パイプの愉しみ方
偽物ダンヒルパイプにご用心 ―6― 最終回 番外編
この二十数年間、秋になると仕事を調整し、お金を工面して毎年の様に海外に出向き、世界選手権大会、ワールドカップ、ヨーロッパ選手権大会などに参加してきた。
大会会場で前日から催されるパイプショーでは、様々な国の有名無名のパイプ作家達が自慢のハンドメイド作品を披露し、パイプ製造会社が世界中のパイプ喫煙愛好家に名前とパイプを売り込もうとこの時とばかり手頃な価格のパイプをずらりと並べる。
作家物とは思えない程の廉価で購入できるし、知らなかったローカルのパイプ製造会社に出逢えることも、大会に参加する楽しみの一つだ。
私は参加した各大会で、多くのパイプ作家の作品やパイプメーカーの製品の中から有名無名には関係なく自分が観て触って気に入ったパイプを毎回購入してきた。お金に糸目を付けなかったから、小遣い銭の範囲で済む筈がない。当然、毎月の生活費はもちろん、果てはなけなしの貯金にまでパイプ代が深々と食い込んだ。
帰国してから、買ったパイプを自慢げに家内に見せたら、「こんなガラクタパイプばかりたくさん買ってきて、家族の生活は一体どうするのよ!」と烈火の如く怒られた。私は「ガラクタじゃないぞ。日本の誰も持っていない貴重なパイプだぞ」と反論して夫婦喧嘩に発展したことがあった。そんなことがあってから、私はヘソクリに励むようになり、パイプ購入については家内に何も言わないことにした。
円満な家庭生活を営むためには、俗に「知らない方が幸せ」と言うではないか。
閑話休題。
購入するか見送るかの判断の基準は主にパイプの意匠の見事さや木目の美しさである。ただ、意匠や木目がいかに素晴らしくとも、タバコが美味しく味わえなかった残念な作品や製品もあった。
ブライアーの原木の木目の褶曲を読み取って複雑な曲線で造形した作家物の作品には、ややもするとそう言う傾向があった。見事な意匠との落差が大きいだけに落胆したものだ。
つまりパイプは畢竟、「タバコを喫うための実用品であるべし」と言うのが私の信条である。
美しい木目や洒落た意匠の高級パイプを買って一度も火を入れずに大切に飾っておられるパイプ愛煙家がよくおられる。特にパイプ蒐集家の方にはそうした方が多い印象だ。
それはその方なりの考え方であり、私はそれで良いと思う。ケチを付けたり、批判する考えは毛頭無い。パイプの楽しみ方、蒐集についての考え方は人それぞれだからだ。
パイプは一度タバコを詰めて着火したら、その瞬間に中古品になってしまう。新品のままで大切に取っておきたいという気持ちはよく分かる。
私はタバコを美味しく味わうというパイプ本来の目的を最優先にしているだけのことだ。
だから、タバコを美味しく喫えなかったパイプ作家のパイプは二度と購入しないことにしている。
逆に、美味しく喫えた作家のハンドメイドは気に入って次々に買ってしまう。
敢えて名前はここでは明かさないが、今では数人の作家に絞ってその作家達の作品パイプを蒐めている。特に気に入って親しくなった作家には、直接注文して私用のハンドメイドパイプを作って頂くようになった。そうした腕が良いパイプ作家は、実用性と見た目の美しさの調和が抜群であり、安心して任せられるからだ。
白状すると、私がパイプ初心者だった数十年前は、値段が高いハンドメイドパイプを喫っても美味しく味わえないのは、自分のスモーキングの伎倆が低い為だと思っていた。つまり自分が未熟だからだと。
しかし、内外の様々なロングスモーキングコンテストである程度の成績を残すようになり、多くの作家のハンドメイドパイプや、ファクトリーパイプを喫って経験が深まると、それまでの私の考えを修正せざるを得なくなった。
つまりパイプを美味しく味わえるかどうかは、スモーキング技術に左右されるというより、畢竟パイプ自体の出来によると。
高級パイプでも美味しく喫えないものがあるし、コンテストで使用する安いパイプでも美味しく喫えるものがたくさんあることに気付いた。実に当たり前のことだ。
もちろん有名作家のハンドメイドパイプやダンヒルパイプで味わうのは価格相応の深い満足感を味わえる。とはいえ私が一週間に最低一度は使う愛用パイプの何本かは、実はコンテストで使った廉価の大会パイプなのだ。
嘗て日本有数のダンヒルマニアの一人と言われ、今は作家のハンドメイドパイプ蒐めに凝っている私がたどり着いた平々凡々たる結論だ。
パイプ愛好家の皆様方も、高価な作家ものやブランドパイプばかりにあまりこだわらず、お気に入りの愛用パイプ、美味しくたばこが喫えるパイプを探して頂ければと思う。
連載の最終回となる今回はダンヒルパイプの話から少し離れ、パイプ全般についての私個人の想いを語らせて頂いた。
これまで私の拙文を読んで頂けたことに感謝して、この連載を終わらせて頂く。
‥‥‥以上、格調高く締め括ろうと思ったが、そうした上品さは私の柄ではない。私を直に知っておられるパイプ愛煙家の皆様が先刻ご承知の通りだ。
それに話がありきたりで面白くない。パイプ絡みの読み物として不完全燃焼感がある。
そこで蛇足は承知で書き忘れていた話を一つ披露させて頂く。笑いながら読んで欲しい。
先に少し脱線して触れたが、結婚して世帯持ちの皆様方の殆どは、欲しいパイプを購入するためのお金の捻出にさぞかし苦労しておられると推察する。実は私も嘗てそうだった。
家業の会社の役員とは言え、私も給与生活者の端くれ。欲しいパイプの代金をどうやって工面するか、衝動で買ってしまったパイプの代金の支払いに苦心惨憺だった。
誤解されるといけないので、念のために言っておくが、会社のお金をちょろまかしたことは一度もない。給料から自分の小遣い分をまず差し引いた残りを家内に生活費として渡していたのは事実だが、小遣いの中から貯めたお金では高級パイプにはなかなか手が届かない。
収入には限りがある。節約が得意な性分ではない。
そこで私の趣味と特技を活かして内職することを思いついた。
その内職とは、皮革製のバッグや小物作り。
私は手先が器用なことを活かして、長年趣味で様々な革製品を自作していた。できた製品は世話になった親しい友人にプレゼントしたりしていたが、ある時、「これは間違いなく売れるよ」と言われた。
そこでデザインを考え創意工夫を凝らしたハンドメイドのオリジナル革製バッグを試作してみた。岡山のフリーマケットに出品すると高値で売れた。
味を占めた私は、部屋にこもって夜な夜な革バッグ制作の内職に励んだ。注文予約が入るようになった。しばらくすると評判を伝え聞いた東京の専門業者から定期的に発注が来るようになった。
私が夜の内職でシコシコ稼いだお金は、パイプとタバコ代に全て消えていたのだ。
家内には内緒だ。
忘れもしない1996年(平成八年)、2階の私の部屋から出火した。私は留守にしていた。幸い家族が在宅だったので、直ぐ消防へ連絡し、私と隣の息子の部屋がかなり燃えただけで鎮火した。本棚の裏のコンセントに埃が溜まり電気が短絡して出火したのが原因だった。家族に加え、親戚、友人が駆けつけて、片付けを手伝ってくれた。
火事の連絡を受けて、私が一番気がかりだったのは、お金と手間暇をかけて蒐集した大切なパイプコレクションが火事でどうなったか‥‥。
出張先から慌てて戻った私に、親戚が「全て燃えてしまったと思っていたけど、結構残っていて良かったね」と灰まみれになった百本余りのパイプを差し出した。
「燃えなくて良かった」と安堵して、渡されたパイプを一本一本雑巾で丁寧に灰と汚れを拭いた。ところが、焼け残ったパイプは全てスムースばかり。サンドブラストは一本も無かった。愕然とした。
つまり、ボウル部分が黒くゴツゴツしたサンドブラストのパイプは、表面が焦げてしまって使い物にならないゴミと思われて庭に全部捨てられてしまっていたのだ。その中には本物のダンヒルパイプや作家ものパイプが多数あったことは言うまでもない。
明日朝には片付け業者が来て、焼けた家具やゴミ類を全て持っていくという。慌てた私は投光器を点けて、庭にうずたかく積もった燃え残りのゴミの山の中からパイプを懸命に探した。
火事の二か月前に内職代を貯めてやっと買ったアンネ・ユリエのサンドブラストが諦めきれまかったからだ。
ゴミと灰まみれになりながら一人で数時間かけて多くのサンドブラストパイプを探し出し、やっとアンネ・ユリエを見つけた。
「あったー! アンネだ!」と思わず叫んでしまった。家内が「夜も遅いのに何を叫んでいるの。ご近所迷惑でしょ。でも探したパイプがあって良かったね」と言うので、そこで「うん、良かった。ありがとう」とでも受け流しておけば良かったのだが、「このアンネは70万円したんだぞ」とつい口を滑らせてしまった。
家内の表情がみるみる険しくなった。「そんなお金、どこにあったの?」
私は困った。
大枚70万円をはたいて買ったと本当のことを言うのはまずい‥‥。
真実を言えば、怒りで卒倒しかねない。家庭崩壊に繋がる‥‥。
そこで咄嗟に機転をきかせて「二か月前のJPSCさんのオークションで、8万円で買ったものだよ。定価だと70万円」と誤魔化した。
家内「そんなパイプ一つに8万円も出したの!」
私のパイプの趣味に無関心な家内は、パイプの値段と価値を知らない。作家もののハンドメイドパイプが桁違いに高価だとはつゆ知らない。
嘘も方便とはよく言ったものだ。
8万円分相当額のご立腹で何とか済んだ。
私は、火事に遭わなかった1階の客間兼オーディオルームには、私の宝物である池波正太郎師匠から頂戴したアンネ・ユリエや100万円超の作家ものパイプを何本もインテリア風の調度品として並べていた。家内は安物パイプだと勝手に思っていた。
我が最愛の妻は何も知らぬまま、それから数十年後に病であの世に旅立った。
世の中には「知らない方が幸せ」なことがあるのだ。
〈完〉
1. 火事から運良く助かったアンネ・ユリエのパイプ
その後、参加した国際大会のパイプショーで私がこれを喫っていたら、パイプ作家のトム・エルタンが「俺のパイプを使ってくれてありがとう」と抱きついてきた。私が「これはアンネさんのパイプだよ」と言ったら「だから俺の作品だ。ボスはこの様な加工は出来ない。俺のブースに来いよ」と言われた。ブースには同様の加工のパイプがずらりと並んでいた。
2. 池波正太郎師匠から頂戴したアンネ・ユリエのパイプ
オーディオルームに置いていて火事に遭わなかった運の良いパイプ
3. 気楽に使えるたばこが美味しいパイプ
柘製作所に特注した豪華純銀巻きの大会パイプ
気楽に美味しく喫えるのと、万一無くしてもあまり惜しくないと思うので愛用している。イタリア、チェコ、ドイツ、ポーランド、スロバキア、ウクライナ、トルコ、アメリカ、タイ、台湾、韓国、中国といつも海外旅行に持参している。
1997年岡山パイプクラブ創立20周年記念として日本パイプクラブ連盟に無理を言って5月の総会を岡山で開催して頂き、北は青森、南は福岡の74名の参加で第18回中国大会を開催した時の大会使用パイプ