パイプの愉しみ方
続 偽物ダンヒルパイプにご用心 その7 「エステートダンヒルズ」とは?
私はパイプ仲間の畏敬すべき友人に恵まれている。
昨年11月24日に東京・浅草で開催した全日本選手権大会の時、札幌のSさんが「いつも読んでいますよ」と声を掛けてくださった。パイプ関係のユーチューバーとして活躍しておられるSさんが、偽ダンヒルシリーズの拙稿を読んでくださっているとは光栄の至りだ。しばし四方山話を続けるうちに、「中古品として出回っているダンヒルパイプの中には刻印などは正真正銘の本物だが、実は偽物がある」というびっくりする話を教えてくださった。私が全く知らなかった情報である。
ダンヒルパイプの鑑定ではいささか経験がある私にとって、余りにも衝撃的な内容だった。
動揺を隠せなかったのが正直なところだ。
Sさんが教えてくださった情報のソースは、パイプ喫煙関係の様々な有益な情報が載っている「パイプディア」と言う英文サイトの記事「1980年代の偽ダンヒル」だった。執筆者の署名入りのかなり長い記事だ。よく調査されており、内容の信憑性は高い。
英語に堪能な方は、直に原文に当たられたい。苦手な方はGoogle翻訳などの生硬な機械翻訳でも大方の意味は理解できる。リンクを貼っておく。
https://pipedia.org/wiki/ The 1980s Fake Dunhill
記事の詳しい内容をこの場で紹介しても良いが、あまりにもマニアックな上に文学的修辞表現が顕著なので、要点を簡潔に以下列記する。
・1980年代初頭に英国ダンヒル社が英国内のパイプ製造工場を整理統合した結果、多くのパイプ職人が解雇され失職した。
・ダンヒル傘下にあったパイプメーカーも消えた。中でもダンヒル社に吸収合併されていた1863年創業の英国最古のパイプブランドのチャラタンも消えたのは残念だった。
・突然決まった工場閉鎖の混乱の中、パイプ製造関係の諸工具、刻印工具、ブライヤーの原木がどさくさに紛れて工場から消えた。在庫品の半製品のボウルもかなりが消えた。
・そうした混乱状況を知った米国の少なからぬパイプ蒐集家が、英国に殺到し、パブで一日中ぶらぶらしていたダンヒルやチャラタンの熟練パイプ職人と接触した。この動きに米国のパイプ販売業者が目を付けて便乗したことは言うまでも無い。
・そうしたハイエナのような連中はカネにものを言わせて、馘首された職人達に工場から持ち出されたパイプ製造工具、刻印工具を使った「ダンヒルパイプ」を作らせた。
・特に知恵の廻るハイエナ連中は、第二次世界大戦前の古いパイプにダンヒルの本物の刻印を打たせて、「エステートダンヒルズ」と名付けた。
・こうした「本物の刻印だが、偽物のダンヒルパイプ」や、中古市場で高額で取引される「エステートダンヒルズ」が相当数、市場に出回っている。
ざっとこんな内容である。ハイエナ連中は工場のゴミ箱まで漁って古いパイプ探しに血眼になったそうである。
多くの半製品のボウルが手に入ったので、新品の完璧な偽物を容易に作れた筈だが、なぜハイエナ達は、新品の偽物ダンヒルパイプ作りよりも、古い「エステートダンヒルズ」作りに執着したのだろうか?
簡単な話だ。1980年代当時は普及品の新品ダンヒルパイプは、数百ドルからせいぜい二千ドル程度の価格帯だった。中古となると百ドル前後というところか。ところが第二次大戦前製造の古いダンヒルパイプは生産量も少なかったところから、当時でも稀覯品であり、状態が良ければ中古で数千ドル。大型、特大のパイプは特に稀少価値があり一万ドル超の値段もついていた。偽物作りの手間と材料代を考えれば、「エステートダンヒルズ」作りの方が儲けが格段に多いに決まっているからだ。
ハイエナ連中は使い古した大型パイプを懸命に集めた。フランス製の高級パイプが多かったようだ。英国や米国ではダンヒルのような高級パイプを他社が製造していなかったことと、大型、特大パイプの実際の取引事例が不足していたことに目を付けたわけだ。初期のダンヒル製パイプのカタログがほとんど入手できなかったため情報が乏しく、ダンヒルパイプについての信頼できる研究がなかった事情もあった。
ブライヤーの材質は良いものの、古すぎて刻印がすり減って読み取れないパイプ、使い古しで見窄らしく誰も買わない様なパイプ。これらをダンヒル社で腕を磨いた熟練パイプ職人が、ダンヒル社で使っていた専門の工具類で手を入れ、本物と同じ刻印やホワイトスポットを入れ直した。誰も偽物とは思わない。思う筈がない。
あるダンヒル蒐集家は、第二次大戦以前の貴重なエステートダンヒルズのコレクションとして、1984年にプライベートショーを開催し大成功を収めた。
偽物作りといえば、すぐにC国を連想しがちだが、米国のハイエナ連中の悪知恵と強欲はC国の狡猾な偽物製造業者の遥か上を行くのだ。
「エステートダンヒルズ」と名付けた悪知恵が凄い。エステート(Estate)。英語では領地・財産、階級・地位など故人が残した資産を意味する。ユーズドアイテムとかセカンドハンド等の「中古品」を示す言葉ではなく、有名なオークションハウスが扱う高額商品の香りがするではないか。購入した蒐集家も満足感があり、売った方はボロ儲けができる。
さて、様々なダンヒルパイプの真贋鑑定を頼まれてきた私だが、こうした偽物ダンヒルを見分けられるだろうか。
率直に言おう。見分ける自信はない。
特に半製品のボウルを、ダンヒル社で経験を積んだ本物のパイプ職人が、本物の工具類を使って加工して完成品にし、本物の刻印と本物のホワイトスポットを入れたパイプは、本物のダンヒルパイプと鑑定するしかない。これが偽らざるところだ。
ただ、「エステートダンヒルズ」に関しては、拡大鏡やブルーライトなどを使って入念に調べれば、不自然な箇所が色々と見つかると思う。例えば、消えかかった古い刻印の箇所を削って、新たにダンヒルの刻印を上書きで入れたとしても、以前の刻印の微妙な痕跡は残りがちだ。パイプ自体が年代物で古いのに、刻印だけは新しいと言うのも不自然だ。「偽物」と断定は出来ないまでも、「不自然なパイプ」と指摘はできるだろう。
現在でも「エステートダンヒルズ」は、市場に出回り、高額で取引されているようだ。もし、第二次世界大戦前製造の稀覯品ダンヒルパイプを蒐集したい方がおられれば、そのパイプの由来即ち所有者やパイプ店の来歴等もよく調べて慎重に取引なさることをお勧めする。
注:写真はダンヒルパイプの例であり 記事とは関係ありません