パイプの愉しみ方
パイプ開発者のモノローグ 第二話 「薬効」
そもそも喧しい喫煙権(嫌煙権にあらず。念のため)なのだけれども、「煙草の毒性」とやらに対する嫌煙家からの激しい攻撃に曝されているのが今の状況だとしたら、煙草の「薬効」をもっと論じてはどうでしょうか。(すみません。偉そうに)
初めて吸った「やまと」で倒れはしたものの、その後に続く吹奏楽の合宿では、もう、押入の中で紫煙の友となっていました。
まだ、習慣性には至っていなかったものの、何か大人の仲間入りしたような気分と「隠れ煙草」のスリルがたまらなかったみたいです。その当時は「大人になったら是非、煙草を吸いなさい」と、奨励されていた様な気も致します。
「今日も元気だ。煙草が旨い」でしょ。
そう、大人のあらかたは煙草を吸っていた時代で、どこもかしこも濛々たる煙の中で粛々と仕事が進められていた。と思います。
官庁や会社の課長さんの席には吸殻山盛りの灰皿と、濃紺に金鳩が逆立ちして燦ざめくピース缶があったに違いないです。きっと。
でも、ご婦人の喫煙は余り公ではなかったような気が致します。(ここ! 論点の転換点)
歩きタバコが当たり前の時代でも,今のような光景はありませんでした。
「教養のある、嗜みのある日本女性は、歩きタバコなど、はしたないことはしないもの」と、アルバイト先で知り合った女の子から一度だけのデートの時に聞かされもしました。(彼女からはふられましたが)そんな観念がありました。
……そうでしたよね。皆様。
私の母親も外出先では一服したいのに、じっと耐えていました。
今のような、流行(はやり)のコーヒーショップはなかったし、喫茶店の様な、不穏なところに子供を連れて入るわけにも行かないし…………。
外では、婦人は煙草を吸わないものだと、子供の頃は納得していたし、つい20年ほど前までは、世間はそんな風潮だったように思います。
何故でしょう?
女と喫煙がお似合いの光景が脳裏に浮かびます。
浮世絵の中。
あるいは、映画の時代劇の中や、芝居の中。
そうです。煙管(キセル)です。
あれはいいですね。火皿、羅宇(らお、らう)、吸い口、で長い奴。あれを上手に掌に乗せるように握って「ぷか ぷか ぽい」
煙草盆の吐月峰にカンカンとやって、また、熾した炭でチェーンするのって、江戸から大正の頃まででしょうか、煙管文化華やかな古き良き時代でした。
いまの紙巻き煙草も、MR.スリムの登場でご婦人方が喫煙権を拡大したのでしょう?
ご婦人には、細い煙草の方がきっと似合うのです。
五反田の有名店のサロンで葉巻を嗜んでいたご婦人をお見かけしました。
また、東京・銀座を拠点に活動している名門クラブJPSC(日本パイプスモーカーズクラブ)様に加えて頂き、数名の女性パイプ愛好家の方とお会いする事が出来ました。
「やっぱり、居たんだ! 居たんだ!」と感動ものでした。
パイプ人口と葉巻人口については、圧倒的に「男性社会」に違いありません。
パイプ人口を増やし、煙草の販売店を守り、拙作のパイプを一個でも売るためにも(やっぱり出ました!我田引水)、男女共同参画が望ましいのではないか?
ある種の習俗的ジェンダー(性差)は払拭すべきではないか。
と言うわけで、ご婦人とパイプの光景についてつらつら考え、あの煙管の「雰囲気」が一番だという、深遠なる結論に達してしまいました。
これは、人間工学と均衡学に由来するものなのです。「均衡学」とは、耳慣れないでしょうが、私が開発した学問ジャンルです。
嘘っぽいですが、でも実在している感じがするでしょう?