パイプの愉しみ方

パイプの愉しみ方

パイプ喫煙会との出会い

今回、来日機会を得ることは私にとって以前からの念願だった。

ところが、実際来てみると約二十年前の留学生の時期とは全く違い、どうもカルチャーショックに悩まされる。

その原因は何より私自身にあるようだ。電話機の契約と架設、銀行口座開設などの簡単なはずの瑣末な手続きが色んな障害があってうまく進まず、日常生活が不便で困り、いらいらすることがまず何よりも大きい。

他にも理由がある。母国韓国で解決しなければならない仕事がまだ残っていること、研究員として東京藝術大学に通っても過去の留学生時代のように勉強に対する切実な強い欲求がなかなか湧き上がってこないこと、下宿先の家に戻っても家具も何もない空っぽの部屋が待っていることなど、研究に専心集中できるような環境が整っていないせいだろう。

こうした私の日常生活の閉塞状況を感じ取ってくれた友人の節句田さんが何とかして私を助けようとして、ご自身も会員である日本パイプスモーカーズクラブ(JPSC)に働き掛け、その旅行会にゲスト参加させて頂くことになった。目的地は金沢八景で、一泊二日の旅行であった。

節句田さんから誘われたとき、最初は私の心理状態がすっきりしないので、もしも他の方にご迷惑をかけたらいけないと思い、ご遠慮しようかと思ったが、結局、旅行仲間に加えて貰うことにした。多少なりとも鬱屈した気分の転換になればと思う位の気持ちであった。それが日本に来てちょうど二週間目の時期、6月7日の土曜日である。

この会はパイプ喫煙会の旅行だということを、往きの電車のなかで節句田さんが改めて説明してくれて、私に新品のパイプをプレゼントしてくれた。

待ち合わせ場所は、京浜急行の金沢八景の駅前で、午前11時に現地集合だった。乗り換え電車に乗り損なってやや遅れた私たちを20人くらいのメンバーが、パイプをぷかぷか吸いながら待っていてくれた。

パイプ喫煙会とは知識としては知ってはいたが、その光景を見て改めてびっくりした。

私にタバコ? 率直に言って家の血筋は代々肺が弱い体質であり、昨年亡くなった母も喘息で長年苦しんだ。

パイプ喫煙のために集まる?

「カッコウ」をつけるためか?

週末の貴重な時間を費やして、このような集まりに参加?

まず常識では理解できない。

次に驚いたのはメンバーのなかには94才の長老の方がおられ、失礼ながら信じられないほど若く見えることだった。70代後半程度にしか見えない。健康を保てる秘訣は「パイプ喫煙とコーヒーのおかげだ」とおっしゃる。

集まって小山の野島公園にハイキングで登りながらも、全員がパイプを吹かしている。変な同好会だ。

バーベキューの様子昼食はバーベキュー。美味しかった。しかしお酒はあまり飲まず、また全員が喫煙ばかり。煙だらけ。パイプを咥えた格好は確かに良い。

旅館に戻ると大部屋に全員が集まり、また喫煙ばかり。

この旅行会の目的は、この雰囲気を楽しむということなのか?

旅館の大部屋で、参加者みんなが持参してきた賞品を次々に披露しながら出す。私は何も持ってこなかったが、皆さんが用意してきた数々の品物が床の間と大テーブルの上にところ狭しと並んでいる。

一体、何のための賞品なのだろう?

その理由は夕食後になってようやくわかった。

大部屋に全員が集まり、3グラムずつの煙草を配り、全員が同時に火をつけ長く吸う競技だったのだ。

ゲスト参加の私も見学だけというわけにはいかず、パイプに煙草を入れたが、なかなか火が付かず、あえなく着火失敗。見かねた隣に座っていた方が着火を手伝ってくれたが、初体験ということもあってすぐに消えてしまった。最下位である。

この競技会は、最長2時間も吸う人もいるという。部屋の中は煙がいっぱいで息苦しい。

見ているだけではつまらないので、私は気分転換に外に出てしまった。

1時間半程経って、風呂から出て浴衣に着替えて、「さて、どうなったかな?」と思って部屋を覗くと、授賞式が始まっていた。各自が提供したものが立派な賞品になって人を嬉しくするという楽しさは最高だろう。

着火がうまくいかなかった私を除いて全員がそれをしみじみと味わっている。

私も最下位ながら賞品を頂いた。その後、夜遅くまで参加者の皆さん自らが用意したお酒を飲みながら懇談会にはいる。こうした様子を見ると、一種の同好会の枠を越えないだろう。

ところが、この集まりの意味は、そのような表面的な姿には表れず、より深いところにあった。

まずこのJPSCの歴史。創立して約40年、現会員の数は50名以上という。要するに誕生してからすぐ消えるという一時的な団体ではないということである。

さらに驚いたのは、参加者の中心人物の一人、鈴木日本パイプクラブ連盟会長から見せて頂いた原稿だ。私が東洋美術史を専門とする学者ということを聞いて、これから出版しようとする「世界パイプ煙草の歴史」という内容の原稿を見せて頂いた。拝見して、研究の深さと広さと緻密さに心から驚いた。

原稿の中には子細に調べた注釈が数多く付いている。

趣味の域を超え、学問的にも全く一流の研究者ではないか。

これはどうも私があまりに軽率に判断したと思い、恥ずかしくなった。

それに世界的な名品のパイプを2000本もお持ちになっているという。

要するにパイプ煙草に対する世界的なプロの専門家も交えてパイプ喫煙を皆で楽しむという、興味津々の漸入佳境のグループなのである。

私は煙草そのものについては全く門外漢であるから、パイプで煙草を吸えばどういう気持ちになるかについて、ただの推測の域に止まっている。

表向きでは見逃されがちで、しかも単純な嗜好であるかのような「パイプ煙草」に、意外な楽しみと、さらなる煙草に関する人類歴史を踏まえた上でその趣を味わうということであろう。

今回の体験は、私にとって、その中に潜んでいる想像外の世界を覗いてみた貴重な時間であった。

こうしたグループは韓国では殆んどないと思う。しかし日本ではそれぞれ自分が好きなことに夢中になり、ある境地にまで至ると、さらにそれを広げ、それの好きな人達が集まり、お互いに楽しみ、また深く入り込むという仕組みがたくさんある。

日本のどこにでもある所謂「勉強会」といったものも、こうしたグループの一種であろう。こうしたことは日本の特長であり、私にとっても予てから興味深い研究対象であると思っている。

2008年6月10日
韓国 啓明大学校 美術大学教授
(東京藝術大学客員研究員として来日中)
李仲煕(い じゅん ひ)
註:原文は日本語で書いて頂きました。日本語としてなじみにくい表現やわかりにくい表現は、李仲煕教授の諒解を得て、編集部で一部加筆修正しました。