パイプの愉しみ方
日本の辺境、黒島にパイプ煙草と葉巻を喫いに行きました
数年前に仕事を引退してから毎年寒い冬の時期が訪れると、私は八重山諸島など温暖な南の島に出かけることにしています。若い時は平気だった寒さが、還暦を過ぎると次第に身体にこたえるようになったからです。「南の島に出掛けて何をするの?」とよく聞かれますが、要は温暖な場所で大好きなパイプと葉巻をのんびり楽しむのが目的です。
とは言っても、東京であれこれ用事があるので1ヶ月以上の長逗留は厳しいです。長い時で2週間くらい、短い時は数日程度です。今年は1月に数日間訪ね、2月にもまた訪ねてやや長めに滞在する予定です。
今年、令和6年は、パイプ仲間との内輪の新年会が終わってから黒島に出かけました。
黒島という名前の小島が日本には3つあるようです。沖縄県と鹿児島県、大分県ですが、私が1月に訪ねたのは沖縄県竹富町の黒島です。羽田空港から石垣島に飛び、石垣港から小船で30分ほどの距離にある小さな島です。
羽田空港からJ T A(日本トランスオーシャン航空)の早朝6時35分発の直行便に乗ると、午前10時過ぎには石垣空港に到着。私が着いた日は晴れ、午前10時の気温が摂氏23度。東京の冬の寒さがまるで嘘のように感じられて快適そのものでした。空港で冬服を半袖の夏服に着替えて、30分に1本の市街地との連絡バスに乗り込みました。
のどかな新緑のサトウキビ畑を眺めて「今年も正月早々、南国に来たなぁ」と感慨に耽っているうちに30分ほどで離島船便のターミナルに着きました。丁度昼前なので、しばらく歩いて美味しい八重山蕎麦の名店でまず舌鼓。
ちなみに八重山蕎麦は美味しい店と、そうではない店の差がとても大きいですから、読者の皆様には事前にネット等で評判を調べておくことをお勧めします。美味しい店は数少なく、並以下の味の店が大半、「なんだ! これは!」とひどい味の店も残念ながらちらほらあります。
食べ終わって徒歩でホテルへ。ホテルで荷物を預かってもらいましたが、愛煙家の私にとって今回のホテル選びは失敗でした。受付カウンターの従業員が喫煙の有無を尋ね、禁煙室しかないことを承知していた私が「ホテルの外で喫煙します」と答えると、「ホテルは敷地内も含めて全面禁煙です」と畳み掛けるように強調。喫煙者の宿泊客は歓迎しない態度を示したからです。私は失敬な従業員だと感じ、その場で宿泊予約を取り消して、石垣島の定宿にしている愛煙家歓迎ホテルに移れればという考えが脳裡を一瞬よぎりました。大人気ないのでやめましたが。
私は那覇での乗り継ぎなしで南西諸島に行けるJTAの石垣島直行便、宮古島直行便が好きでよく利用します。LCCの航空会社と比べて機内の快適さと客室乗務員のお嬢さん方の乗客への接遇が段違いに気持ち良いだからです。
今回、JTAを利用したこともあって、その流れで提携先のホテルを予約しました。このホテルの支配人さんが大の煙草嫌い、愛煙家嫌いだとは全く知りませんでした。よく世間にいる高圧的で攻撃的な嫌煙運動者の類かもしれません。受付従業員の態度も反喫煙の従業員教育の賜物なのでしょう。
夕方、チェックイン後に部屋を案内されたら、枕元横の小机に「部屋で喫煙したら5万円徴収する。もし煙草の匂いが消えなかったら損害賠償請求の法的措置をとる」旨を書いたガラスの置き物がご丁寧にデンと置いてありました。ホテルの禁煙ルールを遵守するように求める穏やかな注意書きというより、まるで威嚇です。
私は愛煙家の端くれですが、宿泊ホテルのルールは守って室内では喫煙しません。このホテルで過去にどういう揉め事があったのか知りません。過去にルールを守らない非常識で不届き者の喫煙者がいたので、過剰に攻撃的な対応になっているのかもしれません。喫煙者は社会秩序に反する無頼漢なので排除すべきだというご信念なのかもしれません。
「愛煙家は歓迎しない」、「喫煙者は嫌い」という経営方針はご自由です。ただ、その旨をホテルの特徴として予め特筆大書してPRしておくべきであり、提携先のJTAや旅行会社等にもその旨を予め周知徹底すべきであると思います。
石垣島には幸い部屋内喫煙自由の愛煙家歓迎のホテルや宿がいくつもあります。愛煙家の需要に応えていますから、いつも予約で満室になっていることが多いのですが、早めに予約すれば妥当な料金で快適に宿泊できます。禁煙部屋ばかりのホテルが、集客に苦労しているのと対照的です。
我々愛煙家は嫌煙標榜のホテルを避け、歓迎ホテルを選んで宿泊すれば良いだけのことです。愛煙家と嫌煙者がお互いに不快な思いをしないで済むように、ホテル側が予め態度を鮮明にしておくことを望みます。
さて、ホテル受付でやや害した気分を我慢して「午後3時のチェックインまで、どう過ごそうか」と思ってバスの時刻表を見たら、1日3往復の川平湾への昼のバスにちょうど間に合うことが分かりました。
石垣市街地から観光名所の川平湾まで40分ほど。グラスボートに乗って海中を遊弋する海亀や珊瑚を見物し、美しい海岸沿いを散策、川平湾の近くの泡盛製造所で試飲、購入するなど楽しい時間を過ごして夕方のバスで戻りました。夕食は、石垣市街地からやや外れた場所にある鮮魚店併営の海鮮居酒屋で。毎年、必ず訪れる店です。石垣島でしか食べられない刺身や海藻、食材にオリオンビールを堪能しました。
翌日は、朝8時の船で目的地の黒島を訪ねる予定でしたが、前夜の飲み過ぎが祟って寝坊。起きたのは9時前。ホテルのビュッフェ方式の朝食は、値段に見合った内容でした。行き過ぎた愛煙家嫌悪の姿勢さえなければ、設備も含めてなかなか良いホテルだと思いました。
念のために1階の「喫煙室」をチラッと覗きましたが、狭くて窓無しの牢獄みたいな雰囲気です。誰もこんなところでわざわざ喫煙したくないでしょうね。煙草が喫いたくなれば、牢屋のような「喫煙室」は避け、少々歩いて敷地の外に出て、路上で喫煙すれば良いのです。このホテルの支配人さんには、愛煙家嫌悪のご立派なホテル経営の姿勢をぜひ貫徹して頂き、アリバイ作りの如き「喫煙室」を早々に廃止なさることをお勧めします。
さて、正午前に石垣港離島ターミナルに歩いて到着。石垣島から直線距離で17キロの黒島行きは2社がそれぞれ1日3往復運航しています。漁船を改造したような小船ですが、昼便の乗客は10名足らず。波静かな内海をスイスイ進んで35分で黒島の東側にある浮桟橋に到着しました。
黒島は周囲12.6キロ、面積10平方キロの平坦な小島です。上空から観た形状はハート型。居住人口は200余名で、放牧されている黒毛和牛の数がその十数倍という黒牛の島です。
早速、レンタサイクル屋で自転車を借り、地図を貰ってパイプ煙草に火を付けて島一周巡りに出発。天気はやや風があるものの晴れで温暖。日差しが強かったです。道は舗装されていて平坦なので、自転車はぐんぐん速度が出ます。左手の亜熱帯の防風林の周りの雑草の植生には夥しい蝶の群れ。様々な種類の青色や金属光沢の鮮やかな蝶が羽ばたいていました。右手の珊瑚の石垣の内側は広い放牧場。多くの黒牛が放牧されており、のんびりと草を食んでいます。牛の周りに白鷺が何羽もいます。どうやら牛にまとわりつく虫を食べているようです。
海岸線に沿った道を、パイプをプカプカ喫いながら走ること約15分で、島の北部にある伊古桟橋に到着。この石積造及びコンクリート造の桟橋は現在使われていないそうです。ハート型の島の凹んだところから珊瑚礁の浅瀬に354メートルも一直線に突き出している奇妙な人工的光景です。自転車を降りて、桟橋の先端まで歩きましたが、海の中を歩いているような不思議な感覚でした。桟橋の周りは天然のアオサがびっしり生えています。海風が強くて帽子が吹き飛ばされそうになりました。対岸には石垣島の市街地がくっきり。
とっておきの葉巻を持参していたので、桟橋の先端で記念に一服しようかと思いましたが、強風で着火が困難そうなのでやめました。こういう風が強い時にはやはりパイプが便利です。自転車で喫い続けていたパイプ内の火種がまだ消えずに残っていたので、ボルクムリーフの煙草を継ぎ足してしばし一服。珊瑚礁の海の真ん中で芳しい香りと味をじっくり楽しみました。
桟橋から戻ってまたパイプを喫いながら道沿いに自転車を漕いで島の中央部へ。ずっと走っていても人影は皆無。出会うのは黒牛と白鷺と、蝶の姿ばかりの田園風景。時々、猫の姿も。こういう風景は日本の辺境まで出向かないと体験できません。東京は寒さに震え上がっている1月に、夏の服装でパイプ喫煙を楽しみながら自転車を走らせるのは、一種の贅沢と言えるでしょう。孤独の中に愉快な爽快感がありました。
レンタサイクル屋で貰った地図が不正確で、次の目的地の黒島灯台に行くつもりが、方向を間違ってしまいました。とは言っても小さな島なので引き返すのも面倒だと思ってそのまま走り続けると島の西北端に辿り着きました。自転車を降りて防風林を通り抜けると珊瑚の岩場。石垣島は当然近くに見えますが、沖合は太平洋に面した荒涼とした風景です。
パイプで一服もしないで早々に引き上げて島の中心部に戻り、黒島灯台へ。サイクリングの途中で初めて人間に遭遇。何か土木工事をなさっている様子でした。黒島灯台辺りで、レンタサイクルに乗った黒島観光客の4名とすれ違いました。若い人ばかりでしたが、互いに何だか急に仲間意識が芽生えてにこやかに会釈。
灯台には辿り着いたものの、特に見るべき景色でもなく、パイプを喫ってしばらく休憩しただけで、島の南西部のビジターセンターへ。ここはわざわざ自転車から降りる程のこともないことがすぐに見て取れて、そのまま黒島研究所へ。
黒島研究所は民間の日本ウミガメ協議会付属の施設だそうで、主に海亀や鮫、様々な魚などの海洋生物を研究している博物館兼水族館といったところ。建物の入り口の周りに浅い溝が掘ってあり、その中を体長1メートル程の鮫が数匹泳いでいるのを観てびっくりしました。展示室で黒島の歴史や蒐集品を自由見学。孔雀や梟も飼っています。赤海亀の子亀や熱帯魚への餌やりなどを体験できる手作り感いっぱいの素晴らしい研究所です。黒島を訪ねたら必見です。入館料は僅か500円。
民間施設ですので、施設の維持と研究費の足しにでもなればと思って、子亀用の餌を購入して水槽内の海亀に与えようとしたら、大きな熱帯魚が飛び出して餌を横取りしてパクリ。魚の敏捷さと海亀の動きののろさを体感しました。黒島研究所でゆっくり遊んでいるうちに時刻は早くも4時過ぎ。5時発の船に乗るべく浮桟橋へ向かいました。
途中で、黒牛の親子連れ数頭が放牧されているのを見つけました。自転車から降りて、産まれて日が浅い仔牛が母牛の乳を飲んでいる微笑ましい光景を写真撮影していたら、浮桟橋から自転車を漕いで来た人品卑しからぬ老紳士が止まって声を掛けました。
挨拶を返して雑談。その紳士は黒島に毎年、2ヶ月間ほど避寒で滞在しておられるとのこと。仕事を引退してから暖かい沖縄本島に半定住しているが、寒さが厳しくなる冬場になると、2ヶ月ほど黒島に移ってずっと民宿で過ごしていると自己紹介なさいました。
「沖縄の様々な島を旅行し、滞在してみたが、よそ者でも本当に温かく迎えてくれる黒島が一番良いです」との由。旅先で偶然、同好の士が遭遇とあって、つい話が弾みましたが、船の出発時刻に遅れるわけにもいかず、「次の冬は、黒島長期滞在のお仲間にしてください」、「喜んで歓迎します」と名残惜しくも別れを交わして、帰途につきました。
今年の暮れから来年の1月にかけて、私も黒島でしばらくの間、パイプ煙草と葉巻を楽しむことになりそうな予感がしています。