パイプの愉しみ方

パイプの愉しみ方

第18回 ショパン国際コンクール を聴いて

愛煙家 伊達國重

第18回ショパン国際コンクールがコロナ禍の影響で1年遅れで開催された。
私は7月の予備予選の主な演奏と10月の1次、2次、3次予選、本選及び受賞者演奏会をワルシャワからのインターネット同時中継と録画で百時間余り聴き通した。


私は音楽業界とは全く無縁で、またピアノ演奏についても門外漢である。どこにでもいる、ただのクラシック音楽愛好家に過ぎないことを予め断っておく。
私の演奏に対する評価基準は、つまるところ自分が好きか嫌いかだ。

そんな程度の私がなぜショパンコンクールを飽きもせず聴いたかというと、まずショパンの音楽を好きだと言うこと、才能溢れる若いピアニストの緊張感溢れる演奏を聴き比べたいと言うこと、日本から優れたピアニストが十数名挑戦しており今回こそは日本人優勝者が誕生するのではないかという期待、そして決定的な理由は数年前に仕事を引退してもっぱら暇であると言うことに尽きる。


私の視聴方法は、音はパソコンからアンプ(SANSUIのAU−D907F)に繋いでフロア型スピーカー(TANNOYのClassic Monitor)で、映像は46インチテレビジョンモニターにパソコンから直接繋いで、というものだ。オーディオ機器は今から40年ほど前に購入したもので、アンプは一度SANSUI元技術部長氏に部品交換と調整をしてもらい、スピーカーはウーハーのエッジを一度張り替えたが、今でも美しい音楽を奏でてくれる。繊細なピアノの音色をかなり忠実に再現し、ピアニストの指使いまでカメラが映すので、それなりの臨場感がある。20畳ほどの部屋で一人パイプ煙草を燻らしながらソファに座ってリラックスしながら視聴した。


コンクールに出場した日本人ピアニストの結果は、反田恭平君が2位、小林愛実さんが4位と言うものだった。1次予選出場者が87名だから、実力通りの見事な好成績と言って良いだろう。


しかし、コンクール全体を通じて審査結果には強い違和感が残った。17名の審査員が一体全体どういう基準で審査しているのか私には理解できないのだ。50年以上もピアノの演奏を聴き込んでいると、好き嫌いはともかくピアニストの才能と技術、演奏の良し悪しはそれなりに分かるものだ(と自負している)。1、2、3次各予選で素晴らしい演奏、良い演奏をした人が次々に落ちて、アレッと思った人が通っているのだ。私の耳が老化で壊れてきているのだろうか? それとも審査が‥‥? 違和感だけが膨らんで行った。


7月の予備予選はかなりつまみ食いで聴いたが、際立っていたのは、中国、日本、韓国、台湾の東洋のピアニスト勢。演奏技術と曲の解釈にそれぞれ秀でたものを強く感じた。10月の1次、2次、3次の予選を通過して本選まで進むのは東洋勢が大半で、優勝はおそらく日中韓台の戦いだろうと勝手に予想した。


10月3日から始まった1次予選の演奏を聴いて、日本人ピアニストの中で期待したのは反田恭平君、牛田智大君、角野隼人君と小林愛実さんの4名。いずれも日本では既に名のあるピアニストで、将来を嘱望されている逸材だ。演奏技術が卓越している反田君、牛田君、小林さんの本選入りは確実で、上位入賞するだろうと思った。才能溢れる角野隼人君はややダークホース的存在で、彼の独特の音楽性が認められれば優勝するだろうし、そうでなければ早々に予選落ちかもしれないと思った。それまでノーマークだったが沢田蒼梧君、京増修史君の演奏も実に優れていると思った。


1次予選の結果発表は10月7日。87名中、45名が2次予選に進むことになったが、本選で日本人ピアニストの強敵になるだろうと思っていた中国人ピアニスト2名が落ちたのはいささかびっくり。日本人ピアニストは順当に8名が残った。


2次予選レベルになると、一流の演奏技術に達している人が多く、まだ発展途上だなと思う人は少なくなる。聴いていて素直に楽しめる演奏が多い。
ところが、期待の牛田君が圧巻の演奏をしたのに、衝撃の落選。「なぜだ!」と叫んでしまいたくなった。審査員のお好みに合わなかったと言うしかない。
私が上位に食い込むと思っていた中国人と韓国人ピアニストたちも良い演奏だったのに軒並み落選した。審査員たちは何か新鮮味がないとでも感じたのだろうか。一方、技倆未熟と感じた人が多いポーランド人ピアニストが6名も3次予選に進んだのは不可解だった。要するにホームタウンディシジョンだろう。だけど、こんな審査では、国際コンクールの伝統と権威を損なうことになる。


私が期待していた角野隼人君は、ミスタッチが目立ち、「これはダメかな?」とがっかりしたが、何とかパスして3次予選に進んだのでホッとした。クラシック音楽一筋ではない独特の音楽性が評価されたのだろうと思った。沢田君もとても良かったが、ミスタッチがややあり、京増君もきちんとした立派な演奏だったが、惜しくも共に落選した。
結局、日本人ピアニストは反田、角野、小林の3名の他に新藤美優さん、古海行子さんの計5名が3次予選に。3次予選に進んだのは計23名で、ポーランド勢に次ぐ健闘ぶりだった。


3次予選(準決勝)では、日本人5名はそれぞれ見事な演奏をした。私が特に気に入ったのは反田、角野、小林の3名。特に角野君は2次予選までとは打って変わって素晴らしい出来で感動した。本選に進めなかったのは、何とも理解し難い。


本選(決勝)に進んだのは計12名。国別では、2名が日本(反田、小林)、ポーランド、イタリア、カナダ(いずれも中国系)、1名がロシア、スペイン、中国、韓国。 素人の勝手な憶測だろうが、何だか国別の本選出場枠があるような気がした。つまり政治的な要素が審査の中にあるのではないかという邪推だ。


本選はワルシャワ国立フィルと共演。このオーケストラは指揮者も含めてどうかと感じたが、それはさておき、結果は優勝が中国系カナダ国籍のブルース(シャオユー)・リウ。
この人は協奏曲の後半の劇的な盛り上げ方がうまく、会場の聴衆はこぞって立ち上がって拍手したが、私は反田君の演奏の方が断然良いと思った。反田君は巨匠になる予兆を示していた。2位が反田君とアレクサンデル・ガジェヴ(イタリア・スロベニア)。3位がマルティン・ガルシア・ガルシア(スペイン)、4位が小林愛実さんとヤクブ・クリシュク(ポーランド)。小林さんの演奏は繊細で素晴らしく、日本人の身贔屓もあろうが2位か3位が相応しいと思った。


余談だが、反田君が1位にならなかったのは、彼の服装も微妙に影響したと感じた。本選は袖口が1つボタンの奇妙なモーニングコートに胸チーフの装い。ここまではまあ良いが、感心できないのがノーネクタイ。1次2次3次予選も黒シャツにノーネクタイ姿。こういう服装では、コンクールとはいえお金を払って聴きにきた聴衆に敬意を払っていないと思われても仕方があるまい。彼の周囲は音楽馬鹿ばかりで、クラシック音楽における服装の重要性を誰も教えなかったのだろう。そう、これは約束事なのだ。

そういえば本選の指揮者も、どんな偉い巨匠か知らないが、立ち襟の黒の人民服姿。胸元から黒っぽいTシャツが覗いていてだらしなく見苦しかった。昨今の指揮者の服装の堕落ぶりは目に余るものがある。くだけた格好を何か流行で許されると勘違いしている。楽団員と金を払った聴衆に失礼千万ではないか。人民服がそんなにお好みなら共産主義の暴政国に移住しろ!


本題に戻る。ショパン国際コンクールの審査基準は、突き詰めればショパン弾きの発掘と世界的スターとなりうる卓越したピアニストの発掘の二点ということらしい。だから審査員の人選が決定的に重要である。


嘗てはルビンシュタインなど名ピアニストが審査員を務め、審査結果に権威があった。今回の17名の審査員の顔ぶれを見ると、世界的に名の通った第一線の名ピアニストは見当たらず、既にコンサート演奏活動から引退したピアニストかピアノ教師ばかり。しかも半数近くがポーランド人。今回の審査員に予定されていたネルソン・フレイレが病気になり、彼に付き添うためマルタ・アルゲリッチも審査員を辞退してしまったことが審査結果に多大な影響を与えてしまったと思う。
高いお金を払って聴きにきた聴衆を感動させ、熱狂させる何らかのカリスマ性を持つピアニストが、コンサートピアニストとして活躍し、残念ながら持っていない人は次第に演奏会の場から消えていって、音楽大学のピアノ教師あたりに落ち着くのが普通だ。ピアノ教師が審査員としていかがなものかと言うつもりは全くないが、現役のコンサートピアニストとは審査の視点がいささか異なることは否めないだろう。フレイレとアルゲリッチが審査員を辞退しなかったら、果たしてどんな結果になっただろうか。


21世紀に入ってからショパンコンクールで優勝、あるいは上位入賞したピアニストたちのその後のピアニストとしての活動に精彩が無いと感じるのは私だけではあるまい。長い歴史を誇るショパンコンクールは大きな曲がり角に来ていると思った。


とはいえ、私個人としては才能ある若者たちの精魂傾けた演奏を予選からじっくり聴けたのは素晴らしい楽しい経験だった。
特に予選を通過できず、思う通りの結果にならなかった人たちを激励したい。
コンテスタンテ君たち、ありがとう。