パイプの愉しみ方

パイプの愉しみ方

続 偽物ダンヒルパイプにご用心 その5 ヨーン・ミッケのパイプ

日本パイプクラブ連盟副会長 岡山パイプクラブ会長 香山 雅美

 

前回の記事(その4)でミッケ( Jöhn Micke)のパイプがネット通販で200万円を超える価格で落札されていると書いたが、パイプ仲間の知人から「香山さん、認識が甘いよ」とご指摘があった。なんと昨年12月にヤ〇オクでミッケの中古パイプが500万円を超える価格で落札されたという。

 

落札者は不明だが、IDから推察するとC国のバイヤーか蒐集家のようだ。それにしてもそこまで高額になっていたとは驚いた。唖然としたと言うのが偽らぬ実感である。実は私はミッケのパイプを3本持っていた。もちろん本物である。処分せず今まで持っていたらと思うと残念だ。

 

もうとっくに時効だろうから、逸話を一つ紹介する。
 今から30年ほど昔のことだ。パイプ業界の親しい友人に「ミッケのパイプを喫ってみたいが、値段が高くて手が出せない」と愚痴をこぼしたら、「良い人を紹介するよ。これから仕事で行くから良かったら一緒に行こう」と誘われた。持つべきものはやはり友だ。喜んで応じたことは言うまでもない。

 

訪問先は東京・巣鴨駅前の喫茶店。当時、日本ハンドメイドパイプ協会会長をなさっていたT氏のお店だった。商談が一通り済んだところで、友人がTさんに私を紹介してくれ、私がミッケのパイプを欲しがっていると伝えてくれた。

 

Tさんはにっこり微笑んで、座っていたテーブルの横のガラス戸を開け、十数本の新品のパイプを見せて下さった。全てミッケ。当時、高い物なら市販価格で100万円を超える値段が付いていた超高級パイプが目の前にずらりと並び、私は息を呑んだ。

 

共通の友人の紹介という特段の事情を踏まえて、今回は業者間の卸値より安い友達価格で特別に譲って下さるという。ただ決して誰にも入手価格を言わないことと、現金支払いが条件だった。恐る恐る値段を尋ねてまたビックリした!

 

どのパイプも同じ値段! しかも安い!
 安いとは言えそこはミッケ。手持ちのお金では全然届かない。再訪を約してその場は引き揚げた。

 

急いでお金を工面してTさんの喫茶店に再度伺い、よく吟味して意匠が一番気に入ったミッケのパイプを手に入れた。
 購入したばかりのミッケの新品パイプに、当時、私が好きだったラタキア系のパイプ煙草を詰めて、早速その場で一服した。まさに至福の瞬間の筈だった。

 

着火して愕然とした。不味い!!!
 まるで美味しくないのだ。

 

その瞬間、私のミッケのパイプに対する憧憬の念、言い換えれば超高価なパイプに対する信仰がガラガラと崩れ落ちたことを今でも鮮明に覚えている。

 

その時は、私の喫煙の技法が至らないせいかもしれないと思った。感想を率直に言ってしまいTさんを不快な気持ちにしてはいけない。しばらく気分を落ち着かせて気を取り直し、Tさんにどうして破格の値段で譲って頂けたのかを鄭重に伺った。

 

Tさんは微笑みながら「ミッケが日本の根竹を使ったパイプを作りたいと言うので、私が用意したのです。ミッケはデンマークからわざわざやって来て、根竹の束と彼のパイプを交換しました。それでいつのまにか彼のパイプが集まったのです。毎年12月の末に山に行って良さそうな根竹を探して採取し、油抜きや形を整える手間賃ですから、この価格でお渡し出来るのです」とのことだった。私は念願のミッケのパイプを入手できたことを深く謝し、内心複雑な気持ちを抱いて岡山に帰った。

 

初めて手に入れたミッケだ。美味しく喫う方法を自宅でしばらく色々と試した。その結果、バージニア系やオリエント系のパイプ煙草ならかなり美味しく喫えることが分かった。つまり職人技の精緻な工芸品である超高級パイプは、パイプ煙草の種類を選ぶのだ。さらに言えば喫う人も選ぶということだろう。当時の私のようなパイプ喫煙歴20年たらずの未熟者には、ミッケのパイプはやはり高嶺の花なのだと素直に反省した。

 

私の拙い連載記事を読んで下さっている方の中には、パイプの入門者や初心者の方もおられるだろうから、ヨーン・ミッケについて簡単に触れておく。パイプ作りの稀代の天才と謳われたミッケは1938年生まれ、デンマークを代表するパイプ工芸作家だ。若くしてパイプ作りの巨匠シクステン・イヴァルソン(Sixten Ivarsson)の下で修行し、独立した1960年頃から独創的な意匠のパイプを次々に発表した。

 

その偉才ぶりに惚れ込んだ米国の資産家が1970年代頃からミッケの新作パイプを次々に買い占めた。この動きに触発された日本のパイプ喫煙愛好家の間でもミッケブームが起こり、日米のパイプ愛好家間で作品の争奪戦が起きた。市場に出回る作品は少なく、イヴァルソンと並んで超高額で取引されている。2005年に67歳で没。

 

私は1998年にイタリア・ベネチアで開催されたパイプロングスモーキングの世界選手権大会に日本選手団の一員として参加した時、このミッケのパイプを持参した。一緒に持参したのはイヴァルソン、ダンヒルの金巻、柘製作所のいけばなだった。

 

世界各国から集まったパイプ愛好家達と所有している名品のパイプを見せ合って自慢しながら情報を得、時には相手が持っているパイプと交換するのが目的と言えば体裁が良い。ただ有体に言えば「どうだ、凄いだろう」と単に見せびらかしたかっただけだ。私の稚気の表れだ。笑って頂きたい。

 

豈図らんや、欧州のパイプ愛好家達はイヴァルソン、ダンヒルの金巻、柘のいけばなは「素晴らしい! 良いパイプだね」と褒めてくれたが、ミッケのパイプを褒めたのは米国人だけだった。パイプ喫煙で主にバージニア葉を嗜む米国でミッケの人気が高い理由も何となく分かった。ミッケ熱が高いのは米国、次いで日本だけかなと思った。

 

今や、天才ミッケのパイプを猛烈に欲しがるのがC国の金持ちだ。文字通り金に糸目を付けずに買い漁っているようだ。欲しがる人がいれば、すぐに偽物を作るのがC国で脈々と受け継がれてきた伝統である。恐らく、既に偽物ミッケ、あるいは本物そっくりの倣古「ミッケ」が腕自慢の木工職人の手で次々に製作され、相当数出回っているに違いないと私は睨んでいる。

 

ミッケパイプの真贋をどうやって見分けるか?
 はっきり言うしかない。
 真贋の鑑定は極めて難しい。相当年季が入ったパイプ愛好家でもまず無理だと思う。私はダンヒルパイプの真贋判定には相応の自信があるが、ミッケの蒐集家ではないのでミッケの鑑定は手に余る。

 

とは言え、この連載記事は「偽物のダンヒルパイプが高額で取引されているから皆様ご用心遊ばせ」という趣旨で始めたものだ。「ミッケの真贋判定は難しいです」であっさり終わらせてしまえば、パイプ喫煙歴50年の私の名が廃る。そこで愛読者のために、通り一遍の見分け方で宜しければ、ご紹介しよう。

 

まず作家もののハンドメイドパイプは全て自作なら作風というものが自ずと出る。この作風は、その作家自身が始めの頃に一人で制作した多くのパイプを観れば自ずと把握できる。アンネ・ユリエがその典型だ。彼女が一人で制作したパイプには独特の女性らしい感性に基づく意匠と造形美があり、すぐにアンネだと分かる。

 

評価が高まって自作だけでは需要に追いつかなくなり、彼女は自分の工房にパイプ作家や職人達を雇って制作を手伝わせるようになった。工房作の「アンネ・ユリエ」ではアンネ独特の作風が微妙になってくる。工房作の「アンネ・ユリエ」も当然本物として扱われるが、本人制作と工房制作は、似て異なるものだと受け止められたい。これは絵画や彫刻でも基本的に同じことが言える。

 

ミッケのパイプは工房作ではなく自作だから当然、作風がある。しかしミッケは常に斬新な造形美と意匠を追い求めていた。制作したパイプの評判が良かったら、しばらく同じ系統の造形と意匠を続けたが、次々に新たな意匠を産み出していた。このため作風が年代によって大きく変化しており直感的な把握が難しい。ミッケ自身の遊び心もあって奇抜奔放な作品も少なくない。従ってパイプ本体の造形と意匠だけでミッケ作と断定するのは至難の業だ。

 

巷間、ミッケは寡作のパイプ作家で年間に30−40本程度のパイプしか作らなかったという伝説が出来上がっているようだ。市場に出回る流通量が少ないから稀少価値から超高値になるのは当然という理屈付けである。しかし私の知る限りでは、ミッケは決して寡作の作家ではなかった。どちらかといえば多作のパイプ作家だった。

 

少し考えてみればすぐに分かる。趣味のパイプ自作ならいざしも、職業としてのパイプ作家である。引き取り業者から受け取る金額を考えると、年間30―40本程度の制作で食べて行ける筈がないではないか。だから数多くのミッケのパイプが世の中にはあると思って間違いない。

 

では、どうやって見分けるか。
まずミッケのパイプ本体は基本的にブライヤーの素晴らしい木目を活かしたものが大半だが、サンドブラストのパイプもある。どちらも刻印があり、上から順に MICKE MAKE  数字 DENMARK となっている。数字は作品番号だ。
皮袋にもMICKE make のスタンプが押されている。

 

箱は直方体のボックスタイプと円筒形の2種類。箱にはデンマーク語の新聞が貼り付けられており、さらにMICKE makeのスタンプの三角の紙片を貼り付けている。
ミッケ本人が特に出来が良いと気に入ったパイプには縞馬の刻印が追加され、更に縞馬刻印3つ入りの最高級品もあるらしいが、私はまだ実物を手に取ったことがない。

 

 

パイプ本体、パイプを入れる皮袋、パイプを入れる箱の3つが揃っており、不自然な箇所や矛盾がなければ一応本物のミッケということになる。職人気質のミッケ自身には特に販売戦略はなかったろうが、結果的にコレクター心理をくすぐる上手い販売方法だ。

 

ではパイプ本体と皮袋と箱の3点セットが揃えば、ミッケのパイプと断定できるかと言えば、そんなに甘いものではない。なぜなら刻印入りのパイプ本体と皮袋の偽造は容易ではないが、C国の一流の職人を使えば本物そっくりのものができるからだ。

 

おそらく最も偽造が難しいのは箱だろう。完璧に偽造するには、ミッケが制作に励んだデンマーク・ボーンホルム島で発行された当時のデンマーク語の新聞を当時と同じ新聞紙質で偽造するしかない。これは途轍もなく困難だ。C国の偽造業者の手にも余るだろう。

 

でもネット通販等で「ミッケパイプの空箱」が高額で取引されている現状をどう見るべきか。読者諸賢のご判断にお任せしたい。

 

連載拙稿の愛読者のために超高級のミッケパイプについて紹介し、偽物を掴ませられないために通り一遍ではあるが鑑定方法を披露した。実は取って置きの鑑定方法がもう一つある。私が昔持っていた3本の本物のミッケで実際に試してみて私なりに会得した方法だ。

 

それは、是非欲しいと思ったミッケに煙草を詰めて、実際に喫ってみることだ。ラタキア系の煙草葉なら美味しくない。バージニア系の葉ならまあまあ。
まあ無理でしょうがね。