パイプの愉しみ方
アルフォンス・ミュシャの喫煙ポスター
チェコ・プラハを訪問した際に、アール・ヌーボーを代表する画家、アルフォンス・ミュシャの美術館を再訪した。前回の訪問時にはなかった煙草会社依頼の珍しい広告ポスターが2点展示されていたので、愛煙家の皆様にご紹介したい。
ミュシャは当時のオーストリア・ハンガリー二重帝国のモラヴィア(現チェコ共和国)で1860年に生まれた。幼い時から絵が得意でミュンヘン美術院を卒業してパリに渡り、印刷会社で働いて生計を立てていた。
彼が文字通り一夜にして、パリ画壇の寵児となった逸話は有名である。売れっ子の舞台女優サラ・ベルナールは、主演する芝居のための宣伝ポスター制作を急遽思いついた。しかし年の暮れだったため、著名な画家達は休暇でパリに不在。そこでやむなくサラは印刷所に飛び込み、そこで働いていた無名の挿絵画家ミュシャ青年に飛び込みで依頼した。
ミュシャは、古代ペルシャ風の豪華な衣装を纏った威厳に溢れた女優サラの姿を、背景の多くの優美な曲線と華麗な装飾とで浮き彫りにした「ジズモンダ」(1894年)を制作。このポスターは大絶讃を博し、突如としてアール・ヌーボーの旗手に祭り上げられた。
この作品をきっかけにサラ自身もパリ演劇界の女王として君臨するようになり、ベル・エポックと呼ばれた時代を象徴する国際的大女優として活躍した。以後、ミュシャはサラ・ベルナールをモデルに多くのポスターを制作した。ちなみにオペラファンなら誰でも知っている「トスカ」は、サラ・ベルナールをモデルにした戯曲で自ら主演したサラの舞台を観て感激したプッチーニがオペラ化したものだ。
先にミュシャを画家と紹介したが、大衆文化が花開いた19世紀末頃から持て囃されるようになった花形職業のイラストレーター、グラフィック・デザイナーの偉大な先駆者と言った方がより実態に合っている。ミュシャは依頼を受けた広告ポスター、装飾パネル、カレンダー、表紙絵などを量産した。モデルとなる婦人の姿を、花、植物、星、宝石に象徴される様々な美的概念と流麗な曲線を交えて高貴に表現するスタイルは独特である。このスタイルは以後、日本を含む多くの画家やデザイナーに大きな影響を及ぼし、世界中の多くの美術愛好者に絶大な人気がある。不肖私もその一人である。
プラハのミュシャ美術館を私が前回訪問したのは西暦2006年だったので18年ぶりだ。ミュシャの代表的な展示物は変わっていなかったが、ミュシャの画風の変遷と、チェコとの関わりを辿れるように展示に工夫がなされていた。
帰国してしばらくしたら、東京・渋谷のヒカリエホールで「永遠のミュシャ」と題した展覧会が始まった。ミュシャの展覧会は日本でもとても人気があり、ミュシャ財団が日本各地の美術館と提携して、展示作品を変えながらほぼ毎年開催している。
グラン・パレ・イマーシブ 永遠のミュシャ
https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/24_mucha/
ミュシャ展 マルチ・アーティストの先駆者
横浜そごう美術館
https://www.sogo-seibu.jp/yokohama/topics/page/sogo-museum-mucha.html