パイプの愉しみ方
池波正太郎師匠の思い出 4
敬愛する師匠の思い出をつらつら書きます。
【贈り物の作法】
師匠が私に高級パイプを下さった時の渡し方が実にスマートでした。
「この前アンネ・ユリエを2本買った。どちらか好きな方を持って帰りなさい」
「いえ、こげんな高けえもんは頂戴できません」
驚いた私は思わず岡山弁丸出しになりました。
「人にものを贈る時は、相手が一番欲しいものを贈るんだよ。おめえさんは、俺が一番欲しかったチェリーとニューメイアを探して持ってきてくれた。それに相応しいのは、おめえさんが欲しがっていたアンネを渡すべきだと思ったんだよ。遠慮しないで貰ってくれ」
当時50万円を超すパイプをポンと下さいました。
さらに「俺もヨーロッパに行く度に探したが探せなかった。多くの人にお願いしたが見つからなかった。もう喫えないと諦めていたものをおめえさんは見つけてくれた。これほど嬉しい事に感謝するにはこれでも安いもんだ」
私は師匠の心遣いに涙が出ました。
【パイプ】
20数本お持ちでした。
パイプを咥えて執筆されるので、ダンヒルで言うところの3号サイズでした。
一番愛用なさっていたのは、デンマークのラスムッセンでしたが、ダンヒル、スリーB、スタンウェル等々メーカーにはこだわらず、喫ってたばこが美味しいパイプを使っておられました。
【キセル】
30数本お持ちでした。
こちらも咥えて執筆されるので、小ぶりの楽に咥えるものでした。
小説で喫煙の場面を描く際に参考になさるそうで、江戸時代の細工の素晴らしいキセルをたくさんお持ちでした。
【万年筆】
「作家にとって万年筆は武器だ」と口癖の様におっしゃりました。
モンブラン、ペリカン、シェーファー等々の有名ブランドだけでなく、好みの筆圧や字の太さになるよう特注のオーダーメイドで作らせ、こだわりを持っておられました。
「引っ掛かりの無い滑らかな書き味でないと、創作がスムースに出来ない」とよく言われました。
新作の原稿を書き始める時は、固めの細字用を使い、文字も丁寧にゆっくり書き始める。
次第に気分が乗ってくると、柔らかくて太い字が書けるペンに替える。筆がすらすら進むときは崩し字が多くなってくるそうで、「後から原稿を眺めると、創作が楽に進んだか、苦労したかがすぐ判る」ともおっしゃっていました。
師匠と2度目にお会いした時、「あなたは着ているスーツはオーダー品、ネクタイも良い物、靴も良い、パイプたばこの着火はマッチ、私のたばこに火を点けるのに100円ライター、これ見よがしの高級ライターは使わない。ここまでは良いです。しかし筆記具はいただけ無いよ。使いやすいのかもしれないが社名が入ったボールペンはお勧めしない。良い万年筆を使いなさい」と言われました。
3度目にお会いした時「池波様、これを購入しました」とモンブランをお見せしましたら、満面の笑みで「合格!」「職業と関係なく良い万年筆を出して書けば、立派に見える。仕事の契約書に記入する時も万年筆を出して書けば良い印象を与える。男の武器、刀のようなものだからね。ビジネスマンなら、それにお金を張り込むのは一番立派なことですよ」
師匠はインタビューを受ける際は「仕事柄40数本を使い分けます」とおっしゃっていましたが、実際は200本以上の万年筆をお持ちでした。
書斎の机の上には常に10本程度置いて、原稿を書く時スムースに執筆出来る環境を整えておられました。
【言葉遣い】
読者の皆さん。
師匠の言葉遣いが次第に変わっていることにお気付きでしょうか?
初対面の時は、「私」、次は「僕」、最後には「俺」でした。
話す言葉も共通語から下町言葉になりました。
私に対する呼び方も「あなた」から「君」に、そして「おまえさん」に変わっていきました。
ある時、師匠から突然、下町言葉で「おめえさん」と呼ばれ、「いつまでも池波様は他人行儀でぇ、呼び方を変えろ」と言われました。
私が咄嗟に「これからは師匠と呼ばせて頂きます」と答えると、
「なんで、師匠でぇ」
「師匠の本に、『だれもかれも私を先生と呼ぶ、先生と呼んでおけば良いと思っている』とありました。だから私は師匠と呼ばせて下さい」
「よし、許す」と言われたのが、大変嬉しかったです。