすべきだというのが私の感想です。

2年に一度開催するWCはクラブ対抗戦と個人戦の形式で行います。今回のWC大会には、日本パイプスモーカーズクラブ(JPSC)から3名、岡山パイプクラブから2名で、計5名が統一日本チームでの参加という形になりました。当初は岡山パイプクラブからは3名が参加する予定で、日本から2クラブが3名ずつ参加する段取りでしたが、大会直前に岡山パイプクラブのK氏のご親族に不幸があり、葬儀等で参加できなくなったため、急遽、変則的な「統一日本チーム」という形式になったものです。

PCJ常任理事で渉外担当のA氏は、国際パイプクラブ委員会(CIPC)の12日からの会合に出席するため、早々にフィゲラス入りしました。そうしたPCJの業務とは関係がない我々4名はバルセロナではピカソ美術館やミロ美術館、アントニ・ガウディのサグラダ・ファミリア等々、古都ジローナに足を伸ばして修道院や旧市街見物、フィゲラスでは旧市街地のダリ美術館などをゆっくりと巡ってスペイン・カタロニア観光を大いに堪能。大会前日の14日土曜日夕に大会会場のレストランに到着しました。今回の旅行はカタロニアが世界に誇る天才芸術家の美術館を訪ねられただけで満足できる充実した内容でした。

とはいえ、芸術は素晴らしくても、現実は厳しいのがスペイン。

実は、前日に我々4名のうちの一人H氏がバルセロナ発フィゲラス行の急行列車の中で大型スーツケースごとそっくり盗難被害に遭って、着の身着のままになってしまいました。残念ながらスペイン国鉄はホームや車両内に泥棒や小悪党、不良の類が横行していて治安が甚だ悪いです。油断した我々も平和ボケと笑われても仕方がないですが。

さらに、ジローナ発の列車の出発時刻が大幅に遅れ、駅のホーム上で延々と待ちぼうけを食ったり、ホテルフロント従業員にバスの発着時刻で嘘を教えられて無駄な時間を過ごしたり、簡単な英語すら全く通じないで困り果てるなど、スペインならではの大きな災難や小さな災難が色々と降りかかりました。その辺の詳しい話はキリがないので割愛します。要するに我々4名が大会会場に乗り込んだ時には、精神的にかなり疲労困憊していたわけです。

遅くとも午後3時頃までに会場に到着する予定でしたが、列車の遅延で到着したのは結局、午後6時過ぎ。受付のある建物は閉鎖され、14日の競技者の参加登録受付と参加証引き渡しは終わっていました。

大会主催者のジローナパイプクラブの幹部と思しき数人が、レストランの外の椅子に座って楽しそうに酒を飲んでいたので、恐る恐る尋ねてみると、英語は通じないものの「何? 日本人が参加するとは聞いていないぞ」と首を傾げて、「ともかく明日は3時に来い。大会は2時から始まるぞ」とスペイン語で言ったように聞こえました。2時開始なのに3時に来ても良いのだろうかと怪訝に思いつつも、翌日の大会当日15日の午前中に参加登録をして参加証を受け取ることにして、その場は退散しました。

そもそも今回のフィゲラスWCは、シエスタというスペイン流の午後の昼寝の習慣が優先して、午前中から正午過ぎまでしか参加登録は受け付けないということになっていました。大会ホームページによると、朝9時から登録受付開始ということですが、9時に行っても恐らく担当者が誰もいないだろうと予測して、10時前に会場に4名で行きました。

行ってみると受付は、当日手伝いの係員がいただけで大会参加証は用意されていませんでした。スペインへ出発前から大会運営に不吉な胸騒ぎを感じていたH氏が、大会参加費用全額払込み済みを証明するバーコード付きの領収書を念のために印刷して持っており、それを提示したところ、我々の参加証はこれから印刷に取り掛かるとの由。受付の担当者から「あと10分待ってくれ」を2度繰り返されて、ようやく40分ほど経って受け取ることができました。

待ち時間を利用して、会場隣の建物で開催されていたパイプショーを覗いて、パイプや煙草を買ったりして時間を潰しました。その後、一旦ホテルに戻り、昼食を食べて英気を養い、大会使用煙草のダビドフで軽く練習したりして、午後2時前に会場レストランに到着。30分ほどしたところで、競技者入場。ジローナパイプクラブ会長の挨拶や、CIPC会長の挨拶などがあって、競技が始まったのは3時15分から。前日、酔っ払って赤い顔をしていたジローナパイプクラブの人が「2時に始まるから、3時に来い」と言った(ように聞こえた)のは、やはり正しかった訳です。

後に大会ホームページで確認したのですが、午後1時が競技者の会場集合時刻、2時から競技開始の予定となっていました。7年前のポルトガル・エストリルでの世界選手権大会で、主催者側から何の説明もないまま会場外の炎天下の広場で3時間近くだらだらと待たされたことを思い出すと、今回のWC大会は同じラテン圏の国の大会としては、はるかに時間に正確だったと言えます。

余談ですが、前夜祭のガラディナーも夜8時開催の予定が、実際に始まったのは9時頃からだったそうで、深夜零時を過ぎても延々と宴会を続けたそうです。開始時刻は遅れたものの料理はフルコースで実に美味しかったと聞きました。PCJ渉外担当常任理事のA氏の話では、時間に几帳面な英国のCIPC役員が、13日から始まったCIPCの様々な催しがどれも延々と遅れて始まらないことに激怒して、改善を厳しく求めたものの、暖簾に腕押しだったとか。

競技会場となったレストランの大広間は小学校の体育館程度の広さで、丸テーブルと椅子を参加者約250名(推定値)分、ぎりぎりまで詰めて並べてありました。古い建物なので空調設備が無く、自然換気に任せるしかありませんでした。狭い会場にすし詰め状態ですから、会場内の温度は高く、かなり息苦しい感じでした。

さて、多くの競技者が参加する大会では、集計の便宜のために事前に席が決まっているものですが、フィゲラス大会は完全な自由席。どこに座っても構いませんが、幸い我々統一日本チームは空いている席を探して5名横並びで座る席を確保できました。

「自由席では、主催者は記録の集計が出来なくて、誰が何位か、どのクラブが合計タイム何分で何位なのか、わからないのではないか。そもそもこの大会の参加者は何人なのだろうか」と我々統一日本チームの5人で、ささやき合ったのですが、案の定、記録上位者数名を除いて集計は出来なかった(しなかった)ようです。あるいは後日、集計するのかもしれません。

パイプの火が消えると自己申告して、各席のタイムキーパーが記録用紙に手書きで記録を書いて渡し、競技者はそれに署名します。記録用紙1枚の真ん中に線が引いてあり、そこを目印に2枚に破って1枚はタイムキーパーが集計員に渡す集計用(?)で、もう1枚は自己保存用です。会場の奥の壁に時計の時刻が映写してありますが、それだけで、何人が消えて何人が残っているのかは、まったく分かりません。会場を眺めて目視だけが頼りです。

個人戦は2時間を超えた頃には10数名に絞られました。その後はパラパラと消えて行って、優勝タイムは2時間30分程度だったようです。発表が無いので分かりません。クラブ対抗戦は、上位者3名の合計タイムで競いますが、合計タイムの発表が最後まで無かったので、優勝、準優勝、3位の認定が果たして正しいのかどうかも分かりませんでした。

5時45分頃に最後の競技者の火が消えましたが、なにやら手間取っているようで、表彰式はいつまで経っても始まりません。審判席やCIPC会長の席あたりで、主催者側と思しき数人が話し込んだり、楽しそうに談笑していましたが、何の説明もないので、世間話の方が忙しくて開始が遅れているのか、あるいはそうでないのかさっぱり分かりませんでした。

フランスの各クラブの面々は「オルボアール」と言って表彰式を待たずに手を振って帰って行きました。痺れを切らした他の参加者もぞろぞろと帰ります。我々統一日本チームも、水一杯出ない中で、じっと待っているのもバカバカしいので、さっさと帰ろうかと思いましたが、来年の東京大会のことを考えると最後まで見届ける必要もあろうかと思い、ひたすら忍耐でした。

会場が櫛の歯が抜けたようになりかけた7時30分をやや過ぎた頃からようやく表彰式が始まりました。ざっと2時間待ち。呆れたのは12日に行ったスペイン国内大会の表彰から始めたこと。12日の夜に行う筈だったのが、何かの事情で行わなかったので、WCの表彰式に先立って行ったようでした。

国内大会の表彰式が終わって、8時頃からWCの表彰式に移りました。表彰は団体戦は3位まで、個人戦も3位まで、レディース優勝者のみ。表彰メダルは、鉄板を丸く切ってそれぞれ金、銀、銅色の絵の具で着色したような感じの手作り感溢れるもの。副賞は、主催者クラブの紋章を刻んだ木の板の時計。中学校の工作の授業で作るようなものです。賞品は優勝者に葡萄酒1本。素朴そのものの表彰式でした。

盛り上がりに欠けたなんとも締まらない表彰式が終わって、来年の東京大会に向けてのジローナパイプクラブ会長が、PCJのA氏と握手する引き継ぎのような儀式が終わったのは8時20分過ぎ。意味もなく時間を空費させられて立腹するというより、まずお腹が猛烈に空いたのでホテルの近くのレストランに直行。

ピレネー山脈の南麓に位置するフィゲラスの料理は美味しくて、とても安かったです。スペイン名物の赤葡萄酒の炭酸割サングリアをしこたま飲み、お腹もくちたので、お粗末な大会運営へのいらだちと腹立ちもすっきり解消。翌朝、ご機嫌で帰国の途に就きました。バルセロナで購入したお土産のチョコレートは絶品でした。

天才芸術家を綺羅星のごとく輩出し、毎日たっぷり昼寝して美味しい料理を味わっているカタロニアの人々。今回のWC大会は1年前から準備した筈ですが、なぜ、満足に運営出来ないのかが不思議でした。ともあれ、1週間の刺激に満ちたスペイン旅行は、充実して楽しいものでした。