パイプの愉しみ方

パイプの愉しみ方

ピアノの大魔人 ケマル・ゲキチ

愛煙家 音楽愛好家 伊達國重

 

凄かった。恐れ入りました。まさに魔人の如きヴィルトゥオーソの演奏だった。会場の聴衆は完全に彼の演奏の虜になった。

 

 

7月1日にケマル・ゲキチ(Kemal Gekić)のリサイタルを聴きに行った。演目はショパン、リスト、ゲキチの自作曲という3部構成。会場は武蔵野音楽大学ベートーヴェンホール。6時半からの公演。 大学の公開講座形式だったので入場料は何と2000円、全席自由席。 6時開場を前に、私はパイプ仲間の友人と共に良い席を確保しようと小1時間前に会場に着いたが、既に長蛇の列。その後も続々と聴衆が並び、会場は満員だった。知っている人は知っているのだ。

 

彼の経歴を公開講座の冊子から適宜抜粋引用しながら紹介しよう。
-----------ケマル・ゲキチは1962年生まれ、旧ユーゴスラヴィア(現在のクロアチアの古都スプリット)出身。名前から推察できるようにトルコ系の出自のようだ。 1981年のリスト国際ピアノコンクール第2位。1982年にノヴィ・サッド音楽院(現在のセルビアの第二の都市、私も昔行ったことがある)を同音楽院史上最高成績で卒業して、そのまま同音楽院のピアノ科の教員に迎えられ、1999年まで籍を置いた。

 

彼が有名になったのは1985年ショパン国際ピアノコンクール。その見事だが強烈な演奏に審査員の評価が割れてファイナリストに残れなかった。 これに抗議した審査員が次々に審査を辞退したという事件が発生し、一躍世界に名を轟かせた。聴衆からの圧倒的な支持を得たゲキチは、翌年、聴衆の強い要望により、 「幻の最終審査」と称してワルシャワ・フィルの定期演奏会に招かれ、本選と同じオケと会場でショパンのピアノ協奏曲第1番を、アンコールではピアノソナタ第3番全楽章を演奏し、23歳の若さで伝説の存在となった。

 

これだけではない。ショパンコンクールでの演奏に対し、ドイツ・ハノーヴァーのショパン・ソサイエティは「最優秀ソナタ特別賞」を授与。その録音CDはドイツで6万枚、日本で8万枚売り上げた。 その後、欧州10カ国、日本、カナダ、ロシア、中東で演奏旅行を行った。彼の演奏と半生を綴ったテレビ・ドキュメント番組が制作され、イタリア国営放送、日本のNHKなど10カ国で放送された。

 

90年代に入り、突如演奏活動から身を引き、より高いレヴェルへの到達を目指して練習に没頭した。この充電期間の成果の一つが超絶技巧練習曲全曲集(ビクター)であり、これにより、彼はリスト演奏の第一人者として不動の地位を確立した。-----------

 

如何だろうか。並のピアニストではないことが以上の簡単な経歴紹介で窺える。

 

1985年のショパン国際ピアノコンクールは、旧ソ連の天才スタニスラフ・ブーニンが優勝し、世界中に大旋風を巻き起こした。 私自身もブーニンのコンクールでの演奏をNHKで視聴して深い感銘を受けたことを今でも鮮明に覚えている。2位はマルク・ラフォレ(仏)、3位がヤブウォンスキ(波蘭)、4位が小山実稚恵(日本)、5位がジャン-マルク・ルイサダ(仏)と、 その後世界のピアノ界で大活躍している素晴らしいピアニストが綺羅星の如く登場した。歴史あるショパン・コンクールの中でも指折りの当たり年だった。

 

ケマル・ゲキチのような自由奔放で独創的な曲の解釈をするピアニストがショパン・コンクールでファイナリストに残れなかったのは、やむを得ないかもしれない。 音楽コンクールは審査員の平均点で順位を決めるからだ。高く評価する審査員と評価しない審査員に二分されてしまうから、どうしても平均点は低くなってしまう。 それに彼の超絶技巧を駆使した演奏スタイルはショパン弾きというよりも、リスト弾きという範疇に入るだろう。しかもその演奏は曲に即興で味付けする19世紀風だから、作曲家が残した楽譜になるべく忠実に弾くのを良しとする20世紀後半の演奏スタイルとは掛け離れている。

 

19世紀に活躍した名ピアニストの演奏は、録音技術の黎明期と重なったおかげで、アコースティック録音、電気録音の形で残されており、今でもYouTubeのおかげで容易に聴くことができる。総じて言えば、現代風のクラシック音楽の演奏とは異なり、ピアニストは即興で自在にアドリブ、変奏などを入れて演奏していた。 そうした個性的で自由な演奏が名人芸として持て囃されていたわけだ。曲の主題旋律を活かしながら即興で自在に変奏・転調し、展開する現代のジャズの即興演奏と通底しているものがある。

 

7月1日のプログラムは、ゲキチ自作曲の静かな序章から始まり、そのままショパンの夜想曲第2番に移った。聴衆を一気に惹きつける趣向が冴えている。夜想曲2番は聞き慣れた曲だが、装飾音符のような変奏が随所で次々に加わり、馴染みの曲の趣が微妙に変わってしまうから面白い。 次いで円舞曲第1番、同第6番、幻想即興曲と連続して切れ目なく。どの曲にもゲキチ流の独創的な解釈があって聴いていて新鮮だ。小休止を入れて24の前奏曲第15番(雨だれ)、舟歌、締めにポロネーズ第6番(英雄)の連続演奏。英雄ポロネーズの盛り上げ方と打鍵の激しさに圧倒される。

 

ゲキチが弾くショパンはテンポを自在に揺らしながら即興の変奏も加えて演奏するので、2024年の今、時間を飛び越えて19世紀の名ピアニストの片鱗に触れたような錯覚に襲われた。聴衆はいつの間にかケマル・ゲキチの魔術に嵌ってしまったようだ。
隣席のジャズ好きのパイプ仲間が「まるでクラシック版のジャズだね」と小声で囁いたが、宜なるかな。

 

第2部は十八番のリストの3曲。最初は夜想曲第3番(愛の夢)、続いて練習曲第3番(溜息)でリストの抒情性をしっとり歌い上げた。そして締めはハンガリー狂詩曲第2番。リストの主題によるゲキチ版ハンガリー狂詩曲第2番とでも呼ぶのが的確だろう。 例えは適切ではないだろうが、日本の演歌の歌い方の技法である「こぶし」や「ため」風の味付けを随所にたっぷり効かせて盛り上げ、曲全体をより躍動感があるものに仕上げた。こんなに劇的なハンガリー狂詩曲2番を聴いたのは無論初めてである。

 

私はケマル・ゲキチを往年のシフラ・ジョルジュの衣鉢を継ぐ現代最高のリスト弾きだと思うが、シフラに勝るとも劣らない魔神の如き演奏で、 文字通り度肝を抜かれた。ゲキチの運指は当然のことながら超高速。目にも止まらぬ半音階スケールの速さに息を呑む。人間離れした強烈な連続打鍵により鳴り響く轟音。演奏中にピアノ弦がバチバチ切れるのではないかと思った。

 

ゲキチの両手は特に大きいようには見えないが、手の甲は野球グラブみたいな厚みがあり、柔らかい筋肉の塊という印象だ。音楽学校で普通に習う現代風の腕の重さを活かした自然なピアノ奏法ではなく、往年の若きホロヴィッツ流の指と手と腕の強靭な腱と筋肉を駆使した奏法と観た。 だからこんな魔人の如き凄まじい音が出せるのだ。62歳の今でも全く衰えていない。日々の猛練習に加えて、筋力トレーニングもしているかもしれない。圧巻の演奏が終わると、私は思わずフーと溜息が漏れた。

 

第3部はゲキチの自作曲3曲を披露。ジャズ風、バロック音楽風、ディスコ風とそれぞれ楽しめた。傑作とまでは言えぬが、悪くない。

 

全プログラムが終わり、鳴り止まぬ拍手喝采に応えたアンコールは、疾風怒濤の嵐が収まった後のように美しく静謐な曲を3曲。
聴衆の感動と興奮が冷めやらぬ中、ケマル・ゲキチ劇場の幕が静かに降りた。

 

ケマル・ゲキチはアメリカでの演奏旅行中に、母国でコソボ内戦が起こり、そのままアメリカに留まりフロリダ国際大学教授に就任。親しい友人である武蔵野音楽大学学長の福井直昭氏の招聘で同大学客員教授になり、ほぼ毎年日本を訪問し、演奏会を開いている。 私は福井氏を全く存じ上げないが、知る人ぞ知る存在だった類稀な藝術家を日本に招いて真の藝術の感動を音楽愛好家に広く膾炙して下さり、感謝の念に堪えない。