パイプの愉しみ方
フランス映画「ポトフ 美食家と料理人」
昨年秋のフランス長期滞在で耳にすっかり馴染んだフランス語の響きがなぜか懐かしくなり、新年早々、フランス映画「ポトフ 美食家と料理人」を観に行った。
結論から先に言おう。この映画はグルメ料理の映画史に燦然と輝く空前の傑作である。
さて、大方のハリウッド映画と違い、日々の生活をテーマにすることが多い仏映画。スケール感が小さくて退屈な内容になりやすい。でも、気の利いたウィットについクスリと笑ってしまい、文化や感性を尊重する主人公たちの姿に心がほのぼのとなるうちにエンドロールを迎えるのが特長でもある。
19世紀末のフランス。地方の由緒ある城に住む大領主で著名な美食家(仏語:gastronomeガストロノーム)のドダンと才能溢れる女料理人ウージェニーとの二人の料理への情熱と、恋愛感情が物語の縦軸を織りなす。ただ、この映画はその辺の安っぽい男女の恋愛映画とは一味も二味も違う。
冒頭からダイナミックかつ繊細な調理のワンカットシーンが延々と続く。安直なB G Mはない。映像と調理の音そのもので、味覚を表そうとする手法に舌を巻く。
料理の道を追求し芸術の域にまで高めようとする美食家ドダン。彼の脳裏に閃いた料理のレシピを見事に再現してみせる魔法使いのような腕の料理人ウージェニー。二人が次々に生み出した傑作フランス料理の名声はヨーロッパ中に広まった。ある時、その評判を伝え聞いた「ユーラシア皇太子」がドダンとその友人を宮廷晩餐会に招いた。しかし大金を掛けて甚だしく豪華だが、同時に陳腐極まるとしか言いようがないその宮廷料理にドダン達はうんざりした。
そこで返礼として真のフランス料理の真髄を示そうと、最も素朴な煮込み料理ポトフで皇太子をもてなすとウージェニーに打ち明けたが、彼女は病で倒れてしまった。そこでドダンは人生で初めて自ら調理に取り組み、究極のポトフを作って彼女を元気づけようと決意した。これが粗筋である。
一つ違和感があった。衣装などからしてロシア帝国皇太子であることは明白なのに、映画では「ユーラシア皇太子」と架空の国名で誤魔化す。ヨーロッパの辺境の帝政ロシアでは、皇族も貴族も未開地の言語とされたロシア語を使わずフランス語で会話するなど、フランスの文化と文明を懸命に真似ていた。これは誰もが知る歴史的事実だ。映画の中とは言え、往時の帝政ロシアを小馬鹿にするのは何か差し障りがあるのだろうか?
さて、フランス文化の粋といえば、大方の日本人がすぐに連想するのはルノワールやゴッホなど印象派、後期印象派の近代絵画だろう。フランス料理も絵画と並ぶ文化の華だということを頭では理解しているが実際には縁遠い存在だ。
「フランス料理」と一口で言うが、フランス人の庶民が毎日食べている料理とは似て異なるものだ。「フランス料理」とはヨーロッパの伝統的な高級宮廷料理のことであり、庶民の料理と通底はしているものの、異なる次元に存在するものと思った方が良いと思う。
絵画や彫刻は美術館で低廉な料金で鑑賞できるが、高級フランス料理店は敷居が非常に高い。普通の日本人はフランス語が出来ないから、電話予約が自分でできないし、メニューも読めず、料理の内容が理解できない。ギャルソン(給仕)とのちょっとした洒落た会話は夢の夢だ。最近は英語で併記してくれる店も増えたというが、食べた経験がないので注文するのに勇気がいる。それに高級店は厳しいドレスコードがあるから、旅行先の気軽な服装では入れない。
そもそも高級フランス料理は財布に優しくない。まして料理に合った高級ワインも注文するとなると財布が悲鳴をあげてしまう。せっかくフランス旅行をしても、高級レストランに行くのには高い壁が存在する。つまり余程の金持ちでフランス語にも堪能な上級国民の日本人の方々だけが高級フランス料理を楽しめるという構図だ。
フランス語を大学の第二外国語で多少齧った程度の私のような庶民の日本人は、フランス旅行をしても、「高級フランス料理」とは別物の「庶民料理」を、ほどほどの価格の庶民向けレストランでランチを食べて満足するということになる。これが現実である。
この映画は、芸術の域まで高めた高級フランス料理の調理の凄さ、奥深さを丹念に描いている。料理場面の監修はミシュラン三ツ星シェフのピエール・ガニェール。観ているだけでフランス料理の調理技法の勉強になり、深く学べることばかり。ピエール・ガニェールが「ユーラシア皇太子」のお抱えシェフ役でカメオ出演しているところにフランス映画らしい機知が込められている。究極のグルメ映画と呼ばれるにふさわしい出色の出来栄えだ。
にもかかわらず、わざわざ「ポトフ」という庶民の素朴な煮込み料理を取り上げて題名にした。
なぜか?
様々な見方が出来ようが、豪華な高級フランス料理をもてはやす現代の美食文化の風潮に対するさりげない風刺が込められていると感じたのは私だけではないと思う。つまり「ユーラシア皇太子」の宮廷料理に象徴される享楽的な俗物主義、行き過ぎたグルメ志向への痛烈な皮肉というわけだ。
さて、主人公の美食家ドダンはパイプ喫煙を楽しむ愛煙家でもある。近所の領主仲間や貴族を晩餐会に招くと、食事後は喫煙室に移ってパイプや葉巻で紫煙を楽しむ場面をわざわざ描写する。テレビの喫煙場面を観ると集団で抗議電話をかけまくる嫌煙者の鼻息を窺う日本のNHKのプロデューサーなら、絶対に描かない場面だ。仮に撮影していても実際に放送する際にはこの場面は必ずカットする。
なぜこの映画は殊更に喫煙シーンを描いたのか?
高級フランス料理を楽しむということは、単に料理そのものだけでなく、料理を味わうにふさわしい服装を整え、食前酒から始まり、料理に付随するワインの選び方、食後の喫煙作法までも含んだ一体の伝統文化のスタイルそのものだからだ。
ここにも今様の衆愚が織りなす嫌煙運動への隠れた風刺が込められていると感じた。
脚本、脚色、監督のトラン・アン・ユン(漢字表記:陳英雄)はこの映画で、第76回カンヌ国際映画祭で最優秀監督賞を受賞した。第96回アカデミー賞国際長編映画賞フランス代表作品。
ユンは1962年生まれ。名前が示す通りベトナム出身。ベトナム戦争での共産勢力の迫害から逃れる両親に連れられて12歳の頃にパリに移住した。才気縦横の美しい映画作りで鳴らす現代フランス映画界を代表する巨匠である。
ドダン役はブノワ・マジメル。ウージェニー役は名女優ジュリエット・ビノシュ。この二人はかつて一女をもうけた恋人同士で同棲していたが別れた。愛憎の感情が渦巻くはず(?)の別れた恋人同士を二十年ぶりに敢えて主演の二人に起用したユン監督の手腕が心憎い。
<ポトフ 美食家と料理人 公式サイト>
https://gaga.ne.jp/pot-au-feu/
【参考情報】
なお、料理監修のピエール・ガニェールシェフが、この映画に登場した様々な料理を特別にフルコースにアレンジした「ムニュ・ドダン」をANAインターコンチネンタルホテル東京で2024年2月末まで提供している。美食家で財布に余裕がある方はどうぞ。
https://anaintercontinental-tokyo.jp/pierre_gagnaire/news/pot-au-feu.html