パイプの愉しみ方

パイプの愉しみ方

ウクライナ・リヴィヴ遠征記

JPSC 小枝義人

「ネザーランド(オランダから)」―隣に座った男性が手を差し出しながら声を掛けてきた。「トーキョー」と握り返しながら応えると、「去年の東京大会、参加しました」と、ニッコリ。

ラグビー観戦でもパイプスモーキングでも、同好の士はそれだけですぐ友人になれる。

「パイプはもともと欧州の文化ですねえ」と持ち上げると、「まあね、でも最近、喫煙の主流は西ヨーロッパから東に移っているんだ。例の禁煙圧力というやつでね」と肩をすくめる。

「日本も同じですよ」などと言っているうちに座っているテーブルは参加者で満席になる。オランダ、日本、ポーランドの3か国だ。

今年のパイプスモーキング・ワールドカップは10月13日の日曜日、ウクライナ共和国西方の都市、リヴィヴ(LVIV)で開催された。

会場には欧州各国から集まったスモーカー達250人余りの参加者で賑やかだ。米国組の顔が見えないから、欧州域外参加国は日本ぐらいのものか。ヨーロッパは陸続きだから、近隣ならば、バスで国境を越えて移動すれば簡単だが、日本からはそうはいかない。

「極東からはるばる来てくれたのか」という歓迎の気持ちが、参加者から伝わってくる。

スタンウェル製の大会用パイプはしっかりしたつくりで、吸いやすい。途中で火が消えるのはくやしいので、最初から燃やし続けたら、30分手前で煙草は完全燃焼して消えた。

大会の詳細は別稿に譲り、今回は大会が開催されたウクライナのリヴィヴの魅力について記してみたい。


人も街もきちんとしている


日本からウクライナまで出向く機会など、まずないだろう。去年、東京大会の会場(浅草ビューホテル)で「来年はウクライナのリヴィヴで開催」と発表された時から、われわれ仲間4人は「これは行く価値がある」との共通認識で用意を進めてきた。

ウクライナの首都はキエフだが、リヴィヴはウクライナの西方にあり、ポーランド国境に近い。いわば東欧圏である。

東京からトルコのイスタンブールに12時間かけて飛び、そこから飛行機を乗り継いでさらに2時間。リヴィヴに着く。なかなかの長旅だ。

空港のゲートを出ると、「日本」「Japan」と掲げられた紙が視界に入った。

リヴィヴパイプクラブの男女のメンバーが、われわれをはじめ、各国のパイプクラブの到着をチェックし、迎えにきてくれたのだ。これで不安が消える。

人や街には第一印象というものがあるが、リヴィヴに関しては「人間も都市もきちんとしているな」という好ましい感情を皆が共有したのが、この時だった。それは間違っていなかったことを、これから縷々述べることになる。

「明日夜、すでに到着した各国パイプクラブ有志が集まって、パブで1杯やるから、ぜひ来てくれ」と地図と時間が印刷された紙を渡された。

ハイヤーで、予約しておいた宿に向かう。旧市街の中心地にあるホテルは、かつては貴族の館だったのではないかと思わせる堅固なつくり、高い天井に150平米を超える広さ。巨大なベッドルームが2つ、薪をくべる暖炉付きの居間にダイニングルーム。外を眺めると石造りの建物の屋根が連なり、まるで中世ヨーロッパにやってきたみたいだ。4人で泊まっても広すぎる。「来てよかった」と一同。

荷物を置いたら、まずは散策だ。欧州のスモーキング選手権参加歴10回を誇るH氏とS氏。おととしのスペイン・フィゲラス大会遠征で彼らと同行したK氏と筆者の一行4人。宿泊、食事、移動、買い物、4人1組は何をするにも便利だ。

どこの国や街でも即座に地図が頭に入り、決して迷わないS、K両氏が先導して移動する。


われわれは異邦人


リヴィヴは800年の歴史を誇る街で、旧市街はオペラハウスを中心に放射状に石畳の道が広がっている。なにより、ここはスラヴ系白人のウクライナ人の国で、東洋人はまったく見掛けない。われわれは完全に異邦人である。

空港や一部のホテル、レストラン以外では英語はほとんど通じない。看板はキリル文字で、たまに英語表記がある程度だ。店に入ってみる。英語で聞くと、ウクライナ語で答えるから、お互い分からない。それがある種、清々しい。あとは身振り手振りで意思疎通し、紙に数字で値段を書いてもらい買い物をする。

日本では珍しいグルジア・ワインやアルメニア・コニャックも、ここでは近隣産だから、普通の酒屋やストアに置いてある。酒のつまみにウクライナチーズを買って食べたが、チーズ党のKさんが「癖がなくて食べやすい」と評価は高い。

中欧から中央アジアのコーヒーは濃いものが好まれる。ここでもコーヒーはエスプレッソのように濃い。

本格的な喫茶店に入り、「アメリカン」と注文したら、カップの底に少しだけコーヒーが入っているものが出てきた。脇に四角い陶器の入れ物がついてくる。「これはミルク入れか?」と開けたら、中にはお湯が。その熱いお湯をカップに注ぐと、薄めのアメリカンコーヒーとなる。なんとスマートでおいしいコーヒーだろうか!

快適なのは、異邦人のわれわれを誰も特別な視線で見ないからだろう。

治安もいい。大会前夜のガラディナーが催されたホテルから、夜10時すぎに歩いて帰っても危険をまったく感じなかった。そして、欧州に来ると、つくづく「喫煙は文化だ」と感じる。ラグビーワールドカップでも、あの禁煙県・神奈川の横浜スタジアムにさえ喫煙空間が設けてあり、ビールといっしょに喫煙を楽しむ欧州人の姿をたくさん見た。来年の東京五輪、どうするんだろう。

リヴィヴも、店舗内や路上喫煙は最近になって禁止されたと聞いたが、街角でたばこを嗜む人は男女を問わず多い。ライオンがシンボルのこの街には、ライオンマーク入りのごつい鋳鉄製のゴミ箱が、あちこちに設置してあるが、ごみ箱の上には灰皿が付いているので、吸い殻が道に落ちていない。

美しい街並みになるよう、工夫されているし、飲食店も屋外のテーブルでは喫煙はできる。喫煙文化には寛容だ。そうなれば喫煙・禁煙派の無用な軋轢も生まれはしない。これが大人の対応なんだな、と感心した

北にある内陸国家だけに10月中旬となれば、もう北海道のように寒さが到来する時期だが、たまたま滞在した数日間は暖かく、昼間は汗ばむほどであった。それでも公園の樹木や街角の並木の葉は黄色に染まり、石畳の道に落ちて重なり、晩秋から初冬の雰囲気が漂う。

さすがは「東欧の小パリ」と呼ばれるだけはある。撮影はまめなS、K両氏が担当してくれるから、お願いする。

スターバックス、マクドナルド、ナイキといった世界中を席巻しているブランドはほとんど見かけない。カフェやケーキ屋も地元・ローカルメイド文化が華咲いているから、異国情緒が掻き立てられる。有名な観光地のように擦れてないのだ。

学生時代にロシア語を学んだH氏によれば、「冷戦崩壊後、ソ連のくびきから逃れた東欧圏だが、最近の若者はキリル文字はダサく、英語に代表されるラテン文字を使いたがる傾向がある」というが、まだまだラテン文字よりキリル文字があふれるこの街は、われわれには新鮮だ。

西側資本にそれほど浸食されておらず、Wi-Fi環境も整備されておらないため、スマートフォンを見つめ続ける人も、日本のようにいないのが、気持ちがいい。子供たちや10代の少女は天使のように可愛い。


等身大の美しさ


見上げるような巨大な建物はなく、すべてが等身大の都市だから、マイペースで歩ける。筆者がもっとも気に入ったのはポトスキー宮殿だ。かつてのオーストリア・ハンガリー二重帝国時代にオーストリア首相だったポーランド貴族のポトスキー伯爵が1880年に別邸として建立した。ヴェルサイユ宮殿のように巨大でなく、身の丈にあった建物だ。いまは美術館になっていて、旅行者や子供たちの社会見学と思しき集団の姿も見える。正面入り口に灰皿つきゴミ箱もあるので、そこでタバコを吸うこともできる。

われわれも中に入る。一昨年、ピカソやミロが生まれたバルセロナの美術館では彼らの大量の作品を一気に鑑賞できたが、それらは東京での展覧会のようにロープ越しに遠くから眺めるのでなく、目前まで近づいて、ゆっくり鑑賞できる幸せを味わった。この宮殿も世界的に知られているわけでもないので、見学者も地元の人と旅行者がほどほど、眼前まで近づいて眺めることができる。

この国の画家が描いた16世紀からの作品が、宮殿の部屋に素朴に展示されているが、中にはゴヤのような有名な作家の作品も混じっている。

「日本でもフェルメールのような著名な作品展はあるが、それほど有名でなくとも、同レベルの作品がここにはあるから、ここの方がいい」とH氏。同感である。

「おそらく数千万円はする」(H氏)と思われるアンティークのマイセンの磁器も、さりげなく展示されている。この宮殿の階段は撮影にはもってこいなのだろう。ファッションモデルの撮影にも使われているようだ。

それにしても市内に多くある19世紀以前に建てられた石の建築物が昔のままに現役で活躍しているのは、ポーランドのように戦争で古い建物が破壊されなかったからだろうか?

不勉強な筆者の疑問をH氏が解説してくれた。「リヴィヴは、常に大国の支配、脅威に晒されてきた都市です。中世の時代は長くポーランドに支配されていましたが、18世紀後半にオーストリア・ハンガリー帝国領になり、第一次世界大戦ではオーストリア帝国とロシア帝国が争奪戦を演じました。その後ポーランド領になりましたが、第二次大戦ではナチスドイツとソ連が奪い合いました。古い建物が破壊されなかったのは、第二次大戦でドイツ軍が包囲したものの、市街戦は避けたためです」とのこと。

「大国の意向に翻弄される小国の運命は悲しい」と台湾の古い友人が語った言葉を思い出した。

第二次大戦後はソビエト社会主義共和国連邦に組み込まれ、冷戦崩壊後に独立するまでソ連の核兵器製造地で知られたウクライナ。国際政治の舞台では辛酸を舐めている国だ。

数年前はプーチンのロシアに、ロシア系住民が多数を占めるウクライナ領のクリミア半島を併合された。これには欧州、米国、日本も激しくロシアを非難し、サミットからロシアが排除され、G8がG7になった原因がウクライナ問題だった。

そんな厳しい国際情勢をまったく感じさせないのは首都キエフではなく、リヴィヴが東欧に近く、東欧気質の街だからだろうか。それでも路上や広場の土産物屋を覗くと、プーチンの顔が印刷されたトイレットペーパーを売っている。反露感情は強いんだろう。


チェック


大会も無事終わり、リヴィヴ空港でチケットも受け取り、出国検査の列に並んでいると、屈強な職員が筆者の名前を呼び出した。

「なんだろう?」

付いてこいという。荷物に怪しいものは入れていないが‥‥。そうはいっても不安にはなる。「たいしたことはないよ。先に入って待っているから」と他の3人が声を掛けてくれる。

空港カウンター脇の部屋に連れていかれ、公安職員と思しき人間にパスポートの提示を求められる。

もう30数年前、イスラエルを出国する際、ベングリオン空港で同じようなことがあった。あのときは過激派日本人と間違えられた。

机の上に航空会社に預けたトランクが置いてある。「荷物の中にチェックしたいものがある。開けてください」。

開けると、荷物を取り出される。葉巻が1箱入っているのを見て、係員が「たばこが好きなのか」と聞くので、「今日、リヴィヴでパイプスモーキング大会があった。それに参加した」と答えるが、返事はなかった。すぐ「これだよ」と彼がピックアップしたのは、電池式髭剃り(シェーバー)だった。

小型爆弾か手榴弾と疑われたのだ。これまであちこちに出掛けた時もトランクに入れていたが、引っ掛かったことはなかった。さすがは大国の狭間で生き抜いてきた国だ。危機管理はきちんとしている。

無罪放免となり、出国ゲートをくぐり抜けると、仲間が待っていてくれた。いやはや。