パイプの愉しみ方

パイプの愉しみ方

ラグビーW杯 フランス大会観戦記・下

JPSC 小枝義人

 

南ア、4度目の優勝!

 

80065人、パリ「スタッド ド フランス」競技場の最大集客キャパシティを、数十人超える超満員の観客が入ったラグビーW杯フランス大会の決勝、「南アフリカ対ニュージーランド」は、12ー11というわずか1点差で、南アが勝利し、大会史上最多の4回目の優勝を飾った。

 

準準決勝からは「負けたら終わり」のトーナメントだから、予選とは次元の異なる緊張感がみなぎる。すでにメディアでさんざん指摘されていたのは、ベスト8の対戦組み合わせだ。

パリでの「フランス対南ア」、「アイルランド対ニュージーランド」は決勝戦でもおかしくない世界ランキング1位から4位が集中するカード。対してマルセイユの「イングランド対フィジー」、「ウェールズ対アルゼンチン」は失礼ながら、相当見劣りがする。

W杯は興行なので、商業的成功が優先される。チケット販売促進のため開幕3年前にその時点でのランキングでグループ分けし、上位2チームを4つのプールに配置する。イングランドは前回の日本大会では準優勝国、ウェールズも準決勝まで駒を進めた4位、対照的にアイルランド、フランスはベスト8止まりだったから、決勝トーナメントまで勝ち残ればこういう組み合わせになる。

3年も経てば、各国のチーム力はかなり変わるから致し方ないが、現時点での上位4チームの潰し合いの結果、準準決勝で退場を余儀なくされたフランス、アイルランドのファンはいかにも理不尽な感情を抱いたに違いない。

決勝では観衆のほとんどはニュージーランドを応援していた。南アが準準決勝でフランスを、準決勝でもイングランドにいずれも1点差で破り、北半球勢を一掃したからだ。

南アが準決勝でイングランドを破った時、すでに決勝に進むことが決まっていたニュージーランドのサポーターが、南ア・サポーターの肩を抱いて喜ぶ姿を見た。「南半球の両国こそ、決勝で争うにふさわしい存在」という、密かなプライドと連帯感がそこには漂っていた。

確かにラグビーの両横綱は南アとニュージーランドであろうが、ニュージーランドは開幕戦で開催国・フランスと戦い、敗れている。観衆は心情的にニュージーランドを応援したくなるだろうが、「南ア憎し」で応援されたニュージーランドもなんだか妙な気分であっただろう。「敵の敵は味方」という倒錯した感情がそこにはあるから。

決勝は開幕戦と同じ、「フランス対ニュージーランド」の再現をフランス国民は望んでいたであろう。

 

「ハラハラドキドキ」 1点差

 

まあ、そうした外野の騒音は脇に置き、決勝の試合そのものは、素晴らしかった。4年前の横浜スタジアムでの南ア・イングランドの決勝は、最後は南アがイングランドを突き放し、イングランドも力尽きた終焉だったが、今回はニュージーランドが南アを後半40分はゼロに抑え、1点差に迫ったまま、フルタイムを迎えたからだ。

 

 

  筆者ら仲間3人は3階席の最前列のシートで、両チームの攻防を目の当たりにする僥倖に浴したが、席にゆっくり座っている暇はなかった。激しく入れ替わる攻防に、つい腰が浮き、ハラハラドキドキで80分が過ぎてしまった。

とりわけラスト5分の肉弾戦後、イングランドのウェインバーンズ・レフェリーの試合終了を告げる長い笛が吹き鳴らされて、南アの勝利が確定し、われわれは初めてゆっくり腰を下ろしたのだった。

閉会式の優勝カップ、メダル授与式には、中東紛争勃発で息抜く間もないであろうが、マクロン大統領がヘリコプターで駆けつけ、表彰台の上で両国の選手、関係者、審判団1人1人と握手をしていた。

派手な花火と音楽で締めくくった閉会式は開会式同様、フランスという国の持つセンスの良さを感ぜざるをえない。ちなみに隣で観戦していたフランスの若者は19年日本大会のユニフォームを着ていた。われわれに気づくと、「日本に行きました。アリガトウゴザイマス」を連発してきたので、筆者は胸につけていた日の丸バッジをはずし、彼に渡して会場を後にした。

いやはや、人生でラグビーW杯決勝をライヴで2度も観戦するとは思ってもみなかった。2度とも南アの優勝で、満足感いっぱいだ。

 

 

前回書いたように、大会チケットは全部、フランス大会公式サイトから販売されたものを定価で購入した。開幕戦のフランス対ニュージーランドは4段階のうち2番目に高いチケットを購入したが、これが350ユーロ、決勝は450ユーロ、準準決勝は210ユーロ、準決勝は350ユーロ、安いほうだとナントで行われたジャパン対サモアのカテゴリー2のチケットは72ユーロだった。値段と試合レベルに見合った価格設定がなされていることが窺われる。

仲間5人で渡仏したが、全員同じ時期にそろったわけではない。最長滞在者は46日、最短で17日、観戦数はそれぞれ11試合、10試合、9試合、8試合、6試合となった。高齢者の集まりで、一切旅行会社の世話にならず、毎日の衣食住も自前で賄ったラグビー観戦ツアーとしては、なかなかの出来であったと思う。

筆者は開幕戦から決勝まで計9試合、日本での用事もあり、東京・パリ間を飛行機で3往復し、試合は全部パリ郊外の「スタッド ド フランス」競技場で観戦した。実に観戦しやすい会場で、来年はパリ五輪のメイン会場となる。

 

SOLD OUT 「南ア」関連商品

 

それにしても南アは人気のあるチームだった。大会当初、予選が行われている頃、参加各国のレプリカユニフォームやグッズを販売する「ラグビービレッジ」と呼ばれる直販店に行ったが、南アのユニフォーム、Tシャツがまったく見当たらない。店員に聞くと、「ソールドアウト」(完売)との答え、「いま仕入れているから、しばらく日数を置いてきてくれないか」と言われた。当然、購入者の大多数は南アからの来訪者だろうが、筆者のように世界中のラグビーファンの中にも南アファンがたくさんのいるのだろう。

 

 

購入できたのは、マグネットだけだった。準準決勝前後に覗くと、幸運なことに長袖ラグビージャージのXLだけが10着ほど置いてあったのを発見、即65ユーロで購入したが、それも瞬く間になくなった。

それにしてもラグビー愛好家たちはいいものだ。仲間の1人はずーっと豪州ワラビーズの黄色のパーカーを羽織っていたから、豪州人だと思われていた。

過去優勝2度を誇る豪州は、今回史上初の予選落ちで、決勝トーナメントに進めなかったから、他の強豪国のユニフォームを着ている人々(彼らもまたはるばるフランスにきているのだが‥)から「残念だったなあ」と。豪州人からは「私もオーストラリアから来たんだけど、今回は仕方ないわねえ」と話しかけられたりと、愛好家同士の連帯意識の強さを感じさせる。

競技場では「4年前、日本に行ったわよ」と南アやアイルランドの若者から話しかけられた。「みんな、ラグビーを愛しているんだなあ」と感じる幸せな瞬間である。

 

また、たまたま宿泊したアパルトマンのオーナーがラグビー好きで、「近所に面白いラグビーショップがあるから、覗いてごらんよ」と勧められた。

 

 

「Sports d'Epoque」-ここは世界各国のラグビージャージを復刻して販売している。100年以上前のジャパンのユニフォームも販売されていた。450ユーロもするので、手が出なかったが、ユニフォームに付ける復刻エンブレムなら手が届きそうだ。

目当ての北半球5か国、南半球3か国の強豪国のそれは、それこそ完売状態で、たった1枚、1906年時代の南ア・スプリングボクスのエンブレムが残っていたので、8ユーロで入手できた。

「日本人はほとんどこの店を知らない。紹介したいので店内を撮影していいか」と尋ねると、スタッフは気持ちよく応じてくれた。ラグビーファンならば、パリを訪れたら、1度は覗いてほしいショップだ。

 

マルシェ 「食の大国」の原点

 

アパルトマンでの自炊に欠かせないのが、肉や魚、野菜、ワインなど、新鮮な食品を売っている「マルシェ」と呼ばれる市場である。

パリ最大のマルシェは木曜と日曜にバスティーユ地区で開かれる。当日は朝から皆で、リュックやエコバッグを数個持って買い出しに出かける。

パリをよく知る仲間が、あらかじめマルシェまで歩いて10分程度の場所のアパルトマンを確保しており、目利きの仲間2人は、良さそうな食材を次々に買い求める。多くの店の中から、どうやって選ぶのか?「それは、地元の人が行列を作っている店が間違いない」と1人は答えたが、なるほど、1989年創業と銘打った肉屋のひき肉(ミンチ)とソーセージは実にうまい。

 

 

実直そうな店主が、客の注文を次々に捌くが、ここのミンチを、日本では見たこともない巨大なマッシュルームのヘタをくりぬいた中に入れて焼くと、両者が混じりあって、なんとも香ばしい匂いと味で病みつきになった。日本では、これほど巨大なマッシュルームは見たことがないので、簡単につくることはできない。

魚介類も豊富だ。子供の頃、家事手伝いで有明海で獲れた魚やイカを包丁でさばいていたという仲間は、大西洋産の品質保証のタッグ付きの新鮮で大きなイカを3杯買ってきて、自ら捌いてくれた。「魚屋に任せると食べられる場所まで捨てちゃうからなあ」といいながら、皮を剥ぎスミがある目や口を取り除き、アヒージョに使える部位を残す。

「洋食で胃が疲れているから、イカ刺しでどうだ」と、細かく刻んだ身に、ワサビと醤油で、久々の日本料理である。

その彼が、ある魚の前で立ち止まった。「これは舌平目じゃないか。大きいなあ、帝国ホテルではもっと小さなやつでも、注文したらコースで2万円はする」と言いながら、1尾9ユーロ(1400円)で買い求め、我々は普段食べることもできない舌平目のムニエルを満喫した。

 

 

寿司屋の軍艦巻きで食べるウニだが、マルシェでは棘がついたままの生きたウニが売られている。殻の上部を剥がしてもらった中身を、そのまま、固いフランスパンにのっけて一緒に食べてみた。これは美味という範疇を超えて極上の珍味と形容するほうが適切だろう。

何はともあれ食は楽しい。実は皆、毎日を過ごすうちに仲間の腕利きシェフが今晩なにをつくってくれるのか、それが最大の楽しみになっていった。

やはりフランスは食の大国、豊穣の国だ。面積は日本の1・5倍、人口は日本の半分、人口と同じ数の観光客が訪れる観光大国。平野が多いから農作に適し、食糧自給率は200%を超えており、日本とはえらい違いだ。大西洋、地中海、北海などに面しているから、魚介類も豊富。そうなれば基本は豊かな国、一次産業従事者は誇りを持っている。移民問題など課題も多いが、やはり欧州の一等国だ。

 

すべてはセンス次第

 

蚤の市、骨董市も面白い。ここで掘り出しものを見つけるのも楽しみだ。グラス、絵画、置物など、皆思い思いのものを見つけ、買い求めた。仲間の1人が見つけたフクロウの置物は秀逸で、これが25ユーロならめっけものだ。

筆者のお気に入りは、骨董市ではなく、「ボン・マルシェ」というデパートで見つけた磁器のエッフェル塔(65ユーロ)だ。土産物屋に置いているものとは一味違い、どことなく品格が漂う。

 

 

観光や買い物の際、気を付けなければならないのはスリだ。地下鉄では日本語で「スリに気を付けてください」とのアナウンスがしょっちゅうあるから、お人よしの大人しい日本人はカモにされているのだろう。

数年前、ラジオを聞いていたら、フランス人のタレントに司会者が「いやあ、パリ・モードで決まってますねえ」とヨイショしたら、「パリじゃあ、安心して、こんな格好できませんよ、なるべく質素なスタイルで過ごすこと。治安のいい東京だからおしゃれができるんです」と語っていたが、われわれも地下鉄に乗っているときは、ラフなスタイルで多額の現金は持ち歩かないようにしていた。

筆者は、リュックのチャックを開けたまま、エッフェル塔の撮影をしていた時、見知らぬフランス人から「気をつけなさい、ピックポケット(スリ)に狙われるわよ」と注意された。旅先で盗難に遭えば、楽しい思い出は消え、いやな印象だけが残るから、気を付けるに越したことはない。

別に、高価なものでなくとも、センスのいい服装をしているのが、パリっ子だ。筆者は仲間からはぐれても目立つように、マルシェで見つけたオレンジ色のフェルト帽を被って歩いていたが、ある時はカフェに座っている人から、ある時は信号待ちしているとき、ある時は美術館で並んでいる際など、「その帽子、いいじゃない!」と何度も声を掛けられた。日本じゃ、見知らぬ人から突然、そんな風に言われたら、怪しまれるだろうが、フランスではそういう美的センスというものが尊ばれるのだろう。もちろん、こっちも帽子をちょっと挙げて、ちょっと挨拶すれば、それで気持ちは通じる。

 

文化・観光大国 フランス

 

最後に忘れてはならないのは、芸術・観光の「フランス」の側面だろう。セザンヌ、ルノアール、モネ、マネといった数々の画家を輩出し、ピカソやゴッホといった画家もフランスで制作している。印象派の画家は日本でも絶大な人気があり、たまに新聞社やテレビ局が主催する画家展が催されると、黒山の人だかりとなるが、フランスは自国出身の画家の絵は美術館に行けば、常時、ずらりと展示されている。

 

 

オルセー美術館では、たまたま期間限定でゴッホ展をやっており、有名な自画像などを堪能できた。絵は詳しくはないが、さすがにルノアールやミレーの名前ぐらいは知っている。有名な「ムーラン・ド・ギャレットの舞踏会」の前にはベンチがあったので数分の間、座って、太陽の光が降り注ぐ名画を眺める幸せな時間を過ごした。

美術館などは、午前中行けば、空いていてゆっくり鑑賞できる。ロープなんか張ってないので、眼前に広がる名画を楽しんでほしい。長期滞在ならば、欲張らず、何日かかけて通うことだ。それぐらい奥深い。

まったく予定外だったが、宿の近くで「Cirque d'Hiver」というサーカス団の興行があるのを知り、仲間3人と出かけて行った。これが大当たりで、休憩をはさんで2時間たっぷり楽しませてくれる。美男美女が次々に見事なアクロバットやマジックを披露してくれる。会場には家族連れが多く、子供たちは大喜びで休憩時間には綿菓子(フランスにもあるんだとびっくり!)をほおばっている姿は微笑ましい。ちょうど秋休みの連休中ということで、平日の昼間の興行でも満席の賑わいであった。

 

 

マジックにはもちろん仕掛けがあるのだが、カラの箱に入った人をのこぎりで切っても平気、どこからともなく、消えてしまうと舞台の向こうから現れるという芸当は、本当にどうなっているのか、さっぱりわからなかった。

美女が天井高くロープで吊り下げられた透明の箱の中で、見事な鉄棒演技を見せてくれたが、落ちたら、真っ逆さまだ。高所恐怖症の筆者らはラグビーとは違った意味でひやひやしながら、拍手を送ったものだ。

 

デザートの「重み」 タルトの「サイズ」と「味」

 

パスタやピザなどで馴染みの深いイタリア料理に比べると、フランス料理は、われわれ日本人には敷居が高い気がする。

ドレスコードがあり、フランス語で書いてあるメニューからワインと料理を注文し、3時間ほどかけて、味わうとなると、ちょっと退いてしまいそうだ。食後に慣れない地下鉄に乗って帰宅するとグッタリでは楽しくない。

それでも街のレストランには、ランチで何回か足を運んだ。ただ、グラスワイン、前菜、メイン(肉か魚)、パン、デザートのコースとなると、普通の日本人の胃袋には、いささかきつい。前菜だけでもかなりの量がある。デザートも日本人の感覚だと、会食の席で最後に軽くついてくる小さなケーキとかプディングを想像するだろうが、フレンチではどんとボリュームがある。「甘いものは別腹」などと言ってはいられない。独立したサイズと重みがあることに気づく。

無理なく食べるには、前菜かデザートをカットすればいい。しかし、フランス通の仲間からは、「デザートをきちんと注文したか否かは、レストラン側に与える客の印象がまるで違う。前菜を食べなくとも、デザートは食べたほうがいい」とのアドバイスをもらった。

レストランで、われわれが何度か注文したデザートは、プディングかタルトだったが、皆が気に入ったのが圧倒的にタルトだった。大きいがあまり甘くなく、あらかじめお腹を空かせて行き、メインも抑え気味で食べた後のタルトの味は、抜群だった。

それならば、「気にせずタルトだけ食べたいなあ」となった。たまたま地方に遠征した先の駅構内に、料理人「ポール・ボキューズ」のカフェ兼パン屋の店を見つけて入った。

 

 

「PAUL」と記されたセンスのいい紙コップのデミタスコーヒーといっしょに注文したタルトは、ボリュームたっぷりで実に美味だった。

日本では甘いものはほとんど食べないという辛党の1人が、このタルトに感動した。「古希近いこの歳になるまで、フランスのデザート文化の奥深さを知らなかった。できれば滞在先のパリのアパルトマンで1度じっくりタルトを味わってみたい」と言い出した。マレ地区をあちこち歩いている時に客が列を成していたパンとお菓子の店をたまたま見つけた。「マノン」という名前で、宿から徒歩数分の距離だった。

「情婦マノン」というフランス映画がもう70年以上前に日本でも大ヒットした。カトリーヌ・ドヌーヴもかつて「恋のマノン」という映画で奔放な女性を演じているように、マノンは魅惑的な仏女性を連想させる。

パリっ子に人気の高い店なのだろう。朝6時半の開店時刻から行列がずっと途切れないと聞いた。美人揃いの店員がテキパキと応対してくれる。気に入ったタルト数個を買って来たが、まずそのサイズに驚く。大皿に並べた写真を見てもらえば、日本のタルトの優に3倍はあることが分かるだろう。この大きさと美味しさで1個4ユーロ前後だから、行列ができるのは当然だ。

1度で食べ切れる大きさではない。朝食、昼食、間食、夜食と少しずつ切り分けて味わい大いに満足した。味は言葉で簡単に説明できるものではない。以後、仲間全員がタルトを気に入ってしまい、1日おきに買い出しに行ったことを報告しておく。

 

 

冬時間 祭りの終焉

 

ワールドカップ・ラグビーを観戦する目的の渡仏だったが、1か月を超える滞在でも、まったく飽きなかったのは、やはりフランスの持つ長い歴史と文化の成せる業だった。いや、フランスというより欧州全体が持つ長い歴史とその蓄積であろうか。5人の仲間のうち、長期の海外駐在経験者は1人いたが、彼も欧州滞在経験はない。その意味で、フランスからはいい刺激をもらった。

質のいいバランスが取れた食事と、地下鉄を使っての街歩き、アパルトマンでの規則正しい集団生活で、実はみな体重が減ってスリムになって帰国した。

 

欧州の秋は早い。9月当初の猛暑はたちまち過ぎ去り、10月のパリは最高気温が10-15度、日本なら初冬の気候、小雨の降る日も多くなる。夜が明けるのは午前8時過ぎだ。帰国する10月29日からはサマータイムから1時間遅い冬時間に移行した。

祭りの終焉は寂しいものだ。ワールドカップ参加国は優勝した南アも含め、みな帰国した。われわれが帰国したのは10月30日、時差ボケからか、まだパリタイムで動いている。