パイプの愉しみ方
Nitra Pipe Club 正会員就任旅行記 その2
前夜の歓迎会で、スロヴァキアビールで深酒して熟睡。翌19日の午前中はニトラの旧市街地を散歩しながら、土産物店や骨董店を冷やかしました。気温は30度を越えていましたが、適度な風があり、湿度が低いのでまあまあ快適でした。
宿泊したグランドホテルは市の中心にある歴史的な建造物で、旧市街地内のどこの方角からでも見えるので、方向音痴の私も道に迷うこともなく行動はとても楽でした。ちなみにホテルの朝食は地元産の新鮮な農産物を食材にした豪勢な内容で、実に美味でした。
午後1時にニトラパイプクラブ共同会長のIgor Escher, Michal Koza Sr., Maros Strazanecの3氏がホテルに迎えに来てくれました。スロヴァキア人は日本人同様に時間厳守です。3氏が平日にも拘わらず、日中、自由に動けるのは、3氏がいずれも地元の企業の経営者か自営業だからとのことでした。
今日の予定は、まずニトラ城の見学で、その後、ニトラ飛行場に行き、夜にニトラパイプクラブの臨時例会で私の入会式だということでした。前日のホテルロビーでの雑談で、スタニスラフ社のパイプタバコの様々な銘柄の缶のラベルに第二次世界大戦時の日独伊米英仏など列強国の戦闘機の絵が描いてあることから、社長のJosef Stanislav博士に訳を尋ねたら、やはり戦闘機マニアということでした。日本軍の戦闘機として取り上げられているのが海軍の有名な零戦ではなく、同じ海軍の高速の局地戦闘機震電J7W1であることから、Josef Stanislav博士のマニアぶりがわかります。
昨日の雑談では、第二次世界大戦の戦闘機の話から、第二次世界大戦自体につい話が飛びました。私が「スロヴァキアは、第二次世界大戦中はどちら側でしたっけ? 確か日本と同じ枢軸側の一員として戦ったのではありませんか?」と無躾な質問をすると、皆の顔が曇りました。しばらくしてMichal Koza Sr.氏が「複雑な歴史がある」と一言だけ絞り出すように答えたことが鮮明に記憶に残りました。
日本に帰国して調べたところ、やはり当初はナチス・ドイツの同盟国として枢軸側で参戦、ドイツが頽勢となってスロヴァキアが赤軍に占領されると、共産傀儡勢力が政権を奪ってソ連側に付いたことがわかりました。この間、様々な民族的悲劇があったそうです。ドイツとソ連という強大国の狭間で翻弄された小国の悲哀というべき複雑な歴史的経緯があることを知りました。中欧東欧史についての素養の無さから迂闊な質問をしてしまいました。
さて、ニトラ城は旧市街地の中の丘陵を利用して11世紀に創建されたものだそうです。城の中には、大聖堂、教会、司教館があります。ホテルからしばらく歩くとアトラスのように建物の一角を支える石像Corgoň(スロヴァキア語の発音でソルゴニァ)がありました。Michal Koza Sr.氏が「ニトラのシンボルです。15世紀にオスマントルコがニトラに来襲した時に、ニトラの鍛冶屋だった彼が城壁の上から大きな石を次々に投げ落としてオスマントルコ軍を撃退したという伝説があります。1820年にこの建物を建築する時に、Corgoňの石像を作りました」とのこと。後で気づいたことですが、ニトラの土産物店で売っているマグネットやペナント類には、このCorgoňの像が数多く使用されていました。
大聖堂と教会に掲げてある十字架は日本ではあまり見たことがないダブルクロス。キリスト教について不勉強な私が「ニトラのキリスト教は、ローマ・カトリック教会ですか?それとも東方正教会ですか?」と尋ねたら、Michal Koza Sr.氏はあきれたような顔をして「ローマ・カトリックです」と言って、キリスト教伝来以前と以後の歴史を詳しく解説してくれました。
普段は一般の旅行者は大聖堂内には入れてくれないそうですが、今回はニトラの名士であるMichal Koza Sr.氏の特別なはからいでゆっくり拝観できました。ステンドグラスの豪華さと厳かな雰囲気に感銘を受けたところで、午後3時を回り、喉も渇いたので教会直営のビアガーデンで昨夜とは別の銘柄の地ビールで乾杯。これも美味しかったです。
喉を潤したところで、昨日の戦闘機の話の流れでニトラ空港に連れて行って貰いました。ニトラ空港は旧市街地から十数キロの距離にある農薬散布機など小型機専用の空港で、滑走路は芝生です。
飛行場の入り口の屋外にずらりと並べてあるのが引退した旧ソ連の主力戦闘機であるMiG戦闘機のシリーズ。支那大陸での国共内戦で中共軍を支援し、朝鮮戦争では中共義勇軍(実際には大半がソ連軍パイロット)の主力戦闘機として国連軍(米軍)のF86と渡り合ったソ連軍の主力戦闘機のMiG−15を始め、ベトナム戦争でソ連が供与して北ベトナム軍の迎撃戦闘機として活躍したMiG−17、MiG−19、MiG−21などがずらりと展示してありました。
いずれもエンジンは取り外し、機関砲やミサイルなどの武装は当然、外されていましたが、翼のマークは旧チェコスロバキア空軍のもの。旧東側の往時の戦闘機をまとめて見学したのは初めてでした。屋外展示で自由に触れますから、戦闘機マニアの方は一度、見学に行かれたらと思います。
Michal Koza Sr.氏が、空港にニトラパイプクラブの会員で小型機の持ち主がいるというので、連れられて挨拶に参りました。丁度、巨大な格納庫から軽飛行機を出しているところでした。機種はドイツ製のグロプG115だと思います。二人用の軽練習機です。Michal Koza Sr.氏が、「試しに一度乗ってみないか」と勧めてくれたので、助手席に恐る恐る座ったら、機長氏が笑顔で「ベルトを締めて」との指示。締めたら突然、プロペラが軽快に回り出して走り出したのでビックリしていたら、二百メートルも芝生を走らないうちに軽々と離陸しました。
飛行機はそのままニトラ上空に向かって遊覧飛行。空は晴れ渡り、視界良好なのでニトラ城の大聖堂や旧市街地の街並みなどが遥か眼下に鮮明に見えました。ニトラ郊外は牧草地や畑の緑が整然と広がりのどかです。近くに大河のドナウ川も静かに流れています。西の地平線上に太陽が傾いています。15分ほど空中散歩を堪能したところで、空港に戻ってふんわりと着陸しました。私の次はS博士が快適な遊覧飛行を楽しみました。
私もS博士も2人用の軽飛行機に乗ったのは初めて。後で、聴いたら、わざわざ日本からやってきた我々を歓迎し、驚かせるためのサプライズ企画として準備して下さったとの話でした。
嬉しさと興奮冷めやらぬうちに、「さあ、入会式に行こう」と促されて、ニトラ市内に車で戻る途中で伺った話は、軽飛行機はパイロットのご子息の持ち物で、ご子息は軽飛行機を2機保有しているとのこと。パイロット氏の本業はテレビ局のカメラマンで、飛行機の操縦は趣味だそうです。さらにパイロット氏の父親は農薬散布が専門の飛行士で、半世紀以上もスロヴァキアの空を飛び回ったそうです。祖父、父、息子と3代に亘る愛煙家で、どなたもニトラパイプクラブの会員。
この後の私たちの入会式にも出席して下さり、お礼のご挨拶をしました。84歳という祖父の方は若々しくて、一見したところ50代にしか見えない壮健ぶりで、30歳くらいのお孫さんと一緒に大きな葉巻をスパスパ喫っておられたのが印象的でした。
入会式は、ニトラパイプクラブの例会を開催するレストランで開催しました。会場には30名近い会員が我々の到着を待っておられ、パイプや葉巻の芳しい紫煙が立ち昇っていました。
まず、Michal Koza Sr.氏が、私とS博士を集まった会員全員に紹介し、次に私たちが挨拶を兼ねて自己紹介したところで、会員の一人がスロヴァキア民族楽器で長さ二メートル近い縦笛のバスフルートfujara(フヤラ)を吹き鳴らしました。音のかすれ具合が日本の尺八にとてもよく似た独特の音色です。後で伺った話ですが、fujaraを演奏して下さった方は、もちろんニトラパイプクラブの会員で、スロヴァキアに数人しかいないfujara制作者で演奏家でもあるとのことでした。
因みにウィーンで別れてザルツブルク音楽祭に向かったT博士は、世界各国の民族楽器の蒐集家です。帰りの機内でfujaraの話をしたところ、羊飼いの実用品から発展したとても珍しい縦笛で独特の高音と低音が出るとご存知でしたが、実際に見たこともないし、音色を聴いたことがないそうで、生演奏を聴きたかったと残念がっていました。
さてfujaraの短い演奏が終わったところで、Michal Koza Sr.氏が私に会員認定証と会員手帳、小さな織物の幟旗を贈呈しました。私の会員番号は074番。会員手帳は毎年、会費を払って更新するごとに新しい絵柄の切手状の認定シールを貼付するものです。幟旗には、ニトラ・パイプクラブ会員の国籍の旗が描いてあります。日本人の私が加わったことで、7カ国目だそうで、まさにインターナショナルのパイプクラブという訳です。私は毎年、会費を海外送金するのが面倒なので、入会式で、Maros Strazanec共同会長に、とりあえず5年分の会費を現金で前払いしましたが、毎年の新しい認定シールは新年度にならないと頂けないそうでした。S博士は、同様に名誉会員の認定証、幟旗を頂戴しました。
贈呈式が終わったところで、私とS博士がそれぞれ謝意を表明し、ニトラパイプクラブの皆様への日本のお土産品を贈呈して恙無く入会式は終了しました。私たちがクラブ宛に贈呈したささやかな土産品は秋に開催するスロヴァキアパイプスモーキング選手権大会の成績優秀者への賞品にして下さるとの由。この後は食事しながら、軽くアルコールを嗜んで懇談して特別例会は終了しました。
意外だったのは、例会ではアルコール類を飲んでパイプや葉巻を喫煙するだけで、食事はせずに自宅に帰ってから食事するという会員が半数以上だったこと。ニトラは小さな地方都市で、会員の大半が歩いて帰れる距離に自宅があるという点や、会員間の経済的な格差をあまり露骨にしない事情もあると思いました。ビール類はジョッキ1杯で100円程度と格安ですが、食事はそれなりの価格ですから。ともあれ、会員の親睦を大切にする暖かい雰囲気で細かな心遣いのパイプクラブだと感じました。
(続く)