パイプの愉しみ方

パイプの愉しみ方

2024年秋 中・東欧4都訪問 道中記 その2(ベルリン、ポズナン、ワルシャワ)

JPSC 小枝義人

 

古都プラハでの楽しい1週間は、あっという間に終わった。連日、2万歩ほど旧市街地を歩き回り、あちこち見物しながら絵画や骨董品、実用品を買って、歩き疲れたらカフェで休息を兼ねて美味しいケーキに挑戦という日々だった。

 

1等車両と食堂車はセット

プラハからベルリンへの移動は国際列車だ。39年前は1人ぼっちでオリエント・エクスプレスのコンパートメントに乗ったが、今回は仲間と4人連れ、1両しかついていない1等車での旅だ。ドレスデン経由でベルリンまで4時間の旅だが、ここで気づいたのは、国際列車では1等車は先頭か最後尾にあり、隣は必ず食堂車だということ。「1等車と食堂車はセット」だと考えていい。

 

日本の新幹線普通車両では最近、姿を消して寂しくなった車内ワゴン販売が1等車にはやってくる。1等車の客には車内販売だけでなく食堂車の料理も出前してくれる。筆者の前の席のご婦人は、出前ランチを頼んでいた。

 

食堂車は欧州の映画にしばしば登場するから、ぜひ1度は体験したかった。長旅で昼食時とあって腹も空き、食堂車に行きたくなる。荷物もあるので、2人ずつ交代で行くことにした。これが旅の思い出でももっとも印象的なもののひとつとなる。

 

満席だったが、幸運にも4人席が空いた。エプロンをしたベテランウエイターがニコニコしてメニューを持ってきてくれる。襟につけている日の丸バッジを見て、「日本からか」と会話を交わしながらオーダーを取る。

 

ビール、カフェ、ソーセージ、オムレツ、次々と運ばれてくるが、量もたっぷりでうまい。車窓の田園風景を眺めながら、「よし、スープも頼もう」。ワインを注文すると、「FOR YOU」となみなみとグラスについでくれた。気が利いている。

 

これぞ欧州の食堂車のサービスだ。白と赤のテーブルクロスがレストラン気分を引き立てる。先発組の筆者らと交代した2名の仲間も大いに食堂車が気に入ったようで、行ったまま飲んで食べ続けているようで帰ってこない。結局、この4人席は列車が走っている間、我々の交代専用席となってしまった。食事を楽しんでいるうちにあっという間にベルリン到着だ。

 

 

 

 

 

ベルリン

ベルリン滞在は1泊だけ。ポツダム広場や官庁街など中心部を2日間歩き回ったが、たいした印象はない。宿はベルリン駅から徒歩8分の何となく殺風景な旧東ベルリン地区の古い共同住宅。社会主義時代に建てられたようで、実用一点張りの無骨な建物だ。

筆者含め、2人は東西冷戦時代の西ベルリンだけでなく東ベルリンも体験している。ブランデンブルグ門も、何十年ぶりかの再訪だが、いまやなんだか単なる観光名所、パリの凱旋門のような趣もない。

 

昔読んだ本や映画では、帝政期、ワイマール共和国時代、第三帝国時代とベルリンは、世界の首都かと思わせるほど喧騒と賑わいを極めた欧州随一の大産業都市だった印象がある。世界の文化と学問と芸術の中心でもあった。

第二次世界大戦でソ連軍に破壊され、さらに社会主義の東ドイツの政権がナチスドイツ時代との完全な断絶を推し進めた結果、今のベルリンは空虚な人工都市のような面影になっている。

 

たぶんドイツ人にとっては、敗戦と戦後44年に亘った民族分断はあまり思い出したくないのではないか。今も東西では格差が存在すると言われている。そっけない風景を眺めながら、そんなことを思った。

 

 

ポズナン入り

再び国際列車に乗り込み、いよいよスモーキング大会会場のポーランド・ポズナンに入る。暗くなってからの到着で大きな駅だから、タクシー乗り場がなかなか見つからない。それでも4人で一緒にいると、見知らぬ土地で迷っても心細くはならないのが助かる。

 

乗り場を30分ほど探し回って親切なタクシーが見つかり、宿の地図を見せて旧市街地の中心の広場まで送ってもらう。皆、ユーロはたっぷり持っているが、タクシーはポーランド通貨のズロチしか受け取らない。旅慣れた仲間の1人が日本でズロチに両替していてくれて助かった。

広場はハロウィン・デイが近いのか、週末の金曜夜とあって大賑わいだ。広場に着いたものの、広場に面しているはずの宿がわからない。宿を予約した仲間が1人で探し回って、ようやく見つけた。1階がレストランで2階以上がアパートメントだからわかりにくい。

 

ポーランドの東隣りはウクライナ、その先はロシアだから、ウクライナ戦争の緊張感が伝わってくるかと思いきや、レストランはどこもほぼ満席。なぜか中高年のおじさんたちが千鳥足のへべれけ状態で週末を楽しんでいる。

 

ネット社会だから情報はタイムラグなく世界中をかけ巡る。そのせいかチェコでもポーランドでも若者のファッションは西側と変わらず、スマホ片手に、颯爽と歩いている。

 

ポーランド、ウクライナは美人が多いことで知られている。店員やレストランのウエイトレスの女性は、皆本当に美人ぞろいだ。昔ならばアナログカメラで「記念写真を1枚パチリ」といけたが、今はスマホで一瞬にして世界中に拡散されるから、そういうこともかなわず、彼女たちの美貌を収めたドキュメント写真は、残念ながら1枚もない。

 

チェコの女性も品のある美人が目立ったが、地味な感じがする。ポーランド女性は女優さんのように美しい人が多く、つい見惚れてしまう。おまけに頭の回転が速い。宿でもレストランでも店でも、こちらのつたない英語でもすぐ察してくれ、融通もきいて物事がスムーズに運ぶ。

 

過去何度もドイツ、ロシアに侵略、蹂躙された歴史を持つ国だけに、危機対応、相手の意図を察する能力に長けているのだろうか。このあたりは、のほほんと生きてきた海洋国家・日本とは異なる。陸続きで強国と隣接していれば、いつ何時、攻めてくるかわからない。実際、いまウクライナ戦争が進行中だから、彼らの頭の中は、常に戦時モードなのだろう。

 

 

翌土曜日は、例によって旧市街地界隈とポズナン駅の周辺を歩き回りながら散策。日本へのお土産になるようなものは何も売っていない。パイプタバコを売っているタバコ屋も見つからない。

ガイドブックで、駅近くのケーキで有名な喫茶店を見つけて入る。遅めのランチ代わりだ。ケーキのサイズが特大で美味い。日本では優に2人前以上だろう。エスプレッソコーヒーがなかなかのものだ。仲間の2人はパイプを喫いたいので、途中で外のテーブルに移動してコーヒー。皆、この喫茶店がすっかり気に入り、大会当日の翌日も早めのランチで再訪して腹ごしらえした。日曜という事情か、同じ値段なのにケーキ幅がいささか薄くなっていたのがご愛嬌だ。

 

帰り際、大通り沿いのラーメン屋を見つける。ポーランド人が長い行列を作っているから大繁盛店なのだろう。わざわざポズナンまで馳せ参じて、入るつもりもないが、ラーメンが日本食の代表みたいになっているのがいささか悲しい。

 

10月27日日曜日、スモーキング大会当日は、日本では衆院総選挙投開票日だが、はるか遠く欧州の地に居れば、まったく他人事だ。期日前投票は済ませてきたが、ネットで検索したら、なんだかすごい投票結果になっている。

大谷翔平選手が出場している大リーグのドジャース対ヤンキースのワールドシリーズも佳境だったが、東欧では、どれもこれも遠くの出来事である。

 

大会終了後、事前に食通の1人が見つけた旧市街地内の1838年開業のポズナン随一の老舗レストランに直行。日曜は予約オンリーで午後5時開店、7時閉店という制限の中、ポズナン最後の晩餐を楽しんだ。

 

まずピルゼン・ビールの大ジョッキで乾杯。サラダ、スープ、熟成ビーフステーキにデザートまで追加して満腹。美味しいというしかない。上品で親切なウエイトレスはまさに美人女優さんレベル。幸せいっぱいの気分で宿に帰る。

 

 

 

ワルシャワの古書店

さて、大会も無事終わり、帰途に就くため、翌日は一同、また列車でワルシャワ移動である。

筆者はワルシャワは初めてだが、仲間のうち2人は11年ぶりの再訪、ワルシャワの駅前の変貌ぶりに、びっくりしていた。筆者の勝手なポーランドのイメージは、ずーっと続く平原に、古い設備の工場群や、造船所はあるが、のっぺりとした感じ。

 

実は国土面積は日本の方が広いのは、意外だった。19世紀のピアニスト、ショパンの生国が売りで、ショパンチョコレート、ショパン空港と、ショパンがあふれている。

 

最後の訪問地・ワルシャワ駅前は、おそらく「一帯一路」の関係から多くの中国資本が入ったのであろうか、大きなショッピングモールがデンと構え、かつてのイメージはほとんどない。「やけに情緒のない街になってしまったなあ」と、仲間の1人はその変貌ぶりに戸惑いを見せていたが、宿に向かうと、そこはワルシャワ大学を中心とする景観保存地区であろうか、美しい街並みと広い道、魅力的な商店街が続いていて嬉しかった。残る日程は到着日午後と翌日午前だけ。

 

宿に荷物を置いて、すぐ街に出る。圧巻は名門ワルシャワ大学である。ここの日本語学科は優秀で有名だ。かつて多くの日本の新聞社がワルシャワに支局を置いていた時代には、日本語学科の学生は支局に勤務する優秀な現地スタッフの供給源だったそうだ。いまも日本企業に就職を希望する学生も多いと聞いている。

 

校内に入ってみたが、やはり貫禄十分の雰囲気は名門大学にふさわしい。正門の並びには、骨董品店や古本屋が散見される。美術通の1人が、「日本でも東京・神田神保町あたりの古書店には絵画も置いてある。画廊より安く、掘り出し物がある」と教えてくれた。

 

骨董屋はパスし、版画や絵画が飾ってある古書店に入った。チェコでリトグラフを買った仲間がここで、ホアン・ミロの版画を発見し、即購入した。それは大きなサイズだったから、スーツケースには入らず、彼はその版画を抱えて、帰りの飛行機に乗り込み、日本まで戻ってきた。購入する際、店主である50歳くらいの男性の説明が気に入った。実に誠実で、英語が上手なのだ。「ワルシャワ大学で文学か美術を学んだのか」と勝手に想像してしまった。

 

 

筆者も本屋の入り口に掛かっていたペン画が気になっていた。その店主に聞いてみると、「作者はリトアニア出身、ロシア革命で一家の財産を没収され、ポーランドに亡命。ワルシャワで美術を学び、ポスターやイラスト、宣伝画などを描いて活躍した人物で、もう故人」だそうだ。

 

事前に女性店員から、額の裏に記してある値札を見せてもらっていたが、「ハウマッチ?」と尋ねたら、同じ価格だった。「こういう作品は値引き交渉しないほうがいい」との仲間の助言に従って、その場で購入した。

 

確かに不当な高値ではない。作家への敬意、作品への愛着があれば、その程度の支払いは当然だろう。ここで見逃せば、おそらくもう出合わない作品だ。今回の旅行もまた実りが多かった。

 

それにしても、大国の狭間で生きる小国の運命は過酷だ。どこか目立たないよう行動しているように感じるが、好ましいのは、チェコもポーランドも国民が擦れていないことだ。高値を吹っかけたり、騙そうとすることはない。スリに遭遇もせず、いやな思いは一切しなかった。日本人もまた好かれている。定価で物を買い、静かに見学し、ルールを守るからだろう。

 

われわれが欧州で困ることは、決まっていて、ドアやスイッチが、日本のようにスムーズに動かないことだ。トイレなど誰かが入っていて鍵が掛かっていると勘違いするほど固い。欧州人は、やはり力が強いから、小さな日本人とは感覚が違う。

 

鍵も難物だ。スムーズには開かないから、宿の鍵をもらったら、ドアを開けたまま、何度も練習しないと、入れなくなったり、閉じ込められるリスクがある。コツをつかむまでが大変だ。そして電化製品の仕様は各国全部違うから、台所や洗濯機の扱いも困ることがしばしば。

 

これらは毎年、欧州各地でのスモーキング大会に通っている中で、気づいたことで、要領を覚えるのが早い仲間が居てくれるのは、助かる。

 

さてさて、来年のスモーキング世界選手権大会はオランダだそうだ。久しぶりに西側か。

 

終わり

 

 

2024年秋 中・東欧4都訪問 道中記 その1 はこちら
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