パイプの愉しみ方
日本一の愛煙家 池波正太郎師匠の思い出 1
岡山パイプクラブ会長 香山 雅美
私は運の良い人生だと思っています。
多くの良い方々とめぐり逢え、色々な事を教えてもらったり、助けて頂いたりしました。
その中で特に私を可愛がって頂いた方を、深い敬愛の気持ちを込めて師匠と呼ばせて頂いております。
そのお一人が池波正太郎師匠です。 「剣客商売」、「鬼平犯科帳」、「仕掛人・藤枝梅安」、「真田太平記」等々、数多くの著作がある時代小説の大家として皆さんご存じの作家です。
池波師匠は、私が知る限り日本一の愛煙家です。
師匠は寝る時以外は一日中、常にたばこを咥えておられました。
朝、起きられると先ず缶ピースを1缶開けて喫い、半分以上喫うと、それをキセルやシガレットホルダーに詰めて最後まで喫っておられました。
そんな喫い方で、毎日最低1缶は喫っておられました。
私は愛煙家ということでは人後に落ちないつもりですが、私でも到底真似出来ません。
ある時、何故その様な喫い方をなさるのか伺ったら、師匠は下町の江戸弁で「たばこは最後の方が一番うめえんだよ。少し喫って消し、直ぐ次を喫うのは、本当のたばこ喫いじゃねえよ」。
師匠が時代小説を執筆なさっていて、登場人物がたばこを喫う場面を描く時は、ご自身も強いたばこが喫いたくなってしまい、いつもパイプか葉巻を喫われるとのことでした。
缶ピース党の師匠が時々パイプや葉巻を喫われる理由を伺ったら「昔からあった美味しいたばこがどんどん少なくなって来たんでねぇ、少しでも美味しいたばこを喫いてぇんだよ」とおっしゃいました。
池波時代小説の愛読者の方が、池波師匠の小説を読んでいて主人公がたばこを喫う場面があったら、ああここで池波師匠はパイプか葉巻が喫いたいのだな、と思い出して欲しいものです。
初めて師匠にお会いしたのは、私が24歳の若造の時でした。
取引先のある出版社のパーティーに呼ばれた際、出版社の方から「二次会に何処か行きたい場所がありますか」と聞かれ、私が興味本位で「銀座にある“文人バー”に行ってみたいです」と答えたら、連れて行って貰いました。
カウンターに座って、何気なく横を見ると、なんと池波さまが・・・。
「池波正太郎先生ですよね。おくつろぎの最中に、この様な場所でお声を掛けるのは大変失礼とは重々承知しておりますが、わたくし池波先生の大々々ファンでして、ご尊顔を拝し、思わずお声を掛けてしまいました、申し訳ありません」
「ふ~ん、私の書いたもので、何が一番好きなのですか?」
「剣客商売です。先日結婚をしました。女の子が生まれましたら、(剣客商売の登場人物の)三冬と命名し、秋山家に嫁がせて、秋山三冬を誕生させます」
「ふ~ん、どうして剣客商売が好きなのですか」
「わたくし、剣道と居合、最近は古武道を少々嗜んでおりまして、剣客商売の中で秋山小兵衛が刀で打ち合わず、一刀で相手の手とか首を切るところです。映画やテレビの時代劇の殺陣はチャンバラばかりで、その様な使い方をしたら刀は一度で駄目になってしまうとずっと思っておりました」
「うん気に入った、面白れぇ、まあ一杯飲んで落ち着きなさい」
これが師匠の謦咳に初めて接したきっかけです。
私が鞄からパイプを取り出して喫い始めると、
「若いのに珍しいものを喫っているね」
「お客様の前では紙巻も喫いますが、プライベートではパイプを喫っております」
「ふ~ん、何を喫うんでぇ?」
「ダンヒルの965、人前ではアンホーラの赤、紙巻はショートピースです」
「私と同じだね、ますます気に入った。今度、家に遊びにおいで」と言って下さりました。
それから師匠がお亡くなりになるまで、10年程のお付き合いでしたが、本当に色々と可愛がって頂きました。
今から思うと、たばこが取り持つ縁で親密ななお付き合いができたものと思います。 早いもので師匠が逝去されて今年で33回忌です。 先日、上京して師匠のお墓を訪ね、お線香を手向けて参りました。 これから師匠の思い出を思い出すままに少しずつ連載して行きたいと思います。