パイプの愉しみ方

パイプの愉しみ方

日本の辺境にパイプ煙草と葉巻を喫いに行きました(その1 西表島)

愛煙家 Tesseract

世界中が武漢コロナウイルスで大騒ぎになっているので、なかなか海外旅行に行けません。そこで滅多に訪れる機会がない日本の辺境を訪ねてみようと思い立ちました。自然に囲まれた田舎でパイプと葉巻を満喫するのも目的の一つです。

経験談を愛煙家仲間に話したら、「旅行記を書いてくれ」と依頼されたので、拙い文章ですが記憶のままに記します。

まずは南西諸島の西表島。シーズンオフの今年2月に訪ねましたが、本土の初夏並みの暖かさ。半袖半ズボンの恰好で十分でした。西表島は大半が亜熱帯のジャングルで、島の半周余りしか道路がありません。石垣島までは空路で、石垣港で連絡船に乗り換えて行きます。西表島の上原に宿を予約しましたが、石垣港から上原港に行く予定が船会社の都合で急に欠航になってしまいました。上原港行きの連絡船は冬場は天候が悪いと頻繁に欠航するそうです。何だか出端を挫かれた感じでした。

 

その日に出港する上原港行きの連絡船は無し。困って船会社の窓口で相談したら「大原港行きの便に乗れば、上原港までバスで無料で送ります」とのありがたい言葉でした。

大原港に着いたら1台大型バスが停まっていたので、「これだろう」と思って、早速乗り込みましたが、肝心の運転手さんがいません。バスの外でパイプ煙草を喫いながら待つこと約20分。ようやく待望の運転手さんが現れました。顔を見ると、先ほどまで連絡船で荷下ろし等をしていた甲板員の方です。「上原港までお願いします」と言ったら「宿まで送るよ。どこの宿?」とのこと。とても親切で嬉しかったです。乗客は私だけ。

実は西表島は今回が二度目の訪問ですが、上原は初めての訪問地なので便利な宿が良いだろうと思って、港から徒歩数分の安宿をよく調べないで予約していました。出発前に念のためにこの宿の評判をインターネットで調べたら、宿泊経験者の怒り爆発の罵声と酷評ばかり。慌てて港からやや離れたペンションに変更していたので、バスで送って貰って助かりました。上原港から徒歩でゆうに1時間以上かかる距離でした。

バスの車窓から島の景観を楽しんでいるうちに30分余りで上原港に。そのまま通り過ぎてしばし乗るうちに運転手さんが「ここだよ」と道端で降ろしてくれました。周囲は雑草だらけの原野と収穫済みのサトウキビ畑で宿の看板も見えません。海岸が見えるあたりにペンキ塗りたての洒落た建物があったので「おそらくここだろう」と思って坂を下っていったら、正解でした。

この宿に1週間ほどお世話になりましたが、なかなか快適で朝夕の食事も美味しく、西表島滞在を十分楽しめました。ただ問題は昼食。宿の主人に徒歩で30分くらいのところに日本一南にある寿司屋があり、かなり美味しいと教えてもらったので、期待して歩いて行きましたが、コロナ騒動で休業中とあってがっかり。仕方がないのでさらに20分ほど歩き、道路から少し隔たったジャングルのような場所で営業している小食堂をようやく見つけました。外観も室内も昭和30年代にタイムスリップしたような雰囲気。焼きそばを注文しましたが、出てくるまでやや時間はかかるものの味と料金はごく普通でした。

車の運転ができず、公共交通機関と自分の二本の足しか移動手段が無い私が簡単に外食できるほど辺境の地は甘くはありません。昼食のための往復2時間近い行程を、日課の散歩と割り切るしかありません。荒天の時は石垣港の売店で買ったお菓子類を食べて我慢するだけです。

 

宿から徒歩で往復できる範囲の景観地をパイプと葉巻、水筒とおやつ持参でいくつか訪れました。マングローブ原生林の景観が眼下に広がる展望台と、「うなりざき公園」の二つが素晴らしかったです。ずっと道を歩いていても人影は皆無。ときおり見かけるのは草を食んでいる山羊さんだけでした。東支那海を見晴らせる展望台や広大な岬を一人占めして、葉巻とパイプ煙草を燻らせるのは至福の瞬間でした。

西表島を去る前々日、せっかく来たのだから西表島の端まで遠征してパイプを楽しもうと思い、宿の主人にバス便の有無を聞いたら、「上原港と白浜港往復の竹富町営バスが1日に数本運行しており、近くにバス停留所がある。確か午前10時台に1便あると思う」とのこと。そこで乗り遅れないように、10時前にバス停に行って待つことにしました。

ところが教えてもらった辺りまで行ってもバス停がありません。道路の上り車線側にバス停かと思しき印があったので、「ここかな?」と思ってパイプを喫いながらじっと立って待つこと約30分。すると反対車線にバスが見えました。「これだな!」と思って手を振ると、運転手さんが、道路を横断して下り車線側に行くよう身振りで指示しました。止まったバスに乗り込んで運転手さんに「バス停の標識がないから反対側で待っていた」と言ったら、「昨年の台風でどこかに飛んで行ったのだろう。合図してくれれば止まるよ」とのんびりした返事。まさに辺境の地でした。

乗客は私一人。数キロおきにある停留所をノンストップで通過して白浜のバス終点に11時頃到着。運転手さんに帰りの便を聞いたら、午後は嬉しいことに2本もあるとのこと。

西表島で道路があるのは白浜までです。白浜港には1,2隻の漁船しか見当たりませんでしたが立派に整備されています。私は世界各国を旅行してきましたが、こんな僻地まで行き届いた港湾を整備しているのは恐らく日本だけです。我が日本の国力は凄いなと改めて感心しました。

船浮行きの渡し舟の出発まで小1時間ほど時間があったので、白浜港一帯をしばし探検。まず目を引いたのが道路際に123456789のアラビア数字が記された何かの記念碑。何でも東経123度45分6秒789の子午線が白浜を通っているそうです。ただそれだけのことですが、何かの記念にはなるでしょう。私も写真を撮りましたから。

白浜地区は明治時代初期に炭田が見つかり、大東亜戦時中は採鉱でかなり賑わったが、戦後、廃坑になり寂れたそうです。渡し舟で船浮まで足を伸ばす途中に炭鉱があった内離島が見えましたが、現在は無人島になっているそうでした。

船浮は僻地感満載の海辺の小集落。波静かな船浮湾での真珠養殖業で食べている人が多いとか。旧帝国海軍の遺構が残っていると案内板にあったので、洞窟などを外から覗きましたが、わざわざ入って見物するほどのこともなし。どこかで昼食をと思いましたが、あいにく営業中の食堂は見つからず、1軒見つけた雑貨屋は店の人が何故か不在でした。

そこでやむなく目指す最終目的地のイダの浜へ向かうことにしました。案内板に従って亜熱帯林の小道を20分程辿って到着しました。

イダの浜は珊瑚礁の白砂が広がる遠浅の波穏やかな浜辺です。竹富町のパンフレットには日本で指折りの景観の砂浜とあります。

冬の時期とあってか人影は皆無。眩しいほどの晴天。静寂。聞こえるのは微かな漣の音だけ。沖合遠くに外海が見えます。太平洋なのか東支那海なのか、わかりません。

砂浜に腰を降ろしてとっておきの葉巻におもむろに火を着けました。吸い切った後は、パイプを取り出して再び喫煙。2時間ほど燦々と陽光が煌めく海と空と珊瑚の白砂が織りなす幻想的までに美しい景色を眺め続けました。

思いっきり煙草を堪能して気分爽快になったところで、そろそろ帰ることにしました。帰りの渡し舟の乗客は私だけ。鏡面のように波が無い船浮湾から群島美を眺めながら白浜へ戻ったのは遅い昼下がりでした。

夕方のバス便が来るまで港の周辺をぶらついていると、親子らしきの山羊さん2匹が長い紐でつながれて、草を食べていました。紐が届く範囲の草を食べ尽くしていたので、近くの瑞々しい草をちぎって与えたらメエーメエーと大喜びでした。

山羊さんたちと遊んでいるうちに上原行きのバスが来ました。乗ったのは私一人でしたが、途中で住民らしい腰の曲がった高齢のご婦人が一人乗り込んできました。バスも舟もずっと乗客は私一人だったので、何だか安堵しました。このご婦人、運転手さんと何やら親しげに話していましたが、島言葉で私はわかりませんでした。

辺境のイダの浜で、葉巻とパイプを思う存分楽しんだという深い満足感を抱いて宿に戻りました。

面白くもなんともない体験談ですが、日本の辺境の土地というのは、まあこんなものです。

お付き合い下さり、ありがとうございました。