パイプの愉しみ方
続 偽物ダンヒルパイプにご用心
昨年、「偽物ダンヒルパイプにご用心」という題名でパイプ喫煙愛好家への注意喚起の一文を日本パイプクラブ連盟のホームページに掲載して頂きました。当初、私は1回限りの軽い読み物として寄稿したつもりでしたが、同連盟事務局によれば、びっくりするようなアクセス数と多方面からの反響があったそうです。そこで勧められるままに調子に乗って番外編も含めて計6回に亘って拙文を連載する羽目になりました。
6回も書けばネタ切れになりますし、言いたいことは大方書き尽くしてしまいます。私としては完全燃焼で打ち止めしたつもりでしたが、豈図らんや、今度は偽物ダンヒルパイプの怨霊が私にしつこく付き纏うようになって離れません。そこで已むなく再び筆を取って続編を折りに触れて綴ることに致します。
読者の皆様に於かれては、読み飛ばしの笑い小噺と受け止めて、お付き合い頂ければ幸甚です。
勘違いの古物商
先日、パイプ仲間の友人達と連れ立って旅行に行った。旅行先の近くには、どなたもご存知の格式高い神社がある。我が日本を目立たぬように護って下さっている日本の八百万の神様方、実にありがたいものだ。信仰心厚き私は、敬意を表して友人共々、旅行先から少し足を伸ばして初参拝した。
神社の鳥居の前でまず一礼。境内に入らせて頂くための神様へのご挨拶だ。鳥居をくぐって清々しい雰囲気の広大な境内を歩いていると、一隅で骨董市がたまたま開催されていた。嬉しい。私は国内、海外を問わず、旅行先で骨董店を見つけると、必ず店に入ってあれこれ吟味し、欲しいと思ったら後先考えずに即決で購入する骨董品マニアだ。
「何か掘り出し物でもあるかな」と思って骨董市をゆっくり見物しているうちに、パイプが並べてある露店が目に止まった。なかなか心掛けが良い。殊勝な古物商だ。やや奥の方には「ダンヒルパイプ」と書いた5本が並べてある。
店のご主人に声を掛け、じっくり見せて貰っていると、「兄ちゃん、何をそんなに眺めているんだい。白いポッチが付いているのは全てダンヒルだ。そんなことも判らないじゃ、買う資格がねえよ」といささか伝法な口調で咎められた。私が手に取って繁々と品定めしているのがお気に召さなかったようだ。なかなか威勢の良いオヤジである。「お客様第一」みたいな取ってつけた偽善で客に擦り寄らないところが、いかにも年季が入った露店の古物商らしい。
実は、私は並べてある「ダンヒルパイプ」5本のうち、3本は本物で2本が偽物であることが即座に分かった。まず本物3本の製造年を確かめ、ついでに偽物2本がどれだけ本物に似せて精巧に作ってあるかをじっくり観察していた訳だ。初対面のオヤジに親切に色々と説明してやる義理はないので、「何年の製造かを見ていただけですよ」とだけ言って店を離れた。
同行の友人達と少し一服しようということになり、アーケード内の煙草が喫える喫茶店を探すうちに、先程見たダンヒルパイプのことが少し気になった。当日は別行動だった親しいパイプ仲間が自分の誕生年に製造されたダンヒルパイプをずっと探していることを急に思い出したからだ。友人達に先に喫茶店に行ってくれと断り、先程の露店に戻ることにした。
先程の店に戻って威勢の良いオヤジにダンヒルパイプの値段を尋ねると、じっと私を観察して「あんたに買える金額ではあれへん。冷やかしならよそへ行ってくだせ」とケンもほろろ。私の人相風体が全体に胡散臭く、安っぽいジジイに映ったのだろう。このオヤジ、人生の荒波をくぐってきたのだろう。なかなか鋭い人物観察眼に感心した。
確かに私は金持ちそうには到底見えない。自分でもよく自覚している。有り体に言えば、「ザ・ビンボーニン」そのものだ。この歳になって今更、見栄やハッタリで身を飾るつもりもない。どこにでも転がっている日本人のジジイのありのままの自然体で生きている。だから今日も元気で煙草が美味い。最近、書店にぶらりと立ち寄ったら「60代からは、人は見た目が10割」とか言う面白い題名の本が平積みで置いてあった。平積みだから、よく売れているという証だ。言い得て妙、と素直に思った。
とはいえビンボーニンにはビンボーニンなりの意地もある。めげずに私が「少々高くても買えるよ」と言うと、オヤジは「カードは使えんよ」と先回りしてピシャリ。このオヤジ、カネのないビンボーニンをいちいち相手にするほど商売が暇ではないと言いたい訳だ。
見てくれが悪いんだから、この場は鄭重に下手に出るしかない。「おいくらですか?」
オヤジは仏頂面で「20万円」。
20万円とは恐れ入った。使い込んだ中古のダンヒルパイプの相場とかけ離れている。著名人の愛用パイプだったとでも言うのだろうか?
私「どうしてそんなに高いかを教えて頂けましたら20万円でも買いますよ」と財布を出して中を見せた。
オヤジは、コイツはお客になる可能性があると思ったらしく説明を始めた。
「この保証書と箱があれば、喫うところを噛み切ってもダンヒルが無償で直してくれるんや。凄いやろ」と自信満々でセールストークをひとくさり。
私は、その勘違いぶりに吹き出しそうになった。「貴方、勘違いしていますよ。保証書は購入して2年以内に不具合が見つかったら交換しますと言う内容で、それ以外は有償ですよ。そもそもダンヒルの正規取扱店で購入した新品のパイプが対象ですから、これらの中古パイプは対象外ですよ」
オヤジはギョッとした顔になった。
私は構わず畳み掛けた。「このパイプと箱、保証書の年代が全く合っていませんよね。パイプの製造年は1966年、箱は1980年代です。このパイプの年代を調べる方法をご存じですか?」
オヤジ「おう、知っとるぞ。カヤマ先生に教えて貰っとる」とスマートフォンをルーペにしてパイプの刻印のあたりをしばし注視した。時々上目遣いになって私をチラチラ見る。
何かまずいと察知したようだ。すると、それまでとは打って変わった丁寧な口調で「1966年でした。カヤマ先生から箱の年代判別方法については教えて頂いていないので判りません」。
ガラの悪い横柄な露店のオヤジが、高級デパートの接客係風に大変身。ガラガラ声まで猫撫で声になった。ここまで態度がガラリと一変する人は滅多にいない。一言で言えば、凄い。臨機応変の才覚に溢れている。修羅場で散々痛い目に遭いながら、人間を鍛えられたことが見て取れる。
とはいえ、先ほどまでの高飛車な客あしらいのこともあるので私は「カヤマ先生と大層ご昵懇の間柄のようですが、失礼ながらパイプクラブの関係者の方ですか?」とやんわり追い討ちを掛けた。
オヤジ曰く「私が懇意にさせて頂いておりますカヤマ先生は、日本パイプクラブ連盟の副会長で、ダンヒルパイプについて大変詳しいお方です」。
知らぬが仏と言うが、本人を前にして良く言うものだ。心臓に毛が生えたようなオヤジだ。
私「ああそうですか。あのカヤマ先生と懇意になさっているとは羨ましい。私もカヤマ先生と会う機会があれば、お近づきになりたいものだ」
私は2本の偽物ダンヒルパイプを偽物と分からずに買ってしまう客がいると気の毒なので「大変不躾ですが、5本のうちこの2本は偽物だと思いますよ。刻印部分をレーザーで加工していますね。偽物を売ったらこのお店の信用が無くなります。カヤマ先生に鑑定して貰って下さい。カヤマ先生もきっと偽物だと判定すると思いますよ」とだけアドバイスして店を出た。
オヤジは「はい」と神妙な表情で頷いた。
私はお人好しなのだろうか? それとも人が悪いのだろうか?
因みに、私の姓の読み方は「カヤマ」ではありません。
この拙文を読んで下さっている読者の皆様方へ。
古物店や骨董屋、通販、メルカリなどで高価な「ダンヒルパイプ」を購入する際は、くれぐれも注意して下さい。私の経験では、ざっと半分くらいは偽物です。ダンヒルパイプの真贋をある程度勉強してから購入に踏み切って下さい。
この露店主のオヤジさんのように客を騙そうという悪意はおそらくなくとも、売る側の知識不足で偽物を本物だと信じ込んで売っていることがよくあります。
もう1点。私のことを「カヤマ先生」という人は、私のことを全く知らない方です。私は「先生」と呼ばれるほどの立派な人間ではありません。「先生」と呼ばれると全身がなんだかむず痒くなります。私の友人知人、周囲で私を「先生」と呼ぶ方は、誰もいません。