パイプの愉しみ方

パイプの愉しみ方

「50にして煙を知る」第41回 「台湾経済界の大御所・辜寛敏氏のダンディズム」

千葉科学大学薬学部教授 小枝 義人

白いジャケットと白のメビウス

3月下旬、30年余、台湾現代政治もテーマとしている私にとって、年に2回の定点観測として、半年ぶりに台湾を訪問した。この頃、日本は真冬の寒波が襲ったが、日本列島に連なる台湾、首都・台北も最高気温15度程度で肌寒かった。

最大の成果は、台湾経済界の重鎮、辜寛敏(こかんびん)氏と会見できたことだった。論文執筆のための取材で台湾に来ていた拓殖大学海外事情研究所准教授・丹羽文生氏と現地合流し、辜氏が経営する会社に向かった。

インタビューをセットしてくれた高雄の実業家、蘇振源氏には感謝、感謝である。辜氏は1926年、台湾がまだ日本統治下時代の生まれというから今年92歳。

台湾独立運動家として知られ、戦後の蔣介石時代に亡命先の日本に滞在し、「日本語で話すのがいちばん楽だよ」と言うほど。著名なエコノミスト、リチャード・クー氏のお父さんでもある。

現在は蔡英文総統下の台湾で総統府資政(上級顧問)、いわば総統の御意見番だが、辛口が定評で、台湾メディアは、何かあれば、彼のコメントを求め、その発言は大きくテレビや新聞紙面を飾ることが多く、有名人である。

応接室に入ると、定刻どおりドアを開けて現れたが、白いジャケットに紺のネクタイが実に決まっている。 「白のジャケットは辜さんのトレードマークですよ」と教えてくれたのは、丹羽氏の教え子で、国立政治大学の大学院に留学中の権田猛資君だ。すでに在台5年目、中国語が完璧にできる彼が同行してくれるだけで心強い。

辜氏はとにかくカッコいい。「岸信介総理とは、総理をやっている時も、辞めた後も茅ヶ崎のスリーハンドレッドクラブで、よくすれ違ったな」と昔話から入ったが、1960年の日米安保条約改定騒動前後に、辜氏が名門ゴルフクラブのメンバーでプレイしていたことに驚いた。

「いつだったか、クラブの茶小屋で、台湾問題で大平正芳外相とも話したことがあったなあ」。茶小屋(ちゃごや)?クラブハウスのことだろうが、もはや死語となった日本語がポンポン出て来るのには参った。

話を聞きながら、気になっていたのは、彼がシガレットとライターを手にしていたことであった。机の上には灰皿も置いてある。

「お、愛煙家なんだ。もう70年以上吸い続けているのかな?」と勝手に想像する。

すっと1本タバコを取り出したが、話が途切れず、こちらも次々に質問するから、吸うタイミングがない。30分ぐらい話しただろうか、愛煙家の丹羽氏が、気を利かせて自分のライターで、さっと火を差し出すと、実に嬉しそうにスーっと一服する。

タバコは白い箱に入った「メビウス・ワン」であった。その後はタバコを片手に饒舌さが加速する。「李登輝が副総統になった時、旧制高校の同窓だから、会いに行ったんだ。そうしたら、北京語で話すから、私は日本語で応える。また北京語で話す。日本語で応える。とうとう李登輝も日本語になったよ、あっはっは」

なんと1時間以上も時間を割いていただいた。記念撮影にも気軽に応じてくれ、この会談だけで、今回の訪台は十分価値あるものとなった。

 

台湾も禁煙モ―ド

辜氏の喫煙スタイルにしびれたのは、台湾も禁煙の嵐だからだ。そういう風潮を気にせず嗜好品のタバコを手放さず、90歳を越えているのだから、寿命と喫煙は関係ないのだろう。

蔡政権になって、お寺の線香もタバコ同様、環境問題として制限する「滅香運動」まで起こったと聞いていたが、台北の龍山寺では、長い台湾製線香に火を付け、信心深く祈る人々の列が絶えず、安心した。

会うべき人に会い、資料館での資料収集も終え、帰国前日の午後、息抜きに台北北部の北投(ペイトウ)温泉を見学した。

日本統治時代に湯治場として開発され、いまや名所となり多くの観光客が訪れる。硫黄の匂いが温泉風情を掻き立てる。

昭和天皇が皇太子時代、大正12年に訪れた室内大浴場「瀧乃湯」には記念碑が建っているが、脇にある石造りの丸く大きな椅子にも禁煙マークが付いていて、「ちょっと無粋だなあ」と笑ってしまう。

ぶらぶら歩いていくと、石川県の有名な温泉宿「加賀屋」を見つけた。今から8年前、台湾の日勝生グループと合弁し「日勝生加賀屋」としてオープン。加賀屋は李登輝元総統がお気に入りである。館内には、品のある白檀の香りが漂い、琴の音色が流れていた。ただし、着物姿の従業員は台湾女性である。

和式の喫茶店があり、注文したのはマンゴーケーキと紅茶セット。360元だから、日本円にすれば約1,300円。スターバックスコーヒーよりは高いが、妥当な値段か。もちろん店内禁煙である。

帰国前夜、夕食のため、台北の街に出ると、愛煙家たちは、街角でそっと煙草に火をつけていた。台湾旅情、いや台湾哀情というべきか。いやはや。