パイプの愉しみ方
パイプ開発者のモノローグ 第七話 「平和」
勤務先の大学でパイプを美味そうに吹かしていると、興味をもった学生が話し掛けて、寄ってきてくれる……と前にお話しました。
パイプ煙草の葉っぱの香り(私が吸うのは、主にキャプテン・ブラック)を嗅いでもらうとみな感動します。
でも、なかなか実際にはパイプを自ら購入し、キャンパス内で嗜む若者は現れません。
やはり敷居が高いのです。
それと、情報量が余りにも少ないからでしょう。
どこで売っているかさえ判りません。
もう一つは風景のミスマッチがありそうです。
別稿で書いたことですが、昔、ジャズ系統の学生バンドの連中や、ジャズ喫茶などでは、妙に訳知り顔でパイプをくゆらす連中が居りました。
「似合わんぞ」というのが感想でした。
今でもきっとそうでしょう。
パイプは、苦みばしった中年男性中心の嗜好品という先入見がきっちり固定されているのと、パイプの形状が「渋すぎる」からでしょう。
パイプの先に若い顔が何故か似つかわしく無さそうなのです。(もしも読者で、若い方が居られたら済みません)
もちろん30代の方も40代の方も若い方ですけれど、20代に的を絞れば、どれぐらいパイプ喫煙者が居られるものでしょうか。
相当少なそうでしょ。
事実、ここ30年ほどの中では見かけた記憶がございません。
とすると、デザインが重要そうです。
少し近代的デザインのものが出てきましたけれど、ちょっと先を行き過ぎているように感じます。
ほどよい若者向けデザインがあって良さそうです。
需要がないのは作らないのが資本主義の経済原則ですから、当たり前の事ですけど。
ネット社会では、最近ブログなどで盛んに若者の間で海外からユースドパイプを購入し、リペアして使ったり、オークションに掛ける事が流行しているとも聞きます。
その中からパイプ愛好者が育つといいですが、実際、日常的にパイプをくゆらす自分でさえ、時々パイプを放り投げたくなります。
手入れの面倒さではありません。
単純な理由です。パイプ用の煙草が売られていないのですよ。
探し方が足りないのかもしれませんが、私の住む市内には僅か2店でっせ。
取扱店を増やせば、探す煩わしさが減り、購入者が増え、パイプ愛好者が増え、(また始まった……)パイプの供給が増え、パイプ制作者の兄が潤うのです。
パイプメーカー、パイプ煙草商社もここぞとばかりに宣伝広告に力を入れ、テレビのレギュラー番組に「パイプと私」というのが現れ、煙草とりわけパイプ派の著名人が次々と名乗りを上げて登場し、喫煙のすばらしさを語る……。
そして喫煙人口の一割がパイプ愛好者となって、日本が世界で最も、パイプ喫煙人口の多い国となり、世界各地から、パイプ愛好者が訪れ、移住が開始され、土地の価格も上がりはじめ、企業の資産もふくらみ、少子化問題が解決の方向に向かい、日本人と外国人との混血が進み、アフリカン、コーカソイド、オセアニアン、イーストアジアン、ネイティブアメリカン等々による超混血世界統合民族が200年後に出現する。そして、世界には恒久平和が訪れる。
やっと止まりました。
そう、煙草が世界を救うのです。
おかしい?
ではまたいずれ。