パイプの愉しみ方
煙草蒐集家 芹澤弘光氏探訪記
「芹澤さんは凄い。珍しい煙草を何でも持っている!!!」「遊びに行こう」−−パイプ仲間の音頭取りで、5月連休を利用して親しいパイプ仲間で伊豆半島下田市在住の煙草蒐集家の芹澤弘光氏を1泊2日で訪問した。
朝、久々に東京駅発の特急「伊豆の踊り子号」に乗車。連休中とあって満席ではないかと危惧していたが、案外空いていた。昼前に終点の伊豆急下田駅に到着。
雨の中、芹澤氏がわざわざ出迎えに来て下さっていた。お腹が空いたので、まず全員で駅前の寿司屋で腹拵え。実に新鮮な美味い寿司だった。生きの良い金目鯛の握り寿司を食べたのは久しぶりだ。リーダー格のK氏が気前良く、全員分をご馳走してくれた。
お腹は一杯になったが、宿のチェックイン時刻にはまだ間がある。そこで芹澤氏の案内で土砂降りの雨の中、喫煙自由の喫茶店に立ち寄り、しばしパイプ煙草や葉巻を燻らせて休憩。静岡県は煙草におおらかだ。隣の神奈川県のような憲法違反の嫌煙条例は無い。
大雨の中、遅めの昼下がりに、宿に到着した。10人以上宿泊可能な大きな部屋だ。芹澤氏を囲んで全員がまずビールで乾杯して思い思いに喫煙。部屋中に濛々たる紫煙が漂う。雨の日の煙草は旨い。ニコチンを摂取して良い気分になったところで芹澤氏がプラスチック製の巨大な収納箱2つを運んできて下さった。中には様々な紙巻きたばこ、パイプたばこ類がぎっしり詰まっている。芹澤氏によると、蒐集品のごく一部だという。
芹澤氏が収納箱を開けて、蒐集した煙草を一つ一つ説明して下さる。大きなテーブル一杯に並べ始めると、たちまち煙草の小山が出来た。どれもこれも初めて見る古いレア物煙草や、世界中の珍品煙草ばかり。
芹澤氏に、これだけの煙草をどうやって蒐めたのか伺った。時間をかけて海外のネットオークションや古道具屋から仕入れたそうで、購入総額は軽く一千万円を超えるとかで、一同脱帽。
芹澤氏が凄いのは、こういう珍品、レア物を惜しげもなく、自由に我々に試喫させて下さることだ。世の中に煙草蒐集家はままおられるが、惜しげもなく自由に喫わせて下さる方はまずいない。コレクションは披露して下さるが、「喫うと無くなる」と言って、ただ観るだけだ。これでは愛煙家としては些か不満が残る。
芹澤氏は「煙草は喫って味わうためにある。喫わなければ、蒐める意味がない」という蒐集哲学をお持ちの方。心から深く畏敬するのみである。
芹澤氏の珍品煙草、レア物煙草をいちいち紹介しても際限がない。超レア物だけをいくつか紹介したい。
まず第二次大戦中のドイツ国防軍の官給品の紙巻き煙草2種類。1つは将校用と思われる20本入りの小ぶりな箱でナチスドイツの鉤十字のマークがしっかり入っている。もう1つが兵隊用の100本入りの箱。こちらは1944年9月製造と刻印があり、半分以上入っている。芹澤氏によると、どちらもトルコ葉が主原料だそうだ。
「喫ってください」と強く勧められて、兵隊用の紙巻きタバコを試喫したが、確かにトルコ葉の芳醇な香りと味だ。保存状態が素晴らしいから、製造後80年近く経過しても味は往時のままだと断言できる。敗色濃厚となった1944年秋でもドイツ軍は前線で闘う兵隊にこんな上等な煙草を支給していたのかと驚いた。将校用も「ぜひ試喫を」と勧められたが、箱の中には残り数本しかないので、さすがに遠慮して辞退した。
次の超レア物は、明治時代のキセル用刻み煙草類。未開封で「日本煙草」と表示されている箱がある。もちろん中身はしっかり入っている。大蔵省専売局設置以前の明治期前半の民営時代の刻みだ。専売局設置以降の刻み煙草には「大日本帝國専賣局證票」の證紙が貼ってある。実に様々な種類を芹澤氏は蒐めておられる。
この中でも驚いたのは民営時代の茨城県産の未開封刻み煙草の大袋。博物館展示クラスの超珍品だろう。「茨城縣猿島郡岩井町 製造元 飯塚為一郎商店」と名前がある。牡丹印量目八十匁と記載してあるから300グラム。芹澤氏は無造作に袋を開封して「喫ってみて下さい」と皆に振る舞った。小さなパイプを持参していたので、遠慮せずに試喫してみたが、これこそ昔の国産葉の本当の煙草の味だった。
芹澤氏は、トルコ葉に凝っておられ、昔のドイツの幻の紙巻きタバコのゲルべゾルデ(Gelbe Sorte)が特にお好きだという。戦前の獨逸第三帝国時代の超超レア物から戦後の西独製まで色々と蒐めておられる。私は流石に煙草酔いしていて辞退したが、元気なパイプ仲間が深夜まで試喫して、味の深さと美味しさに感動していた。
超珍品バルカンソブラニーの昔の紙巻きもあった。超超珍品ニューメイヤーのパイプ煙草もあった。愛煙家にとっては天国のような至福の時を過ごすうちに寝てしまった。
また機会があれば、ぜひとも芹澤氏を再訪したい。