パイプの愉しみ方

パイプの愉しみ方

バルカンソブラニー復刻版

愛煙家 伊達國重

親しいパイプ仲間の暮れの親睦会で、畏友のK氏が「バルカンソブラニーの復刻版を菊水で売っていたよ。味わってみる?」と無造作に鞄の中から缶を取り出した。
仲間思いのK氏が、私やパイプ仲間に是非味わって貰いたいと思って、わざわざ持ってきてくれたのだ。


缶入りバルカンソブラニーを見たのは久しぶりだ。「ありがとう」と深く感謝して、新品のパイプを取り出して4グラムほど詰めて、味見してみた。


記憶にこびり付いている昔の味と微妙に違う感じはするが、実に美味しい。ラタキア葉、オリエント葉、バージニア葉などの配合具合が絶妙。復刻版と名乗るだけあって、昔のレシピに沿ってかなり忠実に味を再現している。やや違うのは煙草葉の刻み方くらいか。私より煙草の味覚に鋭いK氏によると、ラタキア葉の産地がかつてトルコではないため、完全な再現まで到達していないと言う。でも、合格と言って良い。


K氏は、東京・銀座の菊水が一昨年、バルカンソブラニーの復刻版を仕入れたと聞き、即20缶購入したそうだ。菊水が仕入れた500缶はすぐに完売したと言う。価格は50グラム缶で3820円。高いと思うか、安いと思うか、人それぞれだろうが、私は「この味なら安い」と思った。


私が初めてバルカンソブラニーを喫ったのは、ほぼ50年前のことだ。私の記憶違いでなければ、確か1缶2800円位の最高級品だった。当時は日本専売公社の飛鳥缶が400円、桃山缶が200円、マクラーレン340円、ハーフ&ハーフのパウチが確か550円くらい、ダンヒルのマイミクスチャー965番缶が680円(その後、毎年どんどん値上げされて倍近い1200円位になったと記憶している)だった。2800円という価格は雲上価格で、百貨店の煙草売り場でも恭しく棚の最上段に目立つように陳列してあった。ラーメン1杯が180円の時代、親の仕送りで大学に通っている貧乏学生には高嶺の花で、普段は分相応の安い国産パイプ煙草を喫うしかなかった。


そんな私が、バルカンソブラニーを初めて味見できたのは、パイプ仲間のおかげだった。東京の私の下宿に、わざわざ京都から遊びにきた高校時代の親友が「これが美味いよ。喫ってみな」と言って、お土産代わりにバルカンソブラニー缶を出してくれたのだ。もっぱらシガレット党の愛煙家だった彼を数年前にパイプ党に転向させたのは、実は私。素晴らしきパイプ煙草喫煙の世界に勧誘してくれたお礼と言うわけだ。


初めて喫ってみて、「美味い!」と感動した。
ダンヒルの965番で既にラタキア系煙草が好みになっていた私だが、965番とは違うバルカンソブラニーのラタキア葉、オリエント葉、バージニア葉を絶妙にブレンドした魅惑の味に陶然とした記憶が鮮明に残っている。


以後は、家庭教師のアルバイト収入が入った時はちょっと無理してバルカンソブラニーを購入。まあまあの時は965番かハーフ&ハーフ。金欠病の時は国産煙草葉という具合。就職して懐具合に多少の余裕が出るようになってからは、ほとんどバルカンソブラニーと言うパイプ人生になった。


クラシック音楽を聴く時も、読書する時も、思索に耽る時も、何もしない時も常にバルカンソブラニーが生活の伴侶だった。


バルカンソブラニーの不思議な魅力の一つは、毎日四六時中喫っていても飽きが来ないと言うことだ。どんな美味しい煙草でも毎日喫うとやがて飽きが来て、別の銘柄をつい試してみたくなるものだが、バルカンソブラニーは違う。飽きない。
バージニア葉とバーレー葉のハーフ&ハーフも飽きが来ない銘柄だが、及ばない。


家内の存在以上の人生の伴侶となっていたバルカンソブラニーの生産終了の知らせを聞いたのは、確か30年程前。いつも買っていた馴染みの煙草屋のオヤジさんが「もうなくなるらしいよ」とボソリと言った。言葉に言い表せない衝撃を受けた。
「何故!」と思ったが、採算が合わないから生産打ち切りだと言う。一愛好家の立場では如何とも打つ手がない。仕方がないので、都内の煙草屋を周り、在庫が残っているだけ買い占めようと思ったが、既にどこも売り切れだった。


その後は、バルカンソブラニーに似た味の銘柄があると聞くと、直ぐに買って試喫したものだった。それなりに美味しかったが、やはり微妙に異なる。そのうちにパイプ愛煙家の強い要望に応えて、どこかの煙草製造会社がパウチ入りの「バルカンソブラニー」を売り出した。価格も50グラムで1000円余りと格安になっていた。


 ところが味が違うのだ。不味くはないが‥。
銘柄名は同じでも、昔の缶入りのオリジナルと味が違ってはそもそも話にならない。完全に期待を裏切られた感じだった。その後もアメリカで復刻版と銘打って販売していた「バルカンソブラニー」を試しに個人輸入してみたが、やはり味がまるで違っていた。


それで学生時代から長年付き添った伴侶との縁がとうとう切れ、私のパイプ人生では側室的存在だったハーフ&ハーフが正室に昇格した。


K氏が試喫させてくれた今回の復刻版は、昔の味を完全に蘇らせたとまでは言えないが、現在再現可能な最高の水準に達していると感じた。


K氏によると、銀座・菊水もバルカンソブラニー復刻版の次の入荷の見通しは立っていないそうだ。
まだまだ「幻のパイプ煙草」と言う状況が続きそうである。



附記

K氏が1975年当時の煙草の価格をわざわざ調べて下さった。

思い出したが、1975年は煙草の大幅な値上げがあった年だった。


飛鳥 400円→600円。

ロックンチェアー 200円→300円。

桃山 200円→300円。

紙巻でもホープやピース20本100円→150円。


当時、大蔵省は一気に50パーセント値上げと言う暴挙を傲然とやっていたのである。「増税は正しい、減税は間違い。税の公平性は表向きの建前。税金は取りやすいところから取る。国民の生活がどうなろうと知ったことではない」と考えるその体質は今の財務省にもしっかり受け継がれている。