パイプの愉しみ方
スラムドッグ$ミリオネア
旅行先のホテルで夜、漫然とN H K衛星放送をつけていた。はっと気が付いたら、映画「スラムドッグ$ミリオネア」が始まったばかりだった。面白い。雑用を放り出して最後まで観てしまった。
10年余り前に色々と評判になり、機会があれば観たいと思っていたが、粗製濫造のインド映画の一つだと思いこんでいたことと、仕事で忙しく観に行かなかった映画だ。インドのムンバイ(ボンベイ)などを舞台に、スラム街で育った兄弟の兄弟愛と悲喜交々の人生行路を描いた作品である。お粗末なことに私はずっとインド映画だとばかり思い込んでいたが、今回、調べたらなんと2008年制作の英国映画だったのに驚いた。監督は手練れの映画職人ダニー・ボイル。2009年のアカデミー賞では作品賞など8部門を獲得した傑作である。
インド映画だと思って観に行かなかったと述べた。インド映画は荒唐無稽で馬鹿馬鹿しいので、観るのはおよそ時間の無駄と分かっていたからだ。インドに限らず貧困国(婉曲に言えば発展途上国)の映画は、欧州の映画祭で賞を獲得したものを時々観にいくことがあるが、概して単調、陳腐で面白くない。描いているテーマは貧困、暴力、理不尽、戦争、家族愛、異性愛など様々。どれも人間にとって重要な題材だが、半面どこにもありふれている題材だ。映画にとって最も大切な要素である面白さ、娯楽性に欠けているのである。そんな映画を、わざわざ千数百円のお金を払ってまで観に行くのは、余程暇な御仁だろう。
貧困国の映画が概して詰まらないのは、原作やシナリオがややもすると詰まらないと言う事情もあるが、決定的な要因は映画監督に面白い映画制作の才能が乏しいということである。面白い映画とは何か?それは観客を飽きさせず、夢中にさせることだ。映画のストーリーに没入させられれば、その映画は傑作であり、成功作だ。その才能の有無が、優れた映画監督と、凡百のそれとを分ける。
貧困国映画の詰まらなさばかりを俎上にしたが、米国や欧州、そして日本の映画も同じことだ。ごく少数の傑作と、ほとんど大多数の駄作とに分かれる。1年間に制作される映画の本数は世界中で5000本以上という。世界各国を跨いで商業ベースで上映されるのは、そのうちの1%がせいぜい。その中で、商業ベース、芸術ベースで共に「傑作」の評価を得るのは、片手で数えられる本数だ。映画制作の厳しい現実と、映画監督の才能が如何に大事なのかがわかる。
スラムドッグ$ミリオネアは文字通りの傑作である。クイズに答えられれば最高2000万ルピー(1ルピー=約2円弱)の巨額の賞金が得られるが、1問でも正答できなかったら、それまでに獲得した賞金が全て無くなると言うインドのテレビ番組。視聴者にハラハラドキドキ感を満喫させる。それにたまたま出演したスラム街育ちで無学の青年が次々に正答を続ける。
番組の司会者が、青年は何か不正な手段で正答をしていると根拠もないのに疑って、警察に通報。警察に捕まり、拷問を交えた尋問をされる中で、なぜ正答を知っていたかのエピソードを織り交ぜてストーリーは展開していく。その筋書きは、D V Dでも借りて観てほしい。観る価値はある。
インドの警察が、容疑者に自白させるために逆さ釣りや電気ショックの拷問をする場面は、さもありなんというところ。日本の人権派弁護士が見たら、卒倒しかねないだろうが、これがインドに限らず、世界の貧困国家、強権国家の現実である。人権の擁護は限られた裕福な民度の高い民主政治国家の人民だけが享受できる特権なのだ。
スラム街に暮らすイスラム教徒を、ヒンズー教徒の暴徒が大集団で襲って女子供構わず片っ端から虐殺していく場面も強烈だ。多文化共生とかいう絵空事を日本政府も地方自治体も財界も呑気に唱えている。しかも自民・公明連立政権は、安い労働力欲しさの財界の声に押されて外国人単純労働者の移民を受け入れようという姿勢に傾いている。しかし宗教や文化、人種の壁は、人類にとってその克服は至難の技なのだ。人類はそれほど上等な種族ではない。宗教、文化、人種が異なれば、すぐにいがみあいや殺し合いが始まることを、我々は世界の現実と歴史を見て謙虚に学んだ方が良い。
煙草の場面は少なかったが、シガレットを1本ずつ売るのは貧困国では普通だ。インドだけではない。箱で売るのは中進国以上だ。大金持ちにのしあがったギャングのボスが葉巻を噛んで下品に喫っているシーンもあった。葉巻好きの評者からすると、葉巻を悪者にするなと言いたくなるが、世界の現実は、葉巻は金持ちが喫うもの、パイプ喫煙は本物の愛煙家、シガレットは一般人か貧乏人が喫うものというのが常識だ。
貧困国のギャングさんに一言苦言。せっかく高級な太巻き葉巻を喫うのだから、噛んで喫うのだけはやめて欲しいな。
覚えておかなければならない場面がもう一つ。チンピラが、スラム街の浮浪児を甘言で釣って、物乞いや泥棒をさせる。C.ディケンズのオリバーツイストに描かれているように19世紀の英国ではよくあったようだが、貧困国では今も堂々とビジネスとして存在している。警察も見て観ぬふりだ。哀れみ感が増すほど、お金を恵む人が多いから、小さな女の子にレンタルの赤ん坊を抱えさせて乞食をさせるのはまだマシな方。酷いのは、不具者ほどお金が集まるから、このチンピラが健康な男の子の両目を熱したスプーンを押し当てて潰して盲目にする場面。目を背けたくなる場面だったが、これも世界の醜悪な現実なのだ。
観光旅行の際に、子供の物乞いにおいそれとお金を恵むのは決して良いことではないのです。逆に悲惨な子供を増やすことになりかねません。諺に、地獄への道は善意で敷き詰められていると言うではありませんか。